第131話 奴隷、もう一人の自分の過去を知る

 偽アルスは侮蔑を含んだ笑みを向ける。


「この状況、この姿を見ても、私が偽物だと思っているとは、情けない奴だ」


「…………」


「お前はもう一人の私だ。考えていることなどお見通しなんだよ」


 アルスはゆっくりとこちらに近づいてくる。

 警戒している様子はないが。

 攻撃を加えれば、リリウムが相殺するという絶対的な自信があるのだろう。

 二人同時相手となると、片方がフィーエルに行くと手に負えなくなるため迂闊に動けない。


「しかし、本当に私以外にも、転生している者がいるとは思わなかったぞ」


「……言っている意味がわからないな」


「……そうか、わからないか。なら、俺から一つ質問させてもらおう。お前、のアルス・ディットランドなのか?」


 この世界のアルス……?

 俺が知る世界とは違うことを、このアルスは知っている?

 俺から何を聞き出そうとしているのか、その真意がわからない。


「その顔は、どうやらこの世界のアルスとは違うようだな」


 アルスは嬉しそうな表情を見せたあと、大声を出して笑い出した。


「この世界の魔法はどうだった。お前の世界とは違うところがあっただろう」


「……どうしてそんなことを知っている」


 こいつが知っている情報は、俺より多いのは間違いない。

 それは俺よりも、目の前のアルス・ディットランドのほうが絶対的優位だということを意味している。


「簡単なことだ。私もお前と同じ、この世界のアルス・ディットランドではないからだよ」


 真顔に戻ったアルスは、その視線をフィーエルへと向ける。

 その瞳は寂しそうで、絶望に染まっているようにも見える。


「信じられない、としか言えないな。お前は転生せず、生き返ったそうじゃないか」


「ああ、まだ気づいてないのか、これは悪かった」とアルスは天を仰ぐ。


 天を仰ぐ行為自体に意味はない、そう思ったのだが、アルスは嬉しそうに口を歪め、「どうやら間に合ったようだ」と独り言のように呟いた。

 アルスの言葉で魔力感知を広げると、魔力が二つ近づいてくるのが感じられた。


「私の話は、そのままお前自身のことに直結する。それを聞かせるには、核となる人物が必要だろう」


 アルスが顔を向けた先には、両手を後ろで縛られ、猿ぐつわをされたセレティアと、その髪の毛を掴んでいるイルスの姿があった。


「イルス……やはりアルス側だったのか」


「何か勘違いをしているようだね。私は自分の仕事をしているだけにすぎない」


 イルスは悪びれた様子もなく、淡々と述べる。

 セレティアは何が起きているのか理解できていないらしく、アルスとリリウムから視線を外せないでいる。


「おっと、動くなよ。お前が動けば、フィーエルの下へ私とリリウムが向かう。アイネスがいるようだが、結果はわかりきっているだろう」とアルスは右手をその歪ませた顔へと持ってゆく。


 右の手のひらで顔を覆うアルスの瞳からは、侮蔑と哀愁が混ざったような、複雑な感情が読み取れる。


「ユーレシア王国へ赴き、俺を討つように頼んだそいつは、イルスじゃない。これがどういう意味かわかるか?」


 水属性無効魔法の結界を張っていたユーレシア王国で話をしたイルスが、既にここにいるリリウムと同じ、無効魔法に対応した錬金人形という結論しか出てこない。


「……イルスを手にかけたのか……」


「本当にお前は私なのか疑いたくなるよ。こんなに鈍いのがもう一人の私とは……」


 イルスの魔力が右手に集中し、黒いもやのようなものを創り出す


「お前が知るイルスなど、この世界には最初からいないのだよ――――アルスも、十七年前に死んでいる」


 こいつの言っていることがわからない。

 フィーエルでさえ、目の前のこいつをアルスと認識しているというのに。

 セレティアとフィーエルが離れてさえいなければ戦いようもあるのだが、対角線上に離れられていると迂闊に手が出せない。


「私が言っている意味がわからないか、ならば教えてやろう。私が転生した先は、イルス・ディットランドなのだよ」


 アルスの右手の靄のようなものが顔を覆うと、顔の皮膚が溶け出し、目の形が変わってゆく。

 ドロドロと溶けた皮膚が銀色の液体になって滴り、地面に青い空を映しこむ。

 次の瞬間には、その顔は目を疑うものへと変わっていた。


「待ってください! その言葉が本当なら、最初からここにはアルス様が二人存在しておられたということですか」


 フィーエルが俺よりも先に言葉をぶつける。

 アルスの言葉が正しいのなら、この世界に俺の弟であるイルスは、本当に存在しなかったことになる。

 それに、こいつは俺とは違って、時間を遡ったということだ。


「そうだよ、フィーエル。私は生まれた時からアルスでありイルスだった。お前がここへやってきた時から、ずっと――――」


 フィーエルを見つめる瞳は、哀しみに染まっているように見える。

 それがフィーエルにもわかっているのか、フィーエルも今にも泣き出しそうな表情だ。


「――――しかし、それを証明することができなかった。力を証明しようにも、イルスの体はあまりに弱かった。歴史を変えようと試みてはみたものの、何かの力に拒まれるように全て矯正されたよ。フィーエル、キミを助けるのも私の手でしたかったが、結局、この世界のアルス・ディットランドに奪われた」


「……それなら、言っていただければ……」


「アルスが死ぬまでに言おうとしたが、神のいたずらか、言葉に出すことさえ許されなかった。死んでからアルスとして生きようとしたが……既に自分がイルスになっていたことを、強く意識させられただけだった。アルスに対する名声も、キミが語りかける言葉も、全て私ではないアルスに向けられた、虚しいものにしか感じられなかった」


 このアルスは、イルスとして生きた時間が長すぎたのだろう。

 自分のせいでイルスがいなくなり、アルスとしても生きられず、その狭間で苦しんだのはわかる。

 だが、その結果がこの行いでは話にならない。


「それで死んだ人間を、魔法で生き返らせたように見せかけて満足していたのか。お前も俺ならば、転生した理由は同じだろう…………それを、リリウムを利用し、フィーエルまで手にかけようとするとは……」


 アルスは侮蔑を含んだ笑みを浮かべ、俺を完全に見下してくる。


「この世界に来て、魔法に変化があったことで方向性を変えたに過ぎんよ。その様子では、お前の世界のフィーエルはその姿で、関係性もその程度なのだな」


「……何のことだ」


「俺が愛したフィーエルは、それは綺麗なだったよ――――そして、私の妻でもあった」


 フィーエルがどんな表情で、イルスの姿をしたアルスを見つめているのか、確認する勇気がなかった。

 俺自身、フィーエルが大人の姿だったら、同じ感情を持っていたかもしれない。

 このアルスが、ここまで歪んだ人間にならなければ、フィーエルを幸せにしてくれていたに違いない。

 そう思えるだけの、慈愛に満ちた、穏やかな表情で、アルスはフィーエルを見つめていた。

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