第55話 奴隷、王女はポンコツだと再認識する
シュレスターを出港して二〇日が経過した頃、初日から船酔いで倒れていたセレティアが、やっと鍛錬ができるまで回復して船上に姿を現した。
風属性魔法があるなら、体を浮かせるなり、平衡感覚を補うなりして慣れさせるのが普通なのだが、船に乗ったことがなかったセレティアはそれをする暇もなく倒れ、一〇日は全く動かなかった。
「きっとこの海賊船の性能が悪かったのよ」
「セレティアの対処の仕方が悪かっただけだ。俺の忠告を無視して、揺れを楽しもうとしてただろ」
「初めて乗れば、そうして当然でしょう」
全く反省のないセレティアの肩に、フィーエルが背後から手をかけた。
「二〇日も鍛錬を怠るのは問題です。今から集中的に鍛錬をしますから」
「……わかってるわよ」
病み上がりに等しい状態で、いきなり厳しい鍛錬は大変だろうが仕方ない。
エルフはフィーエル以上に、人間の魔法師には厳しい目を向ける。
半端に使うくらいなら、使えないほうが人間らしいとさえ思う奴らも多いくらいだ。
「エルフと友好関係を築くのなら、セレティアの魔法が鍵になる」
「任せておきなさい。エルフをも唸らせる――――」
――――カーン、カーン、カーン!
大海原に鐘の音がけたたましく鳴り響く。
それは食事の合図でも、交代の合図でもない、この二〇日間で聞いたことのない激しい音だ。
「方位二一〇、大型生物接近中! ウォルスの兄さん、あんたたちの出番だぜ!」
マストの上にある見張り台から、酒焼けしたしゃがれ声がかけられる。
男はさらに、大型生物を大海蛇と断定してきた。
「ウォルス、気持ち悪いのが近づいてくるわよ……」
セレティアが怯えた声を出すと、俺の背にすばやく隠れた。
目視でも不自然に海面が盛り上がり、大型の魔物が近づいてくるのがわかる。
だが、大海蛇にしては魔力が高く、さらに大きさも巨大すぎる気がしてならない。
「セレティア、隠れてないで魔法の一発でも撃ったらどうだ。鍛錬にはもってこいだぞ」
「やろうとしてるわよ! でも上手く魔力が練れないの!」
セレティアは不安定な船上と、海という、戦場としては人間が苦手とする場所で、精神を安定させることができないようだ。
「――――ポンコツめ」
「何か言った!?」
「いや、別に……」
巨大な魔物は接近しながら海中へと潜り、船体の下を通過する。
黒い影は船体の何倍もあり、その体は大海蛇としては規格外の大きさだ。
それを目にした海賊からベネトナシュ、ネイヤまでが完全に固まってしまっている。
フィーエル以外には気づかれないように、無属性魔法で船体を強化してみたが、もはやそういうレベルではなかった。
船体は魔物が通り過ぎただけで大きく揺れ、本体の攻撃を喰らえば、簡単にひっくり返るのは確実で、それは誰もが理解できていた。
「これは大海蛇なのか?……」
俺の独り言に、フィーエルだけが反応して首を振った。
「……違います。これはエルフが召喚した魔獣、海竜で間違いないです」
「海竜だと? エルフがそんなものを放っているということは、人間を近づけさせたくないのか」
「普段はここまでやりませんから、そういうことになります」
暴食竜ヘルアーティオが飛んでいったのはつい先日のことで、この海竜とは関係ないと言い切れる。つまり、エルフが人間を拒む理由が他にあったために、海竜を放ち、このルートを遮断したというのが合理的な答えとなる。
「二人で何を話してるのよ、早くあの魔獣を倒さないと、船が沈んじゃうじゃない」
セレティアが、足元から恐怖に染まった目を向けてくる。
いくら魔法が扱えても、それをいざという時に使えるだけの精神力がなければ、全く役に立たないというお手本を、今のセレティアは見せてくれている。
セレティアにはこっち方面の鍛錬と、防御に関する魔法を鍛えたほうが合っているのかもしれない、とこんな状況ながら考えてしまった。
「ウォルス様、海竜というのは地上の魔物でいえば、どのレベルなのでしょうか」
ネイヤがマストに掴まりながらも、剣の柄に手を当て、やる気を見せている。
「俺も詳しいことはわからないが、アルギスの竜より上なのは間違いないだろう」
俺の言葉を肯定するように、フィーエルも首を縦に振ってみせる。
それを見たネイヤが、頭を下げて、柄から手を放した。
「申し訳ございません。この状況では力になれそうにありません」
「海上では主力は魔法師だからな、そこまで卑下する必要はない。若干一名、離脱したのは想定外だが」
セレティアに目を向けるがそれどころではないらしく、もはや瞼も開いていない。
今、戦力となり得るのは、俺とフィーエルの二人ということになる。
「フィーエル、俺の周りを空気で包んで、海に放り込んでくれないか」
「わかりました」
ネイヤたちから、信じられないという目を向けられるが、こればかりは仕方がない。
力を制限したまま、船上から海竜を倒すのは無理があり、フィーエルの得意属性である風属性は、海中の魔物との相性がすこぶる悪い。
そして何より、時間をかければ、倒すよりも転覆するほうが早いということだ。
海中なら多少無茶をしても誰にも見られないため、この戦術以外使えないというのが一番の理由だ。
フィーエルもそれがわかっているため、次の瞬間、俺を海の中へと沈めていた。
「空気層があるから視界は良好だな」
海中を見回す限り、海底など全く見えず、薄暗い世界が延々と続いている。
この薄気味悪い深緑色の世界に、海竜の姿は見えない――――が、そいつは俺の足の下にいることは魔力で把握できていた。
水中では力が発揮できない一等級魔法である局地型巨大水槍魔法を、無属性魔法で熱を奪うことにより、氷槍魔法へと変換する。
「――――やっと姿を現す気になったか」
魔法の準備をして待機していると、海竜は船体の真下の深海から、一気に浮上してくる。
それは今まで何もなかった深緑色の深海から、船を丸ごと飲み込めるほどの口を開け、凄まじい速度で上昇してきた。
その顔は、凶悪な竜そのもの。
アルギスの竜の比ではなく、どちらかと言えば四大竜に近い。
「エルフの言いつけを守ってるだけだろうが、船を壊させるわけにはいかないんでな」
俺が放った氷槍魔法は、海竜を上回る速度で海中を下降し、その大きく開いた口から海竜を串刺しにした。
傷口から吹き出す鮮血。
海中に響き渡る海竜の絶叫。
海竜は大きな泡を大量に噴き出しながら、一瞬にして海を真っ赤な色に染め上げると体を痙攣させる。
俺が海面に頭を出すのとほぼ同時に、その巨大な死骸もゆっくりと浮上し、小島のように海面に横たわった。
それは船の横に突然現れた山のようで、船体はその陰に完全に隠れてしまう。
そのあまりに巨大な姿を前にして、ネイヤたちの目が点になるのが見えた。
「終わったぞ。もうマストにしがみついている必要はないと思うが」
俺が船上に戻ると、ネイヤやベネトナシュたち、フィーエルが駆け寄りってくる。
表情は皆一様に明るく、さっきまでの緊張が嘘のようになくなっていた。
しかし、お疲れ様やら倒した方法についての質問やら口にしても、決して褒めることはしない。
すると、最後にセレティアがやってきた。
ただ一人、まだ緊張が消えていない表情のまま。
「ウ、ウォルス、よくやったわ……褒めてあげる」
「無理するなよ。まだ震えてるぞ」
「ふ、震えてないからっ!」
勝ち気な笑顔を見せるセレティアだが、両膝はまだガクガクと笑っている。
その姿に、俺は軽くため息を吐いた。
「フィーエル、これからセレティアには、防御中心の魔法を教えてやってくれ」
「わかりました」
翌日から、南の大陸に到着するまでの間、セレティアは攻撃魔法の一切を禁じられ、防御魔法のみを徹底的に叩き込まれていた。
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