5−8 僕の強み

 夜の11時、僕は枕元に置いたスマホのアラームで起きた。


 部屋を出ようとドアの取っ手に手を伸ばした時、もし僕に何かあった時のために一応家族に手紙を置いておこうと思いついた。


 ペン立てからシャーペンを取って[父さん、母さん、由依へ]と書いて、手が止まった。


 一体何を書けばいいんだろう[帰ってこれなくてごめん]いや違うな、フォルティスクエストのことや今までの経緯を書こうか。

 いや、書いたところで何がどうなるっていうんだ。


 少し迷って、結局[今までありがとう、色々と迷惑かけてごめんなさい]と、具体性のないことしか書けなかった。


 しかし改めてそのメモを見ると、もしかして自分は今からすごく恐ろしいことをしようとしているのではないかという不安が急に現実味をもって感じられてしまった。


 僕はそれを、いつもは鍵をかける引き出しの中に敢えて鍵をかけずにしまった。


 そして玄関でリュックを背負ってスニーカーを履き、寝静まった家族たちを起こさないように静かにドアを閉めてこっそり家を抜け出した。


 町はもうすっかり深い闇の中で、静寂にすっぽりと包まれていた。


 冷蔵庫のような冷たい風が前からふいてきて、ポケットに手をつっこんだ。


 1度寝たというのもあるし、初めてこんな夜中にこっそり家を出たという特別感からか、今いるここが現実なのか夢の中なのかわからないような感覚だった。


 僕が城南公園に到着すると姫はすでにベンチに座って待っていた。

 公園の時計は暗がりの中で11時20分を指している。


 試練が強制的に開始するまであと40分だ。


「来たね翔」

「うん」


 姫は少し寒そうにしてその場で足踏みをしていた。初めて会ったときは暑そうに見えたドレス姿も、11月の夜だとだいぶ寒そうだった。


「ちょっと今から体を動かしておくから、よかったら使う?」


 僕は着ていたワイン色のダウンジャケットを姫に貸してあげた。


 姫は「ありがと」とそれを受け取って肩にかけた。


「ねぇ姫、お願いがあるんだ」

「なに?」


「この後、澪が来たときに、コウゾウさんの経験値を僕の袋に入れ換えても何もペナルティは無かったって、口裏を合わせて欲しいんだ」


 姫は少し驚いたような顔をした後、真剣な口調で「それは、ゲームクリアのためだよね?」と尋ねてきた。


「ああ、そうだよ」


「じゃあ、いいよ。わかった」

 姫はこちらを見てしっかりと頷いた。


 僕は毎日稽古の前にやっている柔軟体操とウォーミングアップのルーティンを始める。

 

 時計の針が11時30分を指した時、時間通りに澪が公園の入り口に現れた。

 

 いつもは「おつかれー」とか「よっ」とか言うくせに、今日に限っては口をきゅっと結んだままで何も言わなかった。


 澪はこちらに近づいてきて僕の目の前で立ち止まる。今日は豆太も連れていなかった。

 

 緊張しているだろうし、恐怖に耐えているのだろう。

 気休めの言葉をかけるのも今は違うような気がして僕は何も言えなかった。


 しかし意外にも口を先に開いたのは澪だった。


「温かいの持ってきた」


 見ると澪はピンク色した水筒を僕に見せた。


 澪を真ん中にして3人並んでベンチに座ると、僕と姫に順番に紙コップを手渡し、温かいお茶を注いでくれた。


 湯気が上がってくるそれは僕の好きなほうじ茶だった。

 口をつけると温もりという言葉を具現化したみたいな液体が僕の喉を滑り落ちてお腹が温かくなった。


 身体の緊張がほぐれていき、自分がいかに無意識に緊張していたのかに気付かされた。


「ありがとう」


「いいんだよそんなの。こちらこそ、その……今までありがとね」


「なんだよ、それ」


 軽く笑って言った僕は、今生の別れみたいじゃないか、と付け加えようとして澪の顔を見て思いとどまった。


「だってさ……」


 僕の態度に不服そうにした澪はその続きをすぐに言わなかったけれど「最後かもしれないじゃん」という小さな声が聞こえた。


 でも確かにそうだ。

 もしこれで最後になるんだったら、言わなくて後悔はしたくないよな。


 僕は澪の方を向き直る。


「澪がいなかったらここまでこれなかったよ。毎日試練で助けてくれて、ありがとな」


 澪は少し驚いた顔をした後、満足げな顔をした。


「まぁね。でもこちらこそだよ、だって翔がいなかったらさ、私、コウゾウさんがいなくなった時にゲーム機を壊したり諦めたりしちゃってたと思う。翔がいたから何とかなったんだよ。だって翔は私たちの中じゃきっと一番怖い思いしてたけどさ、諦めてなかったじゃん。だから私も頑張らないとなって思えたもん」


 予想外のことを言われて僕は反応に困った。

 自分では自分のこと、そんな風に思ったことが無かったからだ。


「そう、なのかな?」


「そうだよ。私は翔の強いところだと思うけどね、そういうとこ。だから翔は……翔はさ、もっと自分に自信をもっていいと思うよ。なんにも才能ないなんてことないんだよ」


 そう面と向かって言われると、気恥ずかしくなってしまい、情けないことに僕は最後かもしれないというのに「ああ、うん」としか返せなかった。 


 しばらくお茶を飲む静かな時間が流れた後、僕は思いきって「ラスボス戦なんだけどさ」と避けられない本題を切り出した。


「今日の昼間に思いきって試してみたんだけどさ、コウゾウさんの経験値のクリスタルを僕の袋に入れると、ちゃんとレベルが上がったんだよ」


 澪はぎょっとした顔をしてこちらを見たけど、僕はかまわず続ける。

「だからさ、コウゾウさんの分を2人で分けてさ、レベルアップしてラスボスに挑もうよ」


「え、ちょっと待って、大丈夫だったの? 何かペナルティがあるんじゃなかったっけ?」


「なかったよ。瀕死になったプレイヤーのものは関係なかったみたい。ね、姫」


 視線をやると姫は前もって言っておいたとおり僕に同意するように頷いてくれた。


「澪のにもコウゾウさんの経験値入れるからさ、袋、出してくれる?」

「う、うん」


 パーカーのポケットからおそるおそる袋を差し出してくれた澪に、僕は「プロテク」と唱えた。

 スキルの黄色い光が澪の経験値袋だけを包み込んだ。


 澪は状況がうまく読み込めていないようで、不思議そうな顔をした。


「澪、ごめんな」

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