第144話 奴隷、救われる

 翌朝、第三者視点では王宮内は通常どおりで、特に問題が起こっている様子はないと答えたと思う。

 だが、実際は明らかに前日とは様子が違っていた。

 衛兵の誰もが俺に気づかないばかりでなく、戦士長は朝から厳しいやら、美しいやら、聞き慣れないフレーズが聞こえてくる。

 その声に耳を傾けていると、件の戦士長がネイヤだということに、そう時間はかからなかった。


「思ったより時間がないな……」


 既にネイヤが戦士長として、他の兵の鍛錬に付き合っているということになる。

 ネイヤの記憶から俺が消え、ベネトナシュたちが平気ということはないはずで、確認しないといけないのは、フィーエルとアイネス、それにセレティアだけということになる。


 焦る気持ちを抑え、誰にも声をかけられないよう気配を消し、フィーエルの部屋へと向かう。

 ついつい

 未だ客人として迎え入れられているフィーエルの部屋は、俺の部屋よりかなり上質なため、扉からして違う。

 その扉を軽く三回ノックすると、中からアイネスの声が聞こえてくる。


「はいはーい、誰かしら、今忙しいんだけど」


 扉が開いた先に、顔の高さにアイネスがちょうど現れる。


「昨日の話のことなんだが、ネイヤたちはもう手遅れのようだ。聞かせてくれる気にはなったか?」


「…………アンタ誰よ。馴れ馴れしいにも程があるわね。アタシを誰だと思ってるの、水の精霊アイネスよ」


 一瞬、頭が真っ白になり、何も考えられなくなった。

 目の前のアイネスにふざけている様子は微塵もなく、精霊であるアイネスの記憶も改竄されてしまっている事実に、ただただ言葉が出てこない。


「アイネス、どうしたんです」


「いやね、わけのわかんない男が尋ねてきて、わけのわかんないこと言ってくるのよ」


 部屋の奥からフィーエルが顔を出し、目と目が合う。

 だが、当然のように冷たい目を向けられ、「私の知り合いじゃないですよ」と一言告げ、そのまま部屋の奥へと消えていく。


「今日はフィーエルが魔法師団に入団する、とっても大切な日なのよ。あんまり時間がないんだから、これ以上手間を取らせるなら、タダじゃおかないわよ」


「いや、俺の勘違いだったようだ」


 勢いよく閉められる扉を前に、しばし呆然と立ち尽くしかなかった。

 フィーエルもアイネスも、アルス・ディットランドと一部の者にしか心を開いていなかった。おそらく、ここではもうセレティアくらいしか話を聞かないだろう。

 突然俺が力を解放しようと、怪しまれるだけだろう。

 今の二人の記憶にあるアルス・ディットランドと、俺が経験してきたアルス・ディットランドが別物の可能性もあるからだ。


「希望はセレティアだけか」


 現状、確率は半々か、と礼拝堂があるほうへと歩き出す。

 この時間なら、そのあたりにいるはずだ。

 たとえ記憶を失っていなくとも、そのあとに失う危険性は十二分にある。

 なるべく早く顔を合わせておくことに越したことはない――――いや、違う。


 ――――早く顔が見たいだけだ。 

 精霊の記憶も改竄されることは考えていたが、現実に起こる確率は低いものとみていた。

 想像以上にショックを受けていることを認めるしかない。

 足早に礼拝堂へと向かうと、廊下にいた衛兵が両脇に分かれてゆき、俺もそれに倣い端に立つ。

 すると、その廊下の先からドレス姿のセレティアがネイヤを連れ、こちらに向かって歩いてきていた。


「――――そう、護衛奴隷がやってくるのね」


「はい、デルク・サイという者らしいです。サイ一族の中でも、歴代最強と謳われるほどの実力だとか」


「それは頼もしいわね」


  ネイヤと普通に会話をしながら近づいてくるセレティア。

 だが、セレティアは俺に全く視線を向けることなく、そのまま前を通り過ぎてゆく。

 気づいていないことはなく、確実に視界には入ったはずだ。

 不安と、心に穴が空いたような、何ともいえない感情が湧き上がってくる。


「ネイヤ、先に行っていて頂戴。少し用事を思い出したから」


「承知いたしました」


 先にネイヤを行かせ、その後姿を見送っていたセレティアがこちらに振り向く。


「そこの衛兵、こちらに来なさい」


 セレティアの瞳は他の誰でもなく、俺へと向けられている。

 その声は冷たく、他の衛兵は自分に向けられた声じゃないとわかると、ホッとした様子でその場を離れた。

 周りの目がなくなったことを確認したセレティアは俺の手を掴み、近くの部屋へと連れ込む。

 中は空き部屋のようで、締め切られたカーテンで部屋は薄暗く、少々ホコリ臭い。


「もうなんなのよ……ネイヤもベネトナシュも既に記憶がおかしいし」とセレティアは俺の顔を覗き込んだ瞬間、堰を切ったように話し始める。「その様子じゃ、ウォルスも心当たりがあるようね……フィーエルも変わってたの?」


 セレティアはまだ何も変わっていなかった。

 その事実に、何とも言えない安堵と、虚脱感が同時に襲ってくる。


「ああ、アイネスもすっかり忘れていたな」


「ということは、残ってるのはわたしだけってことね」


 セレティアは少し考え込み、俺の左胸に指を当てる。


「もしかして、この血契呪が関係あったりしてね」


 この一言で合点がいった。

 死者蘇生魔法ですら、この血契呪が作用したことを考えれば、魂が繋がっている状況では、この現象が及ばないのかもしれない。

 それならば、セレティアの記憶が改竄される恐れもないということになる。


「それなら奴隷の立場に感謝だな」


「想像以上に早くこんなことになっちゃったけど、これからどうするの? ネイヤたちの記憶じゃ憤怒竜イーラを倒したのはわたしとヴィクトルたちってなってるし、もうメチャメチャよ」


 このあと、フィーエルもアルスから世界を見聞してくるよう言われ、ユーレシア王国に来たことになっているだの、アルスはイルスとともに、教皇の右腕といわれる、エルドラという人物と相打ちになっているだの、記憶が改竄されているだけでなく、事実そのものが捻じ曲がっているような言葉を続けた。


「そこまでくると、俺と関係ない者の記憶、いや、過去にあったことをそっくりそのまま変えるくらいじゃないと、辻褄が合わなくなるぞ」


「わたしの記憶にあることを伝えても、夢でも見ていたんじゃないかってくらい、全然相手にしてもらえないわ」


 ため息を漏らしながら、カーテンの隙間から外を眺めはじめるセレティア。

 そんなセレティアの後ろ姿を見つめていると、俺の問題に巻き込んでいいのか、という疑問が湧いてきた。

 セレティアの立場は何も変わっていないのなら、このまま王女として過ごすのが一番いいのではないか、憤怒竜イーラを倒した一人になっているのなら、人材には事欠かないはずで、もうクラウン制度で偉業に挑む必要もない。


「こんなことにまでなってるのに、わたしを置いて、ウォルス一人でどうにかしようって言うんじゃないでしょうね? わたしは自分の知らない事実しかない世界、嘘で塗り固められたような世界にはいたくないわよ」


 心を見透かしたような一言に、鼓動が一瞬早くなる。

 どこまでもお見通しということか。


「セレティアは、国に残るのが最善かと思ったんだが」


「――――やっぱりね。答えはわかっているとは思うけど、お断りよ」


 セレティアの強い口調と、その鋭い視線が俺の体を通り越し、心に直接突き刺さる。

 それほどまでに、俺に対する怒りが滲み出ている。


「国を出て調べるのなら、わたしも付いていくわ」


「二度と帰ってこられないかもしれない。それこそ、王女としての立場はなくなることになる」


「言われなくてもわかってるわよ」


 セレティアは俄然やる気を見せ、扉のほうへ歩いてゆく。


「着替えてくるから、馬を二頭用意して、裏門で待っていてくれるかしら。適当な理由をつけて、わたしの名前を出せば貸してくれるから」


 嬉しそうに言って部屋を出てゆくセレティアを、俺はただ黙って見送るしかなかった。

 本当に現状を理解しているのか心配だが、この行動によって、救われたような気がしたのは事実だ。

 今はセレティアの決断に感謝しておくこととしよう。

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