3-17 師弟
通いなれてきた道を歩いていくと、また今日もサイケデリックな柄のシャツで竹箒を持ち、落ち葉を掃除しているコウゾウさんがいた。
こちらの姿を見るなり「あれ、翔くん。もしかして何かいいことあった?」と聞いてきた。
植松先生の時といい、僕ってけっこう感情が顔に出やすい
体育大会でのことを話すとコウゾウさんは嬉しそうな顔をした。
「おお、やるじゃないか翔くん。毎日しっかり鍛錬して足腰が強くなったから力が使いやすくなったんだろうね。うんうん、こないだまではあんなにひょろひょろだったのに、中学生の1ヶ月間の変化はすごいなぁ」
言われてみれば最近よくお腹が空くようになったような気がするし、重いものを運んでも疲れにくくなったようにも思う。
「全部コウゾウさんのおかげですよ」
「何言ってるんだい、俺はやり方を教えただけ。強くなったのは翔くん自身の力だよ」
その言葉に、僕はうれしくなってつい、今までずっと聞けなかったことを尋ねた。
「どうして、コウゾウさんは僕にこんなにいろいろしてくれるんですか?」
単に姫の授業の対価にしては、コウゾウさんが割いてくれている時間と労力は釣り合っていないし、きっとなにか理由があるんだろうと思わずにはいられなかった。
ところが僕の質問は予想外だったようで、コウゾウさんはしばらく黙って思案してから口を開いた。
「別に理由なんてないよ、本当に。でも敢えて言うなら、そうだな。ちょっと失礼な話かもしれないんだけど、翔くんって昔の俺にちょっと似てるなって思ったからかも」
「え、そうなんですか?」
コウゾウさんは頷いて続ける。
「うん。俺は翔くんぐらいの時に中国で出会った師匠や父さんに救われたから、おこがましいかもしれないけど、同じように翔くんを手助けすることでその恩返しみたいなことがしたくなったのかもしれないな」
箒を持ったままコウゾウさんは遠い目をした。
「そうそう、だからね、今日はちょっと安心したよ。弟子の成長が見れるってのはこんな気分なんだなーって、師匠たちの気持ちが少しわかったような気がしたんだ。ありがとうね、翔くん」
逆にお礼を言われてしまって僕はどうすれば良いかわからない。
「まぁまだまだ弟子としてはいろいろ心配な部分も多いけどね」
そう茶化すように言って笑った。
「さて、今日は体育大会だったんだろ? 練習はどうする?」
「ここまで来たし、少しやります」
僕はすぐに返事をした。身体は疲れていたけれど、心はもっと強くなりたいという気持ちで満ちていた。
「よしきた」
コウゾウさんは落ち葉をゴミ袋に入れると口をぎゅっと結んだ。
いつも通り縁側の部屋に入ると姫が座卓の上で洗濯物を畳んでいた。
どうやら最近おばあさんが姫の退屈さを見かねてこうして家事を依頼しているようで、重そうに掃除機をかけていたり足台に乗って洗濯物を干している姿を見ることが増えていた。
「お、来たね。いらっしゃい、翔」
こちらに気づいた姫はペースアップしてテキパキと洗濯物のタワーを作っていく。
着替えてから庭で軽いウォーミングアップを終えると、コウゾウさんは真剣な顔で僕に言った。
「今日からはいよいよ実際に相手を攻撃する練習をしていこうと思う。とは言っても今まで練習してきた型にもある裡門頂肘なんだけどね」
コウゾウさんの顔は、傾きかけた夕日の明かりで照らされている。その表情には今までにない真剣さがあった。
「いいかい翔くん、覚えていると思うけど八極拳で足を強く踏み出すのは攻撃の時に地面を踏ん張った力の反動を技に乗せることで威力が増すためで、これを
コウゾウさんは庭に立ち、僕に姫ぐらいある大きな緑色のマットを身体の前面に持っておくように言った。
そして僕の前に静かに立つと、呼吸を整えて背筋を伸ばしたまま腰を落として構えをとった。
途端、周囲が静かになった気がした。
コウゾウさんは右足を静かに前に踏み込んでマットの真ん中、僕の胸のあたりにすくい上げるように上げた肘で打撃をしてきた。
決して助走してきたわけじゃなく、その場からの打撃だったけど、ずんっと熊にでも体当たりされたような重い衝撃がマット越しに伝わってきて、しっかり踏ん張っていたのに後ろに2メートルぐらい後ろに押しやられてしまった。
もしマットを持たずに肘をもろにくらったら、と思うとゾッとする威力だ。
「打撃と同時に震脚で攻撃力を乗せる、タイミングが少しでもずれているとだめだ。動きと踏み込みを意識してやってごらん。いいかい翔くん、君が今まで1ヶ月以上毎日休まずにやってきた馬歩も型も、全ての練習はこの技に繋がっているんだ。何回か見せるからね、まずは理屈じゃなく身体で覚えるんだ」
コウゾウさんは何度か僕の持つマットにさっきの技をやってくれた後「次は翔くんの番だよ」と僕の持っていたマットを取って構えてくれた。
見様見真似で裡門頂肘を撃つ。
思えば今まで型の練習はしてきたけれど、実際に相手に撃つのは初めてだった。やってみると踏み込みに合わせて肘を当てるというのはかなり難しく、どちらか片方に意識が向いてしまっていてタイミングがずれてしまう。
コウゾウさんは僕が打つたびに「今のは踏み込みの方が少し遅かった、自分でわかった?」とか「もっと遠くに踏み込むようにして、視線が下を向かないようにしてごらん」とアドバイスをくれた。
何十回か同じ動作を繰り返して汗が顎を伝って落ちてきたところでコウゾウさんは「よし、いいよ、よくなった。今日は疲れているだろうし、このぐらいにしとこうね」と言ってマットを下ろした。
「はい、ありがとうございました」
僕らは縁側に並んで座って冷たい麦茶を飲んだ。
「いいかい翔くん、八極拳の特徴はその強力な威力にある。だから近くにいる敵には強力無比な攻撃ができるけど、逆に遠くにいる敵には全く手出しができない。だから、勇気を出して一歩前に踏み出すことが大事なんだ」
僕は頷いた。それは今までの練習でよくわかっていたつもりだ。
「とはいえ、武術の技って基本的に相手に致命傷を与えるためのものだから、本当に危険なんだ。他人にはできれば攻撃のための技なんて使わないのが一番いい。腹が立つことがあっても、ぐっとこらえるんだよ。他の方法でどうしようもない時、自分や大切な人の命を守るための緊急手段としてなら使っていいからね。その時は思いっきりやっちゃいな」
コウゾウさんがそう言うと、洗濯をたたみ終えて暇そうに縁側で足をぶらぶらさせていた姫が言った。
「やっぱりさ、話し合いで解決できるならそれが一番だよね」
モンスターを討伐していくゲームの姫がそれを言ってるのがなんだか変に思えておもしろかった。
僕は「そうだね」と返した。
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