3-15 内海先輩

「いやでも正直すごいよ。中学から新しいこと初めて、朝も放課後も練習してさ。僕には想像もつかないよ」


 とにかく吹いてくれた澪の機嫌を損ねないようにフォローしておく。


「翔だって何か部活すればいいのにさ」

「え? いや今更すぎるだろ。それに僕はなんの才能もないし、何やっても皆の足引っ張るだけだよ」


「才能?」


 どこに引っかかったのかわからないけど、澪はそう聞き返してきた。


「ああ、うん」


 吹くのを諦めたのか、開いたままの楽器ケースの上に歪んだ僕の顔が映るほどピカピカのトランペットを置いた。そして僕の座ってるところから少し離れた丸っこい石に座った。


 澪は僕の顔を見てしばらく何かを思案した後、ふっとため息をついた。


「なんだよ人の顔をじろじろ見て」


 なんだか恥ずかしくなって顔を背けた。


「いや、別に。誰も才能とかそんなこと考えてないと思うけどね」

「そうかな」


「そうだよ。楽しいからやる、やりたいからやる。それでいいんじゃない? 昔からだけどさ、そういうの翔の悪い癖だよ、ネガティブに考えて急に自信失くしちゃってさ。翔のくせに考えすぎ、頭パッパラパーなんじゃないの」


 最後の一言はめちゃくちゃ余計だと思ったけど、なんだかすごくありがたい言葉のように思えて、僕は「悪かったな」とだけ返しておいた。


「もしかしてさ、ピアノやめちゃったのってそういう理由だったりする?」


 かなり昔の話だけど、僕はほんの一時期だけ澪と同じピアノ教室に通っていたことがあったのだけど、澪のほうがぐんぐん上手くなっていくのに耐えられなくて辞めてしまったのだ。


「まぁ……いや、あー……」


 僕は言いよどんでしまう。そうですと白状しているようなものだ。


「私さ、考えてたの、なんで私とコウゾウさんだけレベルアップが早いのかなって。で、これは仮説なんだけど、もしかすると、新しいことに挑戦することが経験値に関係してるんじゃないのかなって」


 澪は足先で小石をいじりながらそう話した。


「私の感覚なんだけどさ、いつも強いモンスターが出現するときって、いつもと違うことをやってみた時だったのかもって思うんだよね。例えばこの練習場所に初めて来たり、ちょっと怖い先輩のところに話をしに行ったりとか、そういう些細なことなんだけど。翔もさ、何か新しいことに挑戦してみるとか、実験してみるのはどうかな」


 いつになく澪は僕のことを心配してくれているようだった。


「確かにそういう可能性もあるのかな。でもさ、最近だと僕だって新しいことしてるよ、例えば姫に勉強を教えたり、コウゾウさんの家で運動したりしてるよ」


「あー、そっか……そうか。ほんとなんなんだろうね、経験値の差って」


 そうして2人して考え込んでいると、頭上から男の人の声が聞こえた


「やあ咲花、今日も練習?」


 すこし長めの楽器ケースを持った男の人が階段を降りてきた。


 さわやかな感じの人、というのが第一印象だった。背は僕よりも少し高くてさらさらした髪の毛、三白眼の目立つ顔、黒いスキニーパンツやシャツの上に羽織ったカーディガンもやはりきれいで、清潔感があるっていうのはこういうことなんだと思わず関心してしまった。


 どこか自信に満ちた笑顔が眩しくて、自分自身がここにいることが恥ずかしくなるような感覚さえ受けた。澪が異性として意識する人ってたぶんこういう人なんだろうな、となんとなく思った。


「あ、内海さん。こんにちは」


 澪は石から立ち上がって頭を下げた。どうやら部活の先輩のようだ。


「あれ、練習じゃなくてデート中だった? ごめんごめん、邪魔しちゃったかな」

「やめてください、違いますよ。1人で練習に来てたら、クラスメイトがたまたま通りがかって見つかっちゃっただけです」


 この内海って人、「ごめんごめん」とか言ってるけど、上から降りてくる時に僕がいるのが見えてただろうし、ちょっとわざとらしい人だなーと思った。


「ふーん、そっか。君、名前は?」


 内海さんとやらはこちらを値踏みするように見てきて、何だか嫌な感じだ。


「富田です、えーと1年です」

「知ってるよね? 内海先輩、生徒会の」


 小声で僕に教えてくれる澪には申し訳ないけれど、全く知らない。そもそも生徒会の人なんて関わることがないので顔を覚えているわけがない。


「あー、そうなんですね。はは、いやーどうもどうも、いつもお世話になってます」


 僕はあまり上級生と関わりがないのでどう接すればいいのかわからずに、なんだか取引先の人に電話ごしにぺこぺこお辞儀してる父さんみたいになってしまった。


「はは、富田くんはおもしろいね。まぁ生徒会なんて全校集会の時に壇上に座ってるとこしか見ないかもね。ところで君は、何部なの?」


「あ、はぁ。僕ですか? 何部でもありませんけど」


 いきなり変なこと尋ねてくるなこの人、と思いつつもそう素直に答えた。すると内海先輩は一瞬驚いたような顔をしてから「じゃあほら、うちの吹奏楽部においでよ」と言った。


 それは善意からの提案だったのかどうかはわからない。


 ただ、その時の内海先輩の笑顔、すごく嫌な感じだった。


 こっちを見下しているような、憐れむような、軽蔑しているようでもあった。

 しかもなぜか澪の肩に手をぽんと置きながら言ったのだ。

 澪はほんの一瞬だけ眉をひそめていた。


 出会ってから僕の中でこの人の好感度はガンガン下がっていて、ほんの1分もしないうちに地に落ちた。


 だいたい「じゃあ吹奏楽部に」の「じゃあ」ってなんだ。


 僕はどこの部活にも入れてもらえなかったわけじゃない。

 それに部活に入っていないことを恥ずかしいことだと思ったこともないし、うちの学校には部活に入らなきゃいけないなんてルールはないはずだ。


 かなり腹立たしかったけれど、澪の手前もあり、不快や怒りを露わにするわけにはいかない。


「いやー、僕は音楽の才能なんてからっきしでして。はは、いやぁすみませんねぇ。それじゃぁまぁそういうことで。じゃあね咲花さん、練習の邪魔して悪かった。内海先輩と練習頑張ってくれよな」


 僕は先輩の横を通って階段を上る。


 途中で後ろから「富田くん」と呼びかけられた。


吹奏楽部うちはいつでも見学に来ていいからね」


 僕は何も返事をしないでおいた。失礼かもしれないと思ったけれど、勝手な価値観を押し付けているそっちの方が失礼だろ、と思った。


 隣に立っている澪は川の方を向いていて、どんな表情をしていたかは読み取ることができなかった。


 少し歩いて河川敷から離れた後、トランペットの音が聞こえた。


 澪か先輩か、どちらの音かは一瞬で分かった。遠くまで一直線に伸びるような、澄んだ音色だったからだ。まぁちょっと力みすぎのような気もするけど。


 その音を聞いて、「なんだ、いい音出てるじゃないか」と自然と口から出て、なんとなくほっとしている自分に気づいた。


 これは余談だけど、その日の夜、試練で会った時に澪はずっと黙って不機嫌な顔をしていた。


 僕が「何だよ、悪かったって」と軽くなだめると、理不尽にふくらはぎに跡が残るぐらい思いっきり力の入ったローキックを食らって砂場の中で悶絶してしまった。

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