第157話 奴隷、ピスタリア王国前で足止めをくらう

「ちょっとちょっとぉ! よくもアタシを置いていってくれたわね!」


 眼前にピスタリア王国が迫ってきたところで、背後から甲高い声が聞こえてくる。

 周りに誰もいない山の頂とはいえ、精霊が人間相手にここまで馴れ馴れしいのは、後々問題が出てきそうではある。

 徐に振り返ると、尋常ならざる速度で飛んでいたアイネスが、顔を真っ赤にして目の前で急停止した。


「アイネスなら、問題なく見つけられるだろ。先に行けば追いかけてくるのはわかってたからな」


「確かに、アタシなら探し出すのも簡単だけど、それとこれとは話が別よ。アタシは待っておくように言ったわよね? ううん、絶対言ったはずよ。なのに、もうこんな西に移動してるなんて非常識よ」


「待っておく約束をした覚えはないぞ。それに、こちらも時間が惜しいんだ」


 セレティアに正体を晒した以上、のんびりと馬で移動なんてする必要はない。

 風属性魔法でを空を飛び、さっさと移動すれば済むことなのだ。

 ある程度魔法を自由に使えるようになったのは僥倖でしかない。


「待っててくれてもいいんじゃないのかしら。セレティアもそう思うわよね」


「わたしはどちらでもいいけど」


 顔を真っ赤にしたアイネスは、凄い勢いでセレティアの胸元から服の中へ飛び込む。


「きゃっ! アイネス、どこに入ってるのよ」


 セレティアが追い出そうとするも、その抵抗も虚しく終わり、完全にその姿が見えなくなった。

 だが、すぐに胸元からアイネスの頭だけが飛び出してくる。


「フィーエルと違って、ちょっとけど、ここで休ませてもらうわ。起こさないでよ、疲れてるんだから」


「ああ、こちらとしても、精霊に動き回れると厄介だからな」


「ふん、アタシの力が必要になる時がきても知らないわよ」


 これで精霊が動き回るという懸念材料が一つなくなったわけだが、眼前に広がるピスタリア王国の入口では、別の問題が起こっていた。

 王都へ繋がる城門では、入国を拒否されたと思われるで人であふれかえり、一部は引き返し始めていた。

 いくつか国を跨いできたが、こんな国は今までになかっただけに、迂闊に動くわけにもいかない。


「入国制限でもしてるのか」


「別にいいんじゃないの? ウォルスなら魔法で侵入しちゃえばいいんだし」


 目の前で起こっている騒動を見ても、セレティアは落ち着いたもので、全く意に介していないようだ。


「そういうものでもない。この国は侵入を防ぐ結界を張っていないようだが、見た限りでは、侵入者を探知する魔法は掛けているようだ。無効化すれば、それを探知する魔法もどこかにかけているだろう」


 端から侵入を阻止するのを切り捨て、侵入者を見つけ出すことに特化している。

 つまり、侵入者を見つけることさえできれば、対処できる自信があるという証左だ。

 大国ではないが、優秀な魔法師を輩出するだけのことはある。


「それじゃあ、大人しくあの中に並ぶわけ?」と明らかに嫌そうな顔で尋ねるセレティアの肩に、俺はそっと手を置いた。


「当然だろう。俺たちはただの冒険者で、目立つわけにはいかないからな」




 封魔塔のことが、ピスタリア王国にまで伝わるには時間がかかる。

 たとえ伝わろうと、クロリナ教が権威を落とすような情報を流すわけはなく、このような事態が起こるのは考えられない。

 そうなると、この原因はクロリナ教に起因するものではないということになる。

 大人しく入国待ちの長蛇の列に並んでいると、この列の原因になっていると思われる事案について、どこからともなく声が聞こえてくる。


「国に認められてねえ奴は入れねえらしいぞ」

「中位冒険者もダメだってどういうことだ! 上位なんてなれるわけねえって」

「やっぱりあれじゃない? 他国で要人が暗殺された件と関係あるんじゃ……」

「こんなことになるなら、国を出るんじゃなかったぜ。家族にも会えやしねえ」


 聞こえてくる声だけでも、退っ引きならない事態だということがわかる。

 上位冒険者なら入れるような声もあるが、セレティアには王族として発行された身分証しかなく、敵と考えられる存在が、今のところ怠惰竜イグナーウス以外わからないため、それを使って入国する選択肢はリスクが大きい。

 だが、セレティア自身、真面目に入国できるという空気を漂わせている。


「一旦隣国のムーンヴァリー王国へ行くぞ」


 俺が引き返す提案を出した途端、余裕の表情を浮かべていたセレティアの目が見開かれた。


「どうしてよ、わたしの身分証で入ればいいじゃない。ギルド発行の正式なものだし、絶対通してもらえるでしょう。ユーレシア王国にもネイヤから伝えてもらってるんだし、何も問題ないじゃない」


「こんな状況で、セレティアが入国したとなれば、どんな騒ぎになるかわかったもんじゃない」


「そんな騒ぎにならないでしょう。今までの旅でもそうだったんだし」


「今の歴史で、セレティアがどういう立場なのか、今一度思い出してみればどうだ」


 セレティアは顎に指を当てると、面倒くさそうに考え始めた。

 記憶が改竄されたこの世界では、同じユーレシア王国の王女には変わりないが、一つだけ決定的に変わっている部分がある。

 本来なら名誉でしかないそれは、現状、活動する上で足枷にしかならない、邪魔な名誉でもある。


「あっ!」


「思い出したか」


「わたしの名前は、今じゃ世界に轟いているんだった」


「そういうことだ。どこで誰が見ているかわからない以上、セレティアは正体を晒すわけにはいかない」


 残念そうに天を仰ぐセレティア。

 今まで誰にも認知されなかった国、それが今や誰もが知る国となり、常識にまでなっているというのに、逆に知られるわけにはいかなくなったというジレンマ。

 だが、セレティアはすぐにいつもの態度に戻った。


「今は偽りの偉業に浮かれていても仕方ないし、すぐに本当の偉業で名を轟かせてあげるわよ」


「早く見たいものだな、その偉業というものを」


「なーに他人事のように言ってるのよ。その時は……ウォルスにも隣にいてもらなきゃいけないんだから」


「まあ、邪魔にならない程度に横にいよう」


 セレティアは軽く笑い飛ばすと踵を返し、ムーンヴァリー王国へ向け歩き出した。

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