第57話 奴隷、違う歴史を知る

 ここが、本当にエルフの里だったのかと、疑いたくなる光景が広がっていた。

 黒く焼け焦げた家々は、強烈な煤のニオイを発し、緑豊かだった里の風景はどこにもなかった。

 俺が知っている風景は、フィーエルが生まれ育った風景でもある。

 その全てが失われてしまった風景を前に、俺以上にフィーエルは衝撃を受けていた。


「みんなは、……どこに行ったのでしょうか……」


 不安に満ちた表情で里を見回すフィーエルの魔力は、その見た目以上に揺らぎ、動揺している様子がはっきりと表れている。


「里は全壊しているようですが、エルフの姿がないということは、どこかに避難しているのではないでしょうか」


「ネイヤの言うとおりだろう。どこか違う場所に――」


 刹那、強い殺気が俺たちを包み、問答無用で風属性の一等級魔法が放たれた。

 襲いかかる魔法は、局地型封閉風斬ふうへいかざきり魔法。

 風の渦で動けなくしたうえで、閉じ込めた者を斬り刻む、殺傷性が極めて高い魔法だ。


「最初から生かすつもりがないのか」


 フィーエルは自分に対する攻撃に驚いて対処できず、ネイヤは魔法への対処のしようがなく、セレティアにいたっては、反応できず、反応しても対抗する魔法がないため、この魔法に対する対処は、全て俺に委ねられた形になった。


「……もう少ししっかりしてくれ」


 俺は右手を天高く掲げ、無属性の二等級魔法である重力式防楯ぼうじゅん魔法を発動する。

 無属性に相性問題はない。

 ただし、ありとあらゆる魔法に対処可能だが、時間制限があったり、単純に魔力の強さで簡単に破られるという特性を持つ魔法が多い。

 しかし、俺が放つ二等級魔法は問題なく局地型封閉風斬魔法の方向を変え、地面を斬り刻ませてゆく。


「突然こんな魔法をぶつけるとは、どういう了見だ」


「私です、フィーエルです。こんな危険な魔法を使うなんて、何があったのですか」


 俺が敵意を向けて叫ぶのと同時に、フィーエルはフードを取って同族へ向けて訴えかけていた。


 俺の声だけでは、おそらく、その男たちは反応しなかっただろう。

 フィーエルの姿を確認するように、二人の男が里を囲む森の中から姿を現した。

 一人はフィーエルの兄である、リゲル・アルストロメリア。

 この神樹の森のエルフの中で、俺の力を最初に理解し、周りのエルフを説き伏せてくれた者だ。


 だが、もう一人には見覚えがない。

 リゲルよりも見た目も年上で、二人の態度を見ると、リゲルよりも上の立場のように見える。


「キースさん……兄さん……」


「フィーエル、その人間どもは何だ。あの人間についていったかと思えば、今度はわけのわからぬ者を連れて帰ってくるとは、何を考えている」


「アルスはどうしたんだ、お前はアルスの側にいたいと、この地を離れたのではなかったのか」


 フィーエルが呼んだ名前からすると、あれがフィーエルの魔法の師である、キース・クロウェルでほぼ間違いない。

 エルフの中でも、特に人間嫌いという話で、一度も俺の前に姿を現さなかったハイエルフだ。


「そんな話はどうでもいい。俺たちにこんな攻撃をして、どういう了見だと俺は聞いたはずだ」


「人間風情が、ハイエルフである、このキース・クロウェルに楯突くか。蟻のようにウジャウジャと湧き、このエルヴリヌの地を穢す人間どもめ」


 キースはありえないほどの憎しみという感情を、俺たちへとぶつけてくる。


「ちょっと待て、この地を穢すとは聞き捨てならないな。何か勘違いしているんじゃないのか」


 キースは馬鹿にするように鼻を鳴らし、再び魔法を練り始める。


「どうやって海竜の目をかいくぐってきたかは知らぬが、貴様らも薄汚い人間の国、ヴルムス王国の手先であろう。先日はヘルアーティオに似た魔物で我らの里を襲いおって」


「待ってください。兄さんもキースさんを止めてください」フィーエルが俺とキースの間に割って入り、両手を広げる。「ここにいるのは、ユーレシア王国の王女殿下です。それに海竜はここにいる、ウォルスさんが倒したんです」


 キースとリゲルの目が怪訝なものになり、虫けらを見るような目で見つめてくる。


「あの海竜を倒しただと? あの海竜はフィーエル、お前でも倒せぬ魔獣だぞ。たかが人間一人に……」


 キースはそこまで口にして、何かを考えるように黙ってしまった。


「セレティア、ヴルムス王国というのは、どこに位置する国だ?」


 聞いたこともない国名に、俺も戸惑いを隠せないでいた。

 この南の大陸に押し寄せているというヴルムス王国。

 ユーレシア王国のような弱小国が、エルフが手こずるほどの力を持っているとは思えない。

 だが、俺の記憶に、エルフの地に侵攻するだけの力と野望、両方を兼ね備えた国で、そんな名の国はなかった。


「何を言ってるのよ。北の海岸線を支配してる国じゃない」


「待て、北はレムート公国やサフィロス帝国、それにバヌエル共和国があるだろ」


「……そんな国、聞いたこともないわよ。何を言ってるの?」


「セレティアこそ、何を……」


 俺の言葉に、セレティアが冷たい視線を返す。

 ネイヤに顔を向けても首をかしげられ、「北の海岸線は、昔からヴルムス王国ですが」という答えが返ってきた。

 その後のネイヤの説明から、ヴルムス王国はレムート、サフィロス、バヌエルの三つを合わせた国でほぼ間違いないということがわかる。


 俺が最初に感じていた違和感が、ここへきて一気に具現化し、襲ってきた錯覚に陥る。

 ユーレシア王国の時は、あまりに弱小国ゆえ、俺や周りが存在を知らなかっただけかと思っていたが、あったはずの国が存在していなく、さらに、その三つを統合したような大国を俺が知らないというのは、説明がつかない。


 ――――今まで微妙に形が合わず、しっくりこなかったピースが、ここへきてぴったり合ったような気さえする。


 俺が転生したことで、歴史が変わってしまったとしか思えない状況が生まれたのだ。

 どうしてこんなことになっているのか、どこまで違っているのか、その線引すらできないことがもどかしく、もっと情報を得たいという強い欲求が俺を支配し始める。

 だが、これは俺個人の問題で、誰にも関係のないことだ。

 今はただ目の前の、優先すべきことを……。


「さっきの私の魔法を防いだのは、貴様の無属性魔法か……まあ、貴様らがヴルムスと関係がないのなら、見逃してやってもいい。さっさとここから去れ」とキースは俺たちに背を向け言い放つ。


「そういうわけにもいかないんでな。俺たちはエルフに用があってここへ来たんだ」


「我らは人間などに用はない。――――フィーエル、お前はここへ残れ」


「イヤです。私は里に戻ってきたのではありませんから」


 背を向けているキースは、顔だけをリゲルへと向ける。


「いつからお前の妹は、こんなあばずれになったのだ。あの男を追いかけて里を抜け、戻ってみれば、わけのわからん連中を連れてきてあの始末。――――どうせあの男に捨てられたのだろうが」


「アルス様を悪く言うのはやめてください。たとえキースさんでも許しません」


 二人が睨み合い、不穏な空気が漂い始める。

 どうして俺の名が出るだけで、こうも問題ばかり起きるのか、と頭を抱えずにはいられない。


「悪いが、フィーエルと離れるつもりはない。俺たちはフィーエルの意思を尊重する」


「――――そうか、ならばこちらもフィーエルの意思に頼るとしよう」


 キースがリゲルに目で合図をし、リゲルが重苦しい表情でうなずいた。


「フィーエル、驚かずに聞いてくれ。父上は、……この地に侵攻しているヴルムス王国に捕らえられてしまっている。今は、この里を襲った竜のせいで戦力も大幅に落ち、助けたくとも出来ない状況が続いている。お前の力があれば、父上を救出することも叶うかもしれない」


 話を聞き終えたフィーエルは、震える拳を握りしめ、訴えかけるような瞳を俺へと向けてきた。

 たとえ、どのような事情があろうと、私情で方針を変えるつもりはない。

 それはセレティアも同じはずだ。

 フィーエルもそれは理解しているため、首を縦に振ろうとはしない。


「己が父の命がかかっているというのに、尚、人間にくみするというのか」


 フィーエルを睨みつけるキースの目は、既に同族に向けられる類のものではなくなっている。

 これに耐えるフィーエルは痛々しく、流石にこれを放置するわけにはいかない。

 それに、俺がキースの言うことを聞く義理もないのだ。


「フィーエルを責めるのはお門違いだ」


「なんだと?」


「俺たちは、端からここを離れるつもりはないんだからな」


 キースとリゲルは、俺の言ってることがわからない、といった目を向けてくる。

 それは警戒という形であらわれ、二人ともいつでも魔法を放てる態勢を取った。


「俺たちはエルフの錬金魔法について、聞きたいことがあってここへやってきただけだ」


「どうしてそれを」とキースはその冷たい瞳をフィーエルへと向ける。


「その錬金魔法を使って、死者を生き返らせたように見せかける者が現れた。お前たちが相手にしているヴルムス王国に、不死者はいないか?」


「戯言を……そのような者は知らぬ」


「そうか、……それなら里を襲った者と、そのヴルムスは直接は関係ないはずだ。ただし、ここにフィーエルがいれば、再びその竜が襲ってくることも考えられる」


「どういうことだ? あの竜はフィーエルと関係があるとでも言うのか」


「錬金魔法とも関係ある話だが、少しは会話をする気になったか?」


 渋い表情を隠そうともしないキースは、その表情のまま俺を睨みつけてくる。

 それは俺個人というよりも、人間に対して恨みがあるように、酷く重たいものだ。


「……いいだろう。付いてこい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る