第69話 奴隷、託される
南の大陸には、自然に雨が降ることはほぼない。
それを知るのは、エルフと懇意の仲になった者だけで、それ以外の者が知ることはない。
この緑豊かな森を見て、そして、実際に雨が降っているところを目の当たりにして、それを信じるものはいないと言ってもいい。
全ては、エルフが管理をし、魔法で雨を振らせているにすぎない。
それゆえ、里の復旧作業中は雨で中断することも一切なく、滞りなく作業は進められた。
魔法に長けたエルフの迅速な作業によって、数日のうちに里としての機能を取り戻す。
まだまだ生活感がない建物と景観ではある。
だがそれでも俺の記憶にある、どこか見覚えのある里であり、懐かしさが込み上げてきた。
「それじゃあ計画通り、ユーレシア王国へは、人間の国に慣れているガルド・オベック、それに友好の象徴として、フィーエルの兄である、リゲル・アルストロメリアの二人に行ってもらうよ」
広場に集められたエルフたちの前でヴィーオが宣言し、ガルドとリゲルが俺の前へとやってきた。
人間に慣れている二人が選ばれ、俺としても心強い。
だが、長いエルフの歴史の中でも、フィーエルのように里を自ら抜け出した者以外で、ハイエルフが北の大陸へ赴くのは初めてのはずだ。
「本当にハイエルフを派遣させていいのか」
「それが友好の象徴になるんじゃないか。それに、フィーエルがユーレシア王国に行ったら、リゲルが会えなくなって寂しがるからね」
ヴィーオがからかうような目をリゲルに向けると、リゲルは顔を赤くして顔を横に振る。
「そういうことだから、この二人をよろしく頼むよ」
「ああ、船には仲間がいるから、そこまで俺とネイヤが連れていこう」
エルフが持っている船は北の大陸では目立つため、二人には海賊船で行ってもらう。
大量のエルフに見送られるが、その中にフィーエルとセレティアの姿はない。
二人は少ない時間を有効に使うため、今も魔法の鍛錬に勤しんでいる。
もっとも、二人を送ったあとは、俺もネイヤを鍛えなければいけないが。
「ウォルス様、本当に憤怒竜イーラの討伐を考えておられるのですか」
「何が言いたいんだ? ネイヤらしくないな」
里を出てすぐ、ひどく神妙な顔をしたネイヤが、ガルドとリゲルに聞こえない程度の声で尋ねてきた。
「正直なところ、ウォルス様以外は全て足手まといになるのではないかと。特に、私が討伐パーティーにいるのは、完全に場違いです」
セレティアの急成長、フィーエルの元々の魔法センスを間近で見てきて、肉体のみに頼る戦闘スタイルに限界を感じたのか、それとも、純粋にイーラ討伐に不安を感じているだけなのか……俺以外と言っている点から、両方と考えるのが妥当か。
「そのためにセレティアとフィーエルの二人はヴィーオが、ネイヤは俺が徹底的に鍛えるんだ。それに、連れていくとしても、俺と同じことをやれとは言わない。やれることをやってもらうだけだ。そのやれるレベルをどこまで上げられるかは、ネイヤの努力にかかっている。俺はネイヤのやる気には期待しているんだがな」
少しプレッシャーをかけすぎたかとネイヤに目をやる。
ネイヤはいい意味で期待を裏切り、さっきまで神妙な顔をしていた表情は、みるみる明るいものへと変わってゆく。
「そこまで期待されていたことに気づけなかったとは、さきほどまでの自分を殴り倒したい気分です。このネイヤ・フロマージュ、全身全霊をかけて、ご期待の強さになるまで鍛錬を積みたいと思います」
「……よく言った。期待しているぞ」
気合の入り方がこちらが引くレベルではあるが、鍛え甲斐があるのはいいことだと割り切るしかない。
ここまでやる気があるなら、多少厳しくしても最後まで必ず付いてきてくれることだろう。
「このメンバーなら、海岸まで飛ばせば一両日中には着くだろうし、速度を上げるぞ」
ネイヤもなるべく早く鍛錬を開始したほうがいい、ということで、速度を上げてみるが、ネイヤ、ガルド、リゲルの三人は顔色一つ変えずに付いてくる。
セレティアに合わせて数日かけて歩いた距離も、嘘のように縮まり、夕方には海岸に到着していた。
そこには乗ってきた舟にもう一艘、そして、ベネトナシュとフェクダの姿があった。
「おかえりなさいませ。ウォルス様、ネイヤ様」
「いつもタイミングがいいな――――またネイヤか」
「いえ、今回は偶々です。今朝渡り、帰還されるまでお待ちするつもりだったので」
何でもないように口にするベネトナシュだが、毎度この勘の良さ、仕事の早さは、怖ろしいものがある。
「それで、後ろのお二人はどなたでしょうか」
ベネトナシュは俺の後ろにいる、ガルドとリゲルに厳しい目を向ける。
これは知らない者、エルフ、という理由からではなく、ただ男だからこんな目で見ているのだ、と俺は受け取った。たぶんそれで間違いない。
ガルドを魔法と剣技に優れたエルフ、リゲルをフィーエルの兄だと伝えると、途端にベネトナシュの態度が変わった。
「そうでしたか、それでは客人ということですね」
「友好の象徴として派遣された二人だから丁重にな。二人には、ユーレシア王国で魔法の指導ができるように、ベネトナシュに頼みたい」
「お任せください」
「それと海賊たちには、エルフが客人だとは悟られないようにしてくれ。俺たちがユーレシア王国の者とはバレていないだろうが、なるべく関係が外部に漏れないように心がけておいてくれ。ガルドとリゲルもそのつもりでいてほしい」
「オレは別に構わねえよ」
「俺もそれでいいです。ヴィーオ様からも、関係は内密にと言われているので」
「向こうに着いたら、フィーエルと同じようにフードで耳を隠すのがいいだろう」
エルフは基本的に耳を隠すのを嫌がる。
それは誇りを傷つけられるのに等しいからだ。
それでも、今回耳を隠すことについて、二人から苦情らしいものは一切出ない。
ヴィーオから与えられた任について、それだけ意識が高いのがわかる。
「ネイヤ様、それでは私たちはこれにて失礼します」
舟に乗り込んだベネトナシュが、ネイヤへ敬慕の眼差しを向ける。
「ベネトナシュ、フェクダ、皆によろしくと伝えておいてください。私はこれから、地獄の鍛錬の予定なのです。無事帰れるかはわかりません」
「地獄の鍛錬……」
瞬間、何かに気づいたようにベネトナシュは俺を睨みつけ、ネイヤ様をお願いします、と頭を下げてきた。
お願いした以上、無事に帰せという圧力を感じる。
ネイヤは口にしなかったが、帰れるかわからないというのは、イーラ討伐に関してのことだろう。
本気で俺の鍛錬について言ったとは思いたくはない。
「わかっている。無事に帰すから、ユーレシア王国のことは任せたぞ。これはセレティアからの命令でもある」
「承知しました」
フェクダが漕ぎ初めた舟は波に揺られながら海賊船へ向かってゆっくり進み、徐々に小さくなってゆく。
その姿を名残惜しそうに見つめていたネイヤの表情が、戦士のものへと変わった。
「行きましょう。私にはいくら時間があっても足りません」
「そうするか。地獄の鍛錬の始まりだ」
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