6-2 おかえりなさい

 家に着くと、おばあさんが門から出てくるところだった。


「おお、あんたらか。コウゾウは中やで」


 いつもと変わらないしゃんとした背筋で歩いていくおばあさんの足取りは、どことなく軽いような気がした。


 おばあさん、姫が急にいなくなったことを不思議に思っていないのだろうか。


 そう思っていると「澪ちゃん! 翔くん!」と聞き覚えのある声が聞こえた。


「2人ともよく無事だった。心配かけたね」

 紺色のジャージにピンクのエプロンをつけた謎の姿のコウゾウさんが下駄をカランコロン鳴らしながら出迎えてくれた。


 久しぶりに動いているコウゾウさんを見ると、なんだか足の力が抜けてしまいそうになるぐらい安心した。

 

「もう動いて大丈夫なんですか?」


 ほんの昨日まで20日間も入院して寝たきりだった人だ。立つのもやっとなんじゃないかと思えたけれど、目の前のコウゾウさんは予想外に元気そうだった。


「それが病院の先生もびっくり、驚異の回復速度なんだってさ。まぁゲームの演出で意識不明になってたんだから常識的なものからは外れているのかもしれないけどね。ささ、立ち話もなんだし入って入って」


 僕らはコウゾウさんに促されるがままに家の中に入る。


 廊下を歩きながら、コウゾウさんは少し振り向きながら僕に話しかけてきた。


「そうそう、2人が主治医の先生にフォルティスクエストのこと話してたんだよね。『クリアしたのか?』って聞いてきてくれたから、『無事にクリアしました』って伝えておいたよ」


「お医者さんは何か言ってましたか?」

「ううん、『それは良かった』とだけ言ってたよ」

 

 あのお医者さんらしいといえばらしい反応だ。

 また折を見てお礼を言いに行こう、と思った。

 

 コウゾウさんが縁側のある部屋に続くふすまを開けると、座卓の上には巻き寿司やからあげ、カルパッチョ、グラタンなんかが並んでいた。


「ささ、2人ともゲームクリアおめでとう! それから文化祭お疲れ様ーってことで、今日はお祝いしよう!」


 コウゾウさんはそう言ってわははと笑った。


「うわーおいしそう!」


 お腹を空かせてきてと言われていたからなんとなく予想はしていたのだけれど、コウゾウさんの料理はどれをとってもお店で出せそうな見た目で、本当においしそうだった。


 促されるままに座布団に座って、僕らは「お疲れ様ー」とジュースで乾杯をした。


 料理に箸をつけると、見た目の通り、いやそれ以上の美味しさだった。

 今まで食べた料理とは一風変わった味付けなのだけど、絶妙にバランスがとれていて、次々に箸が進んでしまう。


「おいしい! こんな料理が作れるならレストランでもやったらいいんじゃないですか?」

 僕が冗談半分でそう言うと、コウゾウさんは困ったような顔で頭の後ろを掻いて言った。

「いやぁでもね、実はまた近いうちに日本を出ようと思っててさ」


「えっ、どうしてですか?」

 澪も初耳だったようで、コウゾウさんに尋ねた。


「実は昔父さんの取引先だったインドの人から結構前から連絡が来てたんだ。日本語ができる人材を探すのに結構困ってるらしくて『こっちで働いてみないか』って。今までこういう話は避けてきたんだけど、今回の件で俺も勇気だしてやってみようって思ったんだ」


 ということは、しばらくコウゾウさんは日本に帰ってこないってことなのでは?


「ほら、俺ってしばらく瀕死状態になったろ。あのゲームオーバーになった後の部屋で、あぁもしかしたらこれが死後の世界ってやつなのかもなって考えてたんだ。そう思ったらやらずに後悔したことがいろいろ頭に浮かんできてさ」


 僕は何も言わなかった。口を開くとコウゾウさんの決意を邪魔してしまう気がした。


 そんな僕の心中を察してか、コウゾウさんは僕の背中を優しくたたいた。

「翔くんはね、この短期間でかなり強くなったよ。肉体的にも、精神的にもね。だから俺はもう安心して出かけられるよ」


 そんなことはない、と否定しそうになる僕の背中からコウゾウさんの手の温かみが伝わってきて、補助輪が取れたての子どもを押すように前に進むことを促されている気がした。


「さて。じゃあケーキも取ってこようかな。お祝いといったらやっぱりケーキだよね」


 少し湿っぽくなった空気を取り払うかのようにコウゾウさんがそう言ったのと同時に玄関の方でカラカラと玄関の戸が開く音がした。


「あれ、ばあちゃん忘れ物かな?」


 コウゾウさんと澪は不思議そうな顔をしていたけど、僕には少しだけ心当たりがあった。

 すたすたと足音が聞こえてきて、襖が開いた。


 そこにはやっぱり、ドレス姿の姫が右手を挙げて立っていた。


「姫!」


 2人は口をぱくぱくさせていた。

 姫がゲームマスターで僕らを騙していたことを話してあるんだから当然だ。


「僕がお願いしたんだ。ゲームをクリアしたし、さすがにこのまま何も言わずにさよならってのも味気ないだろうと思って。まさか本当に来てくれるとは思ってなかったけど」


 そう言うと姫はふんと鼻を鳴らした。


「私は私の意思でここに来たの。別に頼まれたから来たんじゃないわ」


 姫はもう演技をしていなかった。

 そしてただ自然に「私も打ち上げに入れてくれない?」と言った。


「えー! でも……えーっ! そんなことって、ある?」

 さすがの澪やコウゾウさんでも困惑は隠せないようだった。


「だめかしら?」


「いや、そりゃあもちろんいいけど……。っていうか姫、この際いろいろ白状してよね。聞きたいことが山ほどあるんだから」


 戸惑いをみせていた澪はすでに尋問の体制になっている。さすがの順応の早さだ。


「姫の分の食器も用意しなきゃだね、ちょっと待っててね」

 コウゾウさんも目の前の姫に瀕死にさせられた人とは思えないぐらい早く受け入れた。


 かくいう僕もそうなのだけど、結局ずっと姫の手のひらの上で踊らされておきながら、僕らはどうしても姫のことを恨む気にはなれなかったんだ。


 なぜかはわからないけれど、きっと姫からは悪意のようなものがあまり感じられないからかもしれない。


 僕は姫のことをもっと知りたかったし、仲良くなりたいとすら思った。


「ねぇ姫はどこからやってきたの? なんでゲームの中の姫なんてやってたの?」


 だから手始めに、僕は好奇心にまかせてそう尋ねたのだった。

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