エピローグ 1986年

エピローグ−1 ラクシャス来日

 数年に一度の大雪が降ったクリスマスの夜、男はラジオの音が割れたクリスマスソングを聞き流しながらデスクに座って書類を睨んでいた。


 男は輸入雑貨商を営んでおり、名前は山本修一といった。


 脇に山積みになった書類の間からは付箋があちこちから飛び出ており、雑貨の寸法や入手場所が書かれた説明文に写真がはりつけられていた。


 修一は20代、格闘技で鍛え上げた身体に健康的で張りのある肌、快活な性格でいつも溌剌としているはずなのだが。今は疲労と寝不足で顔に大きなクマができている。


 今週は大雪の影響で運送会社の日程が大幅に遅れており、それが初めて大量の注文が入った時に重なってしまったのだ。


 デスクの上に置いてある電気スタンドの電球が切れかかったのか、シェードの向こうでチカチカと点滅しだした。


「くっそー、なにもこんな時に切れなくても良いのに」


 そう毒づくと、それまでコーヒーで誤魔化してきた眠気が一気に襲ってきた。

 少し休もう、寝不足ではろくな判断ができない。


 そう思ってデスクから立ち上がり、寝室に行こうと振り返った時だった。

 修一は目を見開いて1歩後ずさった。


 部屋の入り口に自分と同い年ぐらいの女性が立っていたのだ。

 腰まで伸びる銀色の髪に桃色と薄紫のサリーのような服を着ている。身長は高く、長身の修一と同じぐらいにも見える。


「……驚いたな。鍵はかけていたはずなんだけど。あの、どちら様で?」


 女性は突然嘲るような笑みを浮かべたかと思うと、ちろりと舌を出した。


 一瞬見えたそれは人間のものではなかった。見間違いでなけば先端が2つに分かれている蛇のような形をしていた。


 それを疑問に思う暇もなく、女の顔は徐々に目がつり上がっていき、腕や足には鱗模様が浮かぶ。


 ぎしぎしと床を軋ませながら身体が大きくなっていき、あっという間に眼の前に白い大蛇がとぐろを巻いてこちらを見下ろしていた。

 頭を少し上げただけで天井に付きそうだ。 


「おおー! すごい。あんた誰? 蛇の妖怪か何か? 俺、寝ぼけてないよな」

 修一は試しに頬をひっぱってみたけれど、しっかり痛かった。


「あなた、これで怖くないの?」

「お、言葉が通じるんだな。俺に怖がってほしかったのか? それよりこんなの見せられちゃあ驚いた、すごいってのが正直な感想だ」


「……つまらない男ね」

「人一倍好奇心が強いだけだよ。それで、あんた何者だい?」


 そう修一が言うと、大蛇はさっきの変化へんげを逆再生するみたいに女の姿に戻った。


「私はラクシャス。人間のことばで表すなら悪魔とか神様みたいな存在かしら」


「なんでそんなのが俺の目の前に?」


「それはこっちが聞きたいわ。私はそこの壺に入って眠ってただけ」


 女の指さした方をると、木箱に入った20cm程の蓋付きの小壺があり、蓋が開いていた。

 確かあればインド西部の山村で手に入れたものだった。


「お腹が空いて起きてみたらここだったわ。でも、ここって私が前にいた場所とは全然違う所みたいね」


「それはすまなかった。俺は外国から雑貨を仕入れることを生業としている者だ。知らずに遠くまで連れてきちまったみたいだな」


 修一は名前と肩書きだけが書かれた簡素な名刺をラクシャスに差し出した。


[貿易雑貨商 山本修一]


 しかしラクシャスはすぐに「読めない」と突き返した。


「え、こんなに話ができるのに?」


「声ってのはただの意思疎通の力に過ぎないわ。でも文字は道具、道具は使い方を知らなきゃ使えないでしょ」


「そういうものなのか」


「そうよ。それで、ここはどこ?」

「ここは日本って国だよ」


 修一は壁に貼ってある世界地図の中心を指さした。


「それできっとあんたがいたのはこの国のここらへん」

「なるほど、で、それは遠いの?」


 人間でないラクシャスにとってどの程度が遠いと感じるのかは見当もつかなかった。

「そうだな、海を超えてるから、まぁ遠いだろうな」


 そう告げるとラクシャスは深刻な顔になった。


「……まいったわね」

「悪かったよ、勝手に連れてきちまって。こんどインドに行く時にまた元の場所に連れてってやるから、それで手を打っちゃくれないか」


 修一の提案に、ラクシャスは首を横に振った。


「別に土地に未練は無いし、私はどこでも生きていける。ただ、お腹がすいたわ」


 ラクシャスのお腹からググゥゥと音がした。


「お、おお、そうか。何か食うか? 確か缶詰がいくつか残ってたはずだし、米も炊けばあるぞ。さっきの様子じゃ、俺を取って食べたりはしないんだろ? あ、それとも怖がれば何かお前さんの栄養になっていたとか?」


 ラクシャスはこの修一という人間がさっきの短いやりとりだけで自分に危害が加えられないことに気付いたばかりか、怖がらせようとした目的までも言い当てたことに少し驚いた。

 

「するどいわね。人間と同じようなものも食べられないことはないけど、それじゃ私は満たされないわ」


「悪魔だから願いを叶える代償に魂を食らうとか?」


 興味津々といった顔つきで修一は尋ねる。


「少し違うわね。私は人間の恐怖や勇気を食べるのよ」

「なるほど。でも、そんなのどうやって食べるんだ?」


「試練を課すのよ。その時に発せられる感情のエネルギーを人間から分けてもらうの。人間たちは恐怖を克服して成長できるし、私はお腹が膨れる」


「相利共生ってやつか」


「そう。でもこの国じゃどんな試練を課せば良いかがわからないのよね」


 ラクシャスは意見を求めるように修一を見た。


「うーん、そうか。でも今どきの子じゃさっきの蛇の試練なんかで勇気なんて出ないんじゃないか? さっきのも、まぁ多少恐がりはするだろうけどなぁ」


 修一の率直な意見を聞いたラクシャスは悔しそうな顔をした。


「前の場所じゃ子どもは赤子の弟を守るために大蛇に立ち向かっていたのに」

「現代っ子にいきなりパンチの効いたやつは厳しすぎるかもな」


 目に見えてがっかりするラクシャスを前に、修一は「そうだ、よかったら俺も勇気の出し方ってやつを考えてやろうか?」と提案した。


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