第2話 奴隷、王女殿下と出会う
「ウォルス・サイ、ただいま参上いたしました」
「おもてを上げよ、ウォルスよ」
少し頼りない声が謁見の間に響く。
ユーレシア王国、そこはカーリッツ王国から四つほど国を跨いだ位置に存在していた。
周辺国から押しつぶされるような形で、どうして存在しているのか、首をかしげたくなるほどに小さかった。実際、カーリッツ王国の王都くらいの大きさしかない。
これなら、俺が知らなかったのもありうる話だ。
謁見の間の床につけた額を上げると、玉座には声の主である王が、居心地が悪いのかオドオドとしており、その横には、王女らしき人物が立っている。
王女は金色の髪が美しく、こんな田舎の弱小国にはもったいないとさえ思えるほどに、顔貌が整っている。
「お父さま、わたしに護衛奴隷なんて必要ないです」と王女が俺の顔を見て、きっぱりと言い切った。
その王女の態度に、王はさらに焦りだし、「昨日までは納得しておったではないか。盟約を結んだサイ一族が推してきた、有能な者なのだぞ」と俺と王女、二人の顔を交互に見て、今にも泣き出しそうになっている。
こうなることがわかっていたかのように、謁見の間には他の者はいない。
奴隷の前で、こんなに情けない姿を見せる王がいるとは思わなかった。
こんな調子では、この王女に、クラウン制度でそれなりの武功を上げさせなくては、国が傾いて俺の命が危うくなってくる。血契呪は何代も前に結んだもので、そんなものの解呪を探るより、武功を上げさせるほうを優先するべきなのは明白。
だが王女は、俺の意に反し「奴隷なんて、テーブルマナーも知らないでしょうし、教えるのが面倒だもの」と全くその気はないような発言を続ける。
「そのくらいどうとでもなるではないか。なあウォルスよ、そちからも言ってやってくれ」と王は俺へ懇願するように言ってきた。
クラウン制度は、冒険者にまざって泥水を啜る覚悟も必要で、常に他国からの刺客にも狙われる危険なものだ。マナーがどうこう言う時点で、それを理解しておらず、甘く見すぎている。
ここはクラウン制度で名声を得た元王子として、王ともども説教をしてやりたいところだが、とりあえず目先の問題を解決するのは容易なため、ひとまず話に乗ることにした。
「テーブルマナーなら完璧です。それよりも、私を護衛奴隷にされたということは、クラウン制度の件だと思うのですが、王女殿下の実力はどの程度なのでしょうか?」と俺は挑発気味に言う。
王女はキョトンとした顔でしばらく間をおくと、「奴隷なのにテーブルマナーを知っているの? じゃあ見せてもらおうかしら。わたしの実力は、それに合格したら見せてあげるわ」とだけ言って後ろに下がっていった。
王は王女が条件を呑んだことにホッとした様子で、「では、早速食事の準備をさせよう。ウォルスよ、余を失望させんでくれよ。セレティアは一人で行くと言い出したら、絶対曲げぬ性格なのだ。なんとしても、そちを同行させねばならん。セレティアに危険が及べば、そちの命も危ういのだぞ」と俺の契約主が王女だとバラした。
呆れて何も言えなくなった。
俺は全てを知っているため、護衛奴隷と聞いた時点で契約主はわかっていたが、通常、契約主を奴隷にバラすような真似はしない。血契呪の契約主の血縁者は、それだけでその奴隷を拘束できる力を持っている。それゆえ、あえて契約主を教えるなどの危険をおかすことはない。奴隷が第三者を使って、直接解呪方法を探る可能性が発生するからだ。
契約主がわかると、死なせるわけにはいかない、という意識も芽生えるが、それは俺という個人を知ってからのほうが安全なはずである。
――――ようするに、この王は危機管理能力が欠如した馬鹿だということだ。
「わかりました。陛下のご期待を裏切らないことを、お約束いたします」と俺は平静を装って答えた。上手くできた自信はなかったが、この王は素直に俺の言葉を受け取り、安堵しているように見えた。
それから、窓から見える陽が少し傾いた頃、俺は食器が並べられた食堂に連れてこられた。
俺が知るレベルの、半分以下の品質のそれらは、質素とも奥ゆかしさとも取れるギリギリのラインだ。
今までの奴隷の生活からすれば、天国のような贅沢なものではあるが。
「よく逃げなかったわね」
「逃げる理由がありませんから」
王女は腰に手を当て、自信満々の態度を俺へと向けてきた。
侍女が椅子を引き、俺が席へ着くと、懐かしい空気が一帯を支配し始める。
この十七年間無縁だった、食事という時間だ。
奴隷生活での食事は、ただ生きるために食べるだけで、楽しむものではなかった。
装飾が施された銀のナイフとフォークを見ているだけで、心が踊り、王子だった頃の感覚が蘇ってくる。
そんな気分に浸っていると、俺の目の前にだけ皿が持ってこられた。
王女はその様子を目を細めて眺め、「いつでも食べていいわよ」と強気の態度を崩さない。
俺は呼吸をするように、自然にスプーンを手にし、十七年ぶりの食事を楽しむことにした。
流れるように動く俺の手に迷いはなく、無駄がない洗練された動きで、音一つ立てずスープを飲み干し、ナイフとフォークを手にすれば、皿に盛られた料理を切り分け口へと運んでゆく。
流石に味は一流と言って差し支えないもので、危うく懐かしさで涙が出そうになった。
完璧なまでの動きに、完全に勝ったという自信を持って、俺は王女へと目を向けた。だが、その王女は厳しい目を俺に返してきた。
「不合格ね」と王女は冷たく言い放つ。
俺は耳を疑った。
王女の言っている意味が理解できなかった。
俺のマナーは完璧である。
この十七年で、テーブルマナーが変わるなんてことはありえない。
俺はすかさず王女に、「ならば、合格のお手本を拝見したいのですが」と静かに言った。
王女は、見ていなさい、とばかりにスプーンを手にし、侍女が持ってきたスープに手を付けた。
俺はそれを見て気づいてしまった。
そのあとも、王女のナイフとフォークの使い方を目の当たりにし、確信することになる。
――――このユーレシア王国のテーブルマナーは、カーリッツ式ではなく、西の大国である、セオリニング王国のセオリニング式だった。
周辺国は全てカーリッツ式なのに、どうしてここはセオリニング式なんだ、と頭を痛めたのも一瞬。すぐに俺は、「それはセオリニング式ですね。すみません、この辺りはカーリッツ式が主流だとばかり思っていたもので」と自分にもセオリニング式のマナーは扱えることをアピールした。
「セオリニング式? なんのことかしら?」と王女は真面目な顔をして答える。
「だから、マナーのことですよ。王女殿下のテーブルマナーは、セオリニング王国のものでしょう」
「知らないわよ、そんなの」
他国の者と会食したことすらないのか、と喉まで出かかったが、俺は黙って行動で示すことにした。余った料理を、完璧なまでのセオリニング式で食べ、セオリニング式もマスターしている姿を王女に見せつけた――――が、王女はこちらを見ていなかった。
「すみません、私もセオリニング式マナーをマスターしているんですが……」と俺は怒りを抑えて口にした。
王女は笑いを堪えるようにして、「わかってるわよ、合格よ」とあっさり俺を認めた。続けて、「戦闘しかしらない奴隷だと聞いたから、品も何もないんじゃないかと思ったけど、そうじゃないようね。それに、感情を抑えて、自分を制御できるみたいでよかったわ」と俺を品定めしていたような発言をした。
「私を試していたのですね」
「わたしは、信用できない者は貴族であろうと、奴隷であろうと、嫌なだけよ」
「では、私は王女殿下に認められた、と思っていいわけですね?」
「及第点だけどね」
この俺を試しただけでなく、及第点だと?
怒りを通り越して、笑いが込み上げてきたが、それすら俺は表に出さないようにした。
「では、次は王女殿下の番、というわけですね」とだけ言って食事を終わらせた。
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