第58話 奴隷、顔見知りに逢う

 キースとリゲルに連れてこられたのは、神樹の森でも最も神聖とされる、神樹のたもとだった。

 アルス・ディットランドとしては近づく機会がなかったその場所は、ある種の結界が張られ、外からは魔力が感知できないようになっていた。


「避難場所にしても、なんだか不便な生活をしているのね。簡単な小屋くらいなら、すぐにでも建てられるでしょうに」とセレティアが何気なしに口にする。


 神樹の周辺には、普通の木の数十倍の太さの木がたくさんあり、それらに穴を空け、エルフはそこに避難しているようだった。

 あちこちに空けられた穴からは、普通の金髪のエルフから、好奇とも、敵意とも取れる視線を浴びせられる。


 その中には、当然だが、俺が知っている顔もちらほら見えた。

 俺がアルスだった頃にこの地にやってきたのは、今から二十五年ほど前だが、その頃から全然変わっていない者や、少しだけ老けた者もいる。

 エルフの容貌は人間とは違い、ある時を経て、段階的に成長するという話があり、そのせいなのだろう。


「ここはエルフがこの地に降りて、最初に住んだと謂われている場所で、これ以上手を加えてはいけないんです。それに、あの穴にいるだけで、傷や魔力の回復が早くなるんですよ」フィーエルはフォローするようにセレティアに説明する。「ウォルスさんも、わかりましたか?」


 フィーエルは俺にも声をかけてきたが、その瞳はセレティアを止めろと言っているように見える。

 ここはエルフにとっては聖域で、そこに人間が足を踏み入れること自体特別。そこでエルフの生活に口出ししようものなら、何をされるかわからない、といったところなのだろう。


「セレティア、思ったことをそのまま口にするのは控えろよ。ここは聖域だ」


「……悪かったわよ。あとはウォルスに任せることにするわ」


 どうしてそうなるんだ、と一瞬思ったが、それはそれで一番問題が起きないため、そのまま反省させておくことにした。

 あとここで問題になるのは、魔法が使えないネイヤだ。


 俺とセレティアは力を見せればそれなりに認めてもらえるはずだが、ネイヤはそういうわけにはいかない。

 エルフも剣を振り回すのは野蛮と考えているフシがあり、ネイヤをただの人間同様、下に見るのは確実視される。

 相性は水と油、最悪と言ってもいいくらいだ。


「着いたぞ、中へ入れ」


 キースとリゲルに案内されたのは、巨樹の中でも一際大きい、神樹に次ぐ大きさの木の前だった。

 その木に空けられた穴の中には、テーブルや椅子が並べられ、三人のハイエルフが何やら相談をしていた。

 その三人はいずれもアルスとは既知の仲だった者たちで、どちらかといえば、人間に好意的な感情を持っているほうのエルフだ。

 だが、その三人は俺たちを視界に入れると、あからさまに不快なものを見る表情へと変わった。


「戻るのが遅いと思えば、キース、なんだその人間たちは……」


 三人の中でも、一番年を取っているホルバート・カーキィンは威厳を保つように、特に厳しい目を向けてくる。

 だが、その目が俺の背に隠れるフィーエルに向いた瞬間、ただのおっさんの姿に変貌した。


「フィーエル、フィーエルではないか、やっと戻ってきたのか」


 ホルバートは俺を無視してフィーエルに駆け寄るなり、その手を両手で握りしめ、さっきまでの顔が嘘のように頬を緩ませる。


「ご無沙汰しております。ホルバートおじさま。こちらは私の仲間で、ネイヤさん、ウォルスさん、そして、セレティア・ロンドブロ殿下です」


「――――ということは、この人間たちがお前を送ってきたのか」


「そうですが、少し違います。私は戻ってきたのではありませんから」


「……それはどういうことなのだ?」


 ホルバートは俺たちの顔を見ながら、少しずつさっきの顔へと戻ってゆく。


「ホルバート、いい加減にしな。人間の前でそんな情けない姿を見せるんじゃないよ」


 ため息を吐きながら、唯一の女であるマリエル・エルグリーンが声を張った。

 その腹の底に響く声に、ホルバートの背筋が伸びる。


「キースくん、その人間をどうして連れてきたのかな? 僕たちが納得いく説明をお願いするよ」


 最後の一人、三人の中で唯一子供の容姿をしているが、それでも実力、地位ともに、最も影響力があるハイエルフ、ヴィーオ・エルストルが無邪気な笑顔を見せながら言った。


「それは、私から申し上げます」


「じゃあ、フィーエルに頼もうかな」


 ヴィーオの指示で、リゲルがフィーエルに椅子を用意するが、俺たちに用意されることはない。

 フィーエルはアルスが一度死んだことから、命を狙われたこと、錬金人形、暴食竜ヘルアーティオに至るまで、丁寧に説明してゆく。


 その話の中でも、フィーエルはそれとなく、俺やセレティアの魔法適応レベルの高さを混ぜてゆく。


「フィーエルの話はわかったよ。それにしても凄いね。アルスほどじゃないけど、かなりの資質を持った人間を二人も連れてくるなんて」とヴィーオは無邪気に笑う。


「ヴィーオ、何を喜んでいるんだ。人間は今や、我らの敵なんだぞ。そんなことに喜んでいる場合ではない」


「そんなに怒んないでよ。本当はホルバートくんもわかってるでしょ? 人間も色々いるんだから、十把一絡げにして見るのはよくないって。僕は見る目には自信があるんだよ」


「はいはい、ヴィーオはいつも信じすぎなの」とマリエルは手をたたき、面倒そうに二人の話に割って入る。「フィーエルの話がまだ本当だと決まったわけじゃないんだし、少なくとも、本当にそんな力があるのか、あたしたちの敵じゃないのか、そこをはっきりさせないとね。キースもそう思うだろ?」


 マリエルから話を振られたキースが、俺たちに冷たい視線を向ける。


「――――そうだな、本当にそんな力があるのなら、今から証明してもらうのが一番だ。まず、リゲルとフィーエルの父である、ラダエルを救ってきてもらうというのはどうだ」


 キースの提案に、三人とも肯定の意思を示す。

 特に、同族の命がかかっているというのに、ヴィーオは唯一楽しそうにしており、心の底が読めない。


「決まりだね。少なくとも敵じゃないって証拠を見せてもらう。錬金魔法の話やアルスの件も、それが終わってからね」


 エルフの決定に、真っ先に反論を開始したのはセレティアだ。

 かなり頭にきているらしく、固く握られた拳が震えている。


「さっきから聞いていたら、好き勝手言ってくれるわね。ヴルムス王国はあなた方の力でも追い返せないんでしょう。そんな相手から、どうやってこの人数で助けろというのかしら」


 魔法に長けたエルフが苦戦するのなら、ヴルムス軍にもそれなりの魔法戦力が整えられている、と考えるのが普通の認識だろう。

 南の大陸を攻めるのなら、まず整えなければいけないのが魔法師団で間違いないからだ。


「でもねでもね、フィーエルの話じゃ、君たちは人間の中でも選ばれた存在なのは間違いないんだし、このくらいはできるんじゃないかな。それに、同じ人間なら話し合いって手もあるよ」


 ヴィーオは悪気があって言っているわけじゃない。

 昔からこういうことを純粋に楽しむ奴で、逆に、そこにそれ以外の感情が入らないのが怖い奴だった。


「あんたがどこの国の王女か知らないけど、ここはあたしたち、エルフが絶対なんだよ。あたしたちを納得させられないのなら、さっさと帰んな。その時は、フィーエルは置いていってもらうからね」


「何を勝手に決めてるのよ。わたしたちはただ――――」


 さらに反論しようとするセレティアの肩を押さえ、俺は軽く首を横に振って見せた。

 マリエルにも悪意はなく、これがいつものエルフのやり方だからだ。

 ヴルムス王国のせいで、多少酷くはなっているようだが……。


「セレティア、今は何を言っても、俺たちはヴルムス軍と同じ、ただの人間でしかない。認めさせるには、力を見せ、敵じゃないと証明できるこの方法が手っ取り早い」


「でも、相手はヴルムス王国なのよ。軍事力なら、この前のレイン王国の二倍はあるわ。あそこは血の気の多い国だから、話し合いになんて応じるわけないでしょうし、そんなの相手に三人じゃ……お手上げだわ」


 ヴルムス王国のことは知らないが、そこまで好戦的なら、ラダエルを救出するだけじゃ意味がない。救出した時点で、ヴルムス軍は総攻撃を仕掛けてくることも予想される。


 おそらく、今、侵攻を止めているのは、ヘルアーティオの出現で慎重になっているからだろう。そうでなければ、この好機を逃すわけがない。

 これこそが、邪教とヴルムス王国が繋がっていない証左でもある。


 救出するとなれば、この大陸にいるヴルムス軍と全面衝突もやむを得ない。

 その時にセレティアとネイヤに側にいられると、足枷あしかせにしかならない……。


「――――救出は、俺一人で行かせてもらう」


 セレティアが息を呑み、言葉を失っているように見える。

 それとは対照的にヴィーオは目を輝かせ、嬉しそうな表情を向けてきた。


「へえー、僕たちでも手を焼くのに、たった一人で行くんだ。それは最高に面白いね!」とヴィーオは興奮を抑えられないのか、椅子から立ち上がって叫ぶ。「その無謀っぷりは、あのアルスみたいでいいよ。だから、一ついいことを教えてあげよっかな。ヴルムス王国には、属性無効魔法を扱える者が複数いるみたいだから用心することだね」


「そうか、貴重な情報に感謝する」


 それでエルフも押されていたのか、と得心が行く。

 難度が高い、属性無効魔法を使える者を複数用意する用意周到さ。

 ヴルムス王国という国が、この地を侵攻する本気度がよくわかる。

 完全にねじ伏せない限り、侵攻は諦めないだろう。


 そう考えると、この戦いはアルス・ディットランドだった頃のほうが苦戦する内容かもしれない、と今のウォルスとしての肉体に、少し優越感にも似た感情が込み上げてくる。


「本当に一人で行くの?」


 セレティアが今まで見たことがないくらい、酷く暗い表情で尋ねてきた。

 それはネイヤも同じらしく、拳を血が出そうなくらい握り込み、悔しさを噛み殺しているのがわかる。自分の力の不甲斐なさに、怒りが込み上げているのもあるようだ。


「問題はない。それより、俺がいない間、魔法が使えないネイヤを頼む。エルフが手を出すということはないだろうが、魔法を使えない者は確実に下に見るからな」と俺はセレティアに耳打ちした。


「それはいいけど……」


 セレティアに、いつものような勢いがない。

 口に出さないだけで、今回の作戦が救出だけに終わらない、危険なものだということに気づいているのかもしれない。


「ネイヤ、セレティアを頼むぞ」


「……承知しました」


 軍を丸ごと相手にするとなると、手加減するのは無理だろう。

 属性無効魔法は厄介だが、今は体術もあるため、どうとでもなるはずだ。

 そこで一番の問題となるのは、ラダエルがまだ生きているかということだ。

 万一、ヴルムス王国がラダエルを手に掛けていた場合、俺の立場がなくなってしまう。


「確認しておくが、ラダエルという者は生きているんだろうな?」


 俺が口にした瞬間、フィーエルの顔に緊張が走ったのがわかった。

 それを目にしたマリエルが立ち上がり、フィーエルの横に行くと、その肩に手を置いた。


「それは心配いらないよ。二日後にラダエルの命か、降伏か、どちらかを選ぶように言ってきたからね」


「そうか、なら大丈夫だな」


 安堵した様子のフィーエルを見て、俺は大量に魔力が集まっている、神樹の森の南へ向け出発した。

 俺の知らないヴルムス王国、救出ついでにこの世界について、何かわかることがあればいいんだが。

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