第56話 奴隷、エルフの地に立つ
人間が多く住む北の大陸をヒューヴリヌ大陸と呼ぶのに対して、南の大陸はエルフが住むエルヴリヌ大陸と呼ぶこともあるが、種族を分けることになるため、今となってはそう呼ぶ者は少ない。
だが、その呼び方を頑なに崩さないのが、そのエルフ自身だ。
人間はエルフの下位種族、という位置づけを決して変えようとはしない。
それを変えることができたなら、偉業の一つに加えられることだろう。
この偉業に挑戦した者は数多いが、誰一人として成功した者はいない。
俺も挑戦した一人であり、失敗した者でもある。
「本当にベネトナシュたちを置いてきてよかったの?」とセレティアが沖合に錨泊している海賊船を見つめながら口にする。
南の大陸への上陸は、小型の手漕ぎボートに乗ったいつもの四人だけで実行し、ベネトナシュたちは海賊を監視してもらうため船に残ってもらった。
あまりに長期間離れそうなら、連絡を入れてもらい、一旦帰港してもらっても構わないとは伝えている。
「問題はない。逆に上陸したほうが問題が出るはずだ。海賊船もそうだが、エルフに会うには、ベネトナシュたちの実力では足を引っ張る」
「エルフって結構過激なのね」
「海竜を使ってまで、人間の往来を拒絶するくらいなら、何をされるかわかったもんじゃない」
「フィーエル、頼んだわよ」
セレティアから期待が込められた目を向けられ、フィーエルは困った表情を見せる。
「私は神樹の森を飛び出した身ですから……期待に応えられないかと思います」
「ねえウォルス、どういうことかわかる? 仲間のハイエルフであるフィーエルがいても、わたしたちまで拒絶されるなんておかしいでしょ」
「まあ、アルス・ディットランドの印象が最悪だからだろう。フィーエルも人間側のエルフと見られていても不思議じゃない」
フィーエルに確認の意味で顔を向けると、儚い笑顔を返してきた。
「どうしてよ、北の大陸には他にもエルフがいるじゃない」
「ハイエルフはただのエルフじゃない。それに許可を得ず森を飛び出したようだし、結果的にとはいえ、フィーエルを奪った形になったアルスに対する反感は、相当なものだと俺は判断するが」
「そこまでしてここを離れたフィーエルの気持ちがわからないなんて……女心を理解してあげないなんて、エルフって心が狭いのね」
セレティアは髪の毛を指にクルクルと絡ませながら、いかにも自分は理解してますと言いたげな表情でフィーエルを見る。それに対し、フィーエルは「そうなんです」とセレティアの手をとり、力強く答えた。
そんな二人を見つめ、その輪に入っていきたそうな表情を浮かべていたネイヤが、俺に救難信号を送るような顔を向けてきた。
一歩踏み出すのを躊躇っているのは明らかで、無理をして入る必要はないぞ、などと考えながら、俺は返答する候補をいくつかに絞る。
「二人は放っておいて、さっさと神樹の森に向かうか」
「え、あ、はい」
戸惑うネイヤを見て、選択を間違えたことはすぐに理解できた。
◆ ◇ ◆
南の大陸は、カーリッツ王国の三倍ほどの面積しかない小さな大陸で、大きめの島と言ってもいいレベルかもしれない。
その大半は豊かな森に囲まれているため、あらゆる資源が手つかずのまま眠っており、狙っている国も多い。
資源量はカーリッツ王国に匹敵すると思われるが、その全容は今もなおはっきりとはしていない。なぜなら、エルフは資源調査すらせず、させることも許さないからだ。
そのため、この地にやってくる人間はまず、その資源を狙っていると疑われるのが通例だ。
神樹の森に近づけば、エルフからの反応が必ずある。
森には飲水も食料となる動植物も豊富にあるため、野営するには事欠かず、セレティアが同伴でも、その地点までは問題なく進むことができた。
「まだ着かないの? もう、どこまで行けばいいのよ」
ネイヤの肩に掴まりながら、セレティアが力のない声を上げる。
上陸してからかなりの距離を移動し、以前なら、既にエルフからの警告なり威嚇なり、何らかの反応があってもいいはずなのだが、それが一向にない。
「フィーエル、神樹の森は近いんだよな」と俺は再確認の意味で、知らぬふりをして尋ねた。
「もうすぐそこです。通常なら、もう接触してきてもいいはずなんですけど」
海竜を放ってまで拒絶した理由と関係があるのか、それとも、ヘルアーティオと関係があるのか、この状況だけでは判別がつかない。
「何かニオイませんか?」
突然、ネイヤが鼻をひくひくとさせ、周囲のニオイを嗅ぎだした。
それに釣られるようにセレティアとフィーエルも嗅ぎ出すが、二人の表情からはネイヤに賛同できないのが見て取れる。だが――――。
「ほんの微かだが、焦げたようなニオイはするな」
不穏な気配に魔力感知を広げ、神樹の森にあるエルフの里まで範囲を広げるが、そこに本来あるはずの、魔力が全く感じられない。
エルフは魔力操作に長け、全員魔力を抑えることもできるが、里にいる者まで抑えるというのは不自然であり、合理性に欠ける。
「少し速度を上げるぞ」
「え? 本気で言ってるの? わたしは休憩したいんだけど」
「嫌なら俺がおぶってやるが」
「結構よ。そんな恥ずかしい真似、できるわけないでしょ」
鼻息を荒くするセレティア。
掴んでいたネイヤの肩から手を放すと、大地を思い切り踏みしめ前へと進み始めた。
「まだまだ体力が残ってるじゃないか」
「うるさいわねっ!」
気力が戻ったセレティアは、今までよりも速度を上げ先頭を歩く。
予定よりも早く森を抜け、神樹の森にあるエルフの里が見える丘に辿り着いた時、その足がピタリと止まった。
「これはどういうことよ……」
「里が……」
「ウォルス様、エルフの里が」
俺たちの目の前に広がるエルフの里。
ありとあらゆる建物は焼け崩れ、里の中心には抉ったような巨大な穴がいくつも広がっていた。
その姿は、もはや里という体を成していない。
「ヘルアーティオか」
魔法に長けたエルフたちの里を、ここまでやれるのはヘルアーティオくらいしか思いつかない。
里以外の神樹の森は無傷で、大陸の中心に位置する神樹の巨木も傷つけられた形跡は見当たらず、ピンポイントで里を狙ったのがよくわかる。
「とにかく、今は里まで行くぞ」
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