第5章 僕らにできること
5-1 2人乗り
外を歩く人達は少し厚手の上着を着るようになり、城南公園の中央にある大きなイチョウの木は葉がだいぶ散ってそのあたりだけ黄色い絨毯のようになっていた。
学校では今月末に迫っている文化祭に向けて練習や準備が本格化していて、文化部の奴らは何やら毎日忙しそうにしていた。
澪の話によると、演劇部や吹奏楽部は追い込みのために暗くなっても練習をしているらしい。
天文部は展示の準備で理科準備室をいっぱいにしているみたいだし、茶道部とか美術部もそれぞれ何やら頑張っているらしかった。
こうしてコウゾウさんが倒れても僕らの周りでは嘘みたいにいつもと変わらない日常が流れていた。
僕だって毎朝起きて学校に行き、放課後は塾に行って夜は試練をするという流れは変えようがなかった。
だっていきなり学校や塾に行かないわけにはいかない、さぼって親から何か言われる方が面倒だ。
こんな事態になっているというのに波風が立たないように我慢して適当にやり過ごしているってのは、結局のところ、それは僕という人間の本質みたいな部分なのかもしれないな、と自嘲気味に思う。
普段と違うことといえば、放課後姫に会いに行くと庭にコウゾウさんの姿がないこと、姫に昨夜の試練の報告をするようになったりコウゾウさんのいる病院まで足を運ぶようになったりしていること。
そうそう、植松先生はなぜかコウゾウさんが倒れたことを知っていたようで、この前コウゾウさんの病室の前でばったりと出くわして驚いたことがあった。
当の本人は病室で全く目を覚ます気配はない。
何度も面会に行くものだから、姫や僕が受付に行くと顔パスで病室に行けるようになった。
どうやら看護師さん達も同じ病室の人達も、僕らをコウゾウさんの弟妹か何かだと思っているようで「お、今日も来たのかい。お兄さん思いだねぇ」と話しかけられることもあった。
そういえばこの前、家で姫に勉強を教えていると、おばあさんに「うっかりおかず作りすぎてしもたわ、あんたも食べていき」とカレイの煮付けと味噌汁に炊き込みご飯をごちそうになったことがあった。
姫とおばあさんとの3人で食卓を囲むってのはなんとも不思議な感じだった。
手術中のメスみたいに正確にお箸を動かす静かなお婆さんと、ガチャガチャ食器を鳴らしながら食べ、ご飯を口に入れたまま話し始めて注意される姫とがいて、コウゾウさんっていつもこんな風景を見ていたのかな、と思った。
八極拳の鍛錬は続けていて、コウゾウさんから電話で教えてもらった通りに筋トレとストレッチ、小八極の練習と、壁にマットを置いて貼山靠をする鍛錬を毎日していた。
コウゾウさんが瀕死状態になってから毎夜のようにゲームオーバーになって僕と澪が瀕死になっている悪夢を見るようになっていて、日中もフォルティスクエストのことで頭が一杯だったけれど、体を動かしている間だけは無心になれた。
試練の後には毎日コウゾウさんと電話した。
僕らの無事を報告して、攻略のために思いついたことや試したことを相談し、明日から出現するモンスターの名前を聞いた。
そうしてラスボスが出てくるまで残り2週間となった日のことだ。
城南公園での試練が終わって澪が経験値を入れた巾着袋をかばんにしまうと肩を震わせた。
「さむー。ねぇ翔、コンビニ行って温かいものでも飲もうよー」
こんなことを言われるのは初めてだった。
お互いあまり人目に付きたくないというのもあってすぐにそれぞれ帰路についていたのだけど、今日はよく冷えていたからだろうか。
「いいね。行こうか」
普段の僕なら「寒いなら風邪ひかないうちに早く帰ったほうがいいよ」とか言ってはぐらかしていたかもしれないけど、ラスボスの出現まで後2週間、つまり僕らの残りの寿命もそれぐらいしかない可能性もあるって考えると、寄り道もいいかとも思えた。
別に生きることに投げやりになってるつもりはないけれど、断って後悔するのは嫌だという気持ちが心のどこかにあったのだと思う。
「でもコンビニって僕らの家と逆方向じゃないっけ、時間大丈夫なの?」
「大丈夫でしょ、これがあればさ」
澪はしれっと僕の自転車のかごに豆太を入れて、後ろの荷台の頑丈さを触って確かめていた。
「え、そういうこと?」
「あはは、そういうこと。まあまあ、体力つけると思ってさ」
「まあいいよ。2人乗りなんていつ以来かわからないけど」
誰かに見つかったら厄介なことになるかもしれないけれど、まあいい、こんな時間にたぶん誰にも出くわさないだろう。
いつもよりだいぶ安直にそう判断して自転車のスタンドを外して跨がった。
澪は後ろの荷台に乗って僕の上着の裾をぎゅっと掴んだ。
2人と1匹分の体重が乗った自転車のペダルをぐっと踏み込むと、少しふらついたけどなんとか走り出すことができた。
「お、おおー。やるじゃん翔」
「なにが?」
「もっとフラフラするかと思ってたー」
「最近ちょっと鍛えてるからな」
「みたいだね」
顔は見えないけど、澪の声はなんだか楽しそうだった。
澪と豆太がおっこちないように気をつけながら僕はいつもよりゆっくりめのスピードでペダルを踏んだ。
「ねぇ翔」
「ん、なに?」
自分から話しかけてきたくせに、澪はすぐには次の言葉を言わなかった。
何かを言おうとして、やっぱり踏みとどまったのだろうか。
「このまま……、どっか行っちゃおっか」
ガチャコガチャコと錆の浮いたチェーンの音だけが辺りに響く。
かごの中に座っている豆太のもふもふとした茶色の後頭部がタイヤの振動で揺れている。
普段とあまり変わらないようにも見えたけれど、澪はコウゾウさんがあんな状態になってしまってきっとすごく不安なんだ。
まるでもうすぐ大きな滝に落ちることを知っていて川下りをしているような、そんな気分。
だって僕がそうだからだ。
空を見上げた。
今日は雲1つない澄み切った空に、星がよく見えていた。
行こうと思えば、どこまでも行ってしまえるような気がした。
「……あぁ。そうだな。それもいいかもな」
そう返事した僕の上着が一層ぎゅっと強く掴まれたのを感じた。
だから敢えて明るい声を出した。
「なーんちゃって。冗談に決まってるだろー、絶対3人無事でクリアしよう。じゃないとほら、打ち上げもリベンジもできないだろ」
僕は重くなっていたペダルにぐんっと力を入れる。
「うわっ! もーいきなり速くしないでよ」
バランスを立て直した澪が僕の背中をグーで叩いてくる。
「白状するとさ、結構楽しみなんだよ。コウゾウさんのケーキも、澪の演奏もさ」
「そっか。……そうだよね」
澪の頭が背中に軽くもたれかかってくるのが感じられた。
「ありがとね、翔」
僕はそれに何も返せず、静かな闇の中で、ただ転ばないようにペダルを漕ぎ続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます