第3話

 対人能力向上アンドロイドが来てから一週間ほどが経ち、最初の変化が訪れた。それは麻里子の声だった。


 それまでのぶっきらぼうな低いぼそぼそ声が、高く明るいトーン、いわゆる女の子らしい声になった。

 母親は「家の中が明るくなったわ」と喜んだが、理加子の目には、四十を過ぎた白髪とこじわの目立つ中年女の子供じみた話し方には違和感しかなかった。


 しかし、自分が仕事で家を空けている間、姉と二人きりで家にいる母にとって、それは喜ばしい変化であり、姉自身も幸せなのだろうと自分を納得させて何も言わずに見守ることにした。


 麻里子は相変わらず、自分の部屋に閉じこもっていることが多かった。変わったのは、室内にアンドロイドが一緒にいることだった。


 次に訪れた変化は、麻里子宛に届く宅配の荷物だった。


 それまでの、ストロング酎ハイとスナック菓子の安売り店の箱が、スパークリングワインとやたらと少女趣味な洋服のブランドに代わった。

 それを業者から受け取る役目は、母親からアンドロイドへと移り、母親は手間が省けたと言って喜んだが、里加子は、その変化の意味するところがわからず、姉がトイレや風呂を使う時に時折見かける派手な服に困惑するばかりだった。


 しかし、服装の次に、行動にも変化が訪れた。自室ではなく階下のダイニングで母や理加子と共に食事をするようになったのだ。必ず、アンドロイドを傍らに侍らせているとはいえ、それは回復の前兆に思われた。麻里子も母親も目に見えて笑顔が増え、家の中には明るい雰囲気が満ちてきた。


 それらの変化は、姉の麻里子をして「リカちゃん。アンドロイドのこと、ありがとう」とウキウキした調子で礼を言わせるに至った。


 その表情に、理加子は見覚えがあった。


 ――あの時と同じ表情だ。


 特異点シンギュラリティ・ポイントから落ちる数か月前、姉の携帯に電話がかかってきた。当人がトイレに言っていたので、そのことを告げると、姉は電話を手にいそいそと自分の部屋へ入って行った。少しの間、部屋からくぐもった声がぼんやり聞こえてきたが、その後、部屋から出て来た姉は上気した顔で「ありがとう」と理加子に言ったのだ。


 ――あれは恋人もしくはそうなりたいと姉が願っていた人からの電話だったのだろうか。あのアンドロイドは、あのときの人にでも似ているのだろうか。


 理加子はこうした変化について、おそらくアンドロイドの従順さと、丁寧で穏やかな口調と物腰、巧妙に否定的な言葉を避ける物言いが、母と姉の気に入ったのだろうと推察した。また、母の様子を見ていると、次々と新たなことを覚えて学習して成長していくという目に見える変化に、育成する楽しさのようなものも感じさせるのだろうと考え、「なるほど、このようにしてアンドロイドは、周囲の人間を幸福にするものか」と納得し、感心さえしていた。

 その一方で、里加子には、どこかで母と姉を馬鹿にする思いもあった。


 ――この程度の機械人形にあっさり騙されちゃって。

 ――やっぱり、母も姉も、特異点シンギュラリティ・ポイントより下だから。

 ――自分は違う。


 ある日理加子は、キッチンでアンドロイドをつかまえ、こう聞いてみた。

「ねぇ、私が今、何を考えているかわかる? 答えてみて?」


 ――私は母や姉と違って、アンドロイドを自律型の機械人形だとわかっている。自然で丁寧な印象の受け答えも単なるディープラーニングの結果に過ぎないって理解できている。アルゴリズムに従って相手の忌避感を避け、当たり障りのない対応をしているだけだと理解できるし、あの人たちと違ってチョロくいい気分にさせられたりしない。

 うすぼんやり暮らしているあの人たちと違って、私は自分自身の感情にだって自覚的だ。私は今、お前のことを嫌っている見下しているキモチワルイと思っている。答えられるものなら答えてみろ。


 アンドロイドは、理加子に挑戦的な視線を投げかけられながら、シ――――――と音を立てて理加子を見つめていたが、やがてぽつりと言った。


「ワカリマセン」


 ――ほぅら、やっぱり所詮は機械人形だ。


 理加子はにっこりとアンドロイドに微笑みかけた。


「いいのよ、お前は、わからなくて」


 その時、里加子の頭上から声がした。


「何してるの? シャルル?」


 声のした方を振り仰ぐと、階段からフリルをひらひらめかせながら姉が降りて来た。そして、里佳子に気づくと、ややバツの悪そうな顔をした。


「……シャルル? って、何?」


 眉根を寄せて質問する理加子に、麻里子は落ち着きなく視線を彷徨わせながら答えた。


「名前。付けたの。名前がないと、呼びにくいでしょう?」


 そう答えた姉の顔にラメの入ったアイシャドウを認めて、それについても何か言いたくなったが、それは止めておいた。再びアンドロイドの顔を見る。なるほど、複数の人種を織り交ぜたような端正な顔立ちは西洋的な雰囲気がなくもない。しかし、シャルルって――。


 困惑顔の理加子が口を開きかけたとき、怒声が頭上から降りかかってきた。


「いいじゃない! 何だって! なんだから!」


 麻里子は以前のようにドスドスと音立てて階段を上り、途中で止まって金切り声で「シャルル早く来なさい!」と叫んだ。それから、バタン!と大きな音を立てて部屋のドアがしまった。


 シャルルは、シーカシカシ、カシカシといつもの音を立ててから理加子に向かって律儀に一礼し、階段を上って行った。


 後に一人残された格好の理加子は、姉の態度に胸がつかえたような感じを覚えた。コップに冷たい水を汲んで、ひと口飲む。


 ――本当に対人能力が向上しているの?


 浮かんでくる疑問を、「いやいや、まずは抑鬱状態への対処をして、その後で新たな別な変化をもたらしてくれるのだろう」と、水と一緒に無理やり飲み込んだ。


 しかし、やがて看過できない変化が起きた。


(続く)

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アンドロイドの向こう側 黒井真(くろいまこと) @kakuyomist

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