第2話
「お姉さんの具合はどう? 少しは君の負担が軽くなったのなら、いいんだけど」
「ええ、ありがとう」
恋人の嶋との会話の中でも、話が姉のことに及ぶと、理加子は額に汗がにじむのを感じる。
自分がしてきた姉についての説明は間違ってはいない、はずだ。だから、神経が繊細な人だから能力を誇示しあう苛烈な競争に耐えられなくなって、それで心を病んでしまった――という私の説明は間違ってはいない。ただ、彼の解釈から生まれたイメージが現実に即していないのは、ちょっとした行き違いが生み出した誤解だ。
実際のところは、気に入らないことがあると大声で喚き散らし、階段をドスドス踏み鳴らし高アルコール飲料とジャンクフードを部屋に持ち込んで立てこもっている四十過ぎの中年太りの女だ、と自分の交際相手に説明してしまうのは姉を貶めることになるので、配慮として敢えて言わないだけだ。
そう考えて頭に浮かんだ本音の数々をテーブルの上のアイスコーヒーで飲み下した。しかし、飲み下した頭の中の本音は、おくびのように本人の意思に反して込み上げてくる。
――私だって、三十五も過ぎて結婚するにはもうギリギリの年齢だ。姉のことなんかで、関係に水を差されたくない。
そんな理加子の思いとは関係なく、嶋は話し続ける。
「対人能力向上アンドロイドは、最初の数日間くらいは違和感があるものらしいね」
「そうなの?」
「うん、搭載されているAIが、対象の
「ああ、そう言えば、取り扱い説明書にも書いていたかも……。バタバタしていて、あまりきちんと読めていなかったんだけど」
「仕事の合間に、ちょっと時間作って読んでおいたら? 今日は少し、余裕があるから、君の方の仕事も手伝えるし」
「ありがとう、でも大丈夫」
理加子は、心からの笑顔が自然と湧き出るのを実感した。
嶋のような感情を排した冷静で論理的な話し方と相手への配慮に溢れた態度は、
――母や姉とはやっぱり違う。
姉のように、いきなり大声でわめき始めたりしない。まして、物に当たり散らして人に不快感を与えたりしない。突然爆発するのではないかというヒリヒリした緊張感のなか、怯えながら適切な言葉を探したりしなくて良いのだ。母のように、トンチンカンなことを言ったりしないし、アレができないコレがわからないと言って人の仕事を増やしたりしない。一緒に居て気分が良く、安心して会話を楽しむことができる。
その安心感に浸りながら、昨夜の姉のヒステリックな喚き声を思い返す。
「何よ何よ何よどうせ私はできそこないだわよ理加子みたいにずっと
子供の頃は、成績も運動神経が良く、容姿も美しく要領のいい姉の存在は、理加子にとって絶対的に上の存在だった。それが全てひっくり返って、姉は腫れ物になってしまった。触るとすぐに、嫌な臭いの膿を出す腫れ物。だから、理加子も母親もなるべく触らない。
そうして、最後には自分を貶めたAIの世話になるしかないのだ。
――何故、こんなことになってしまったのだろう。
その思いは、自分はそっち側にはなりたくないというエゴへと変化し、さらには優越感となる。
――私はこっち側の人間だ。今までも、これからも。
「対人能力向上アンドロイドの出荷数は、先月三万体を超えて、今年中に五万まで行くらしい。今後、数が増えれば増えるほど、機械学習の速度も指数関数的に進んでいって、回復率も連動して上がっていくって。MITの予想ではあと二年ほどで対人能力向上アンドロイドを治療に取り入れた場合の回復率は八十パーセントを超えるらしい」
説明を聞いている理加子の中に、ふと、不安の芽が顔を覗かせる。
各個体の学習、それを統合したデータ、さらに、そこに世界中の研究者が開発した新技術が加わってどんどんAIは進化していく。そうして、
しかし、理加子の不安は、目の前にいる嶋への信頼感と執着に凌駕された。
「そうよね。嶋さんの言う通りよね。どんどん良くなるわよね」
嶋の言葉に熱心に頷く理加子の言葉に呼応するように、アイスコーヒーの氷がカランと音を立てた。
(続く)
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