3-8 八極拳
次の日の放課後、さっそく僕はコウゾウさんの家に寄ることにした。
まだ夏っぽさがのこる日差しの下、コウゾウさんの家に着くとおばあさんが姫と一緒に腰をかがめて隣の畑でピーマンを収穫しているところだった。
おばあさんにも聞こえるように大きな声で「こんにちは!」と挨拶をすると姫は大きく手を振ってくれ、隣のおばあさんは「ふん」と会釈なのかそっぽを向いているのかわからない返事をしてくれた。
家に上がって部屋に着くと、すでにコウゾウさんはあの金ピカのジャージ姿で庭に立っていた。
「待ってたよ翔くん、さぁ始めようか」
今日は前もって連絡をしていなかったのだけれど、まるで僕が来ることを知ってたみたいだった。
カバンを置くとすぐに体操着に着替えて庭に出た。
「じゃあまずは準備体操をしようね」
ウォーミングアップでコウゾウさんオリジナルの運動をしたのだけど、情けないことにもうその時点でかなり身体がキツかった。
ジョギングや反復横跳びのようなことをしてはすぐに息が上がってしまったし、初めてするような変な格好のストレッチをして関節がぎしぎしと軋んだ。
思えば最近は外で遊ぶことが無くなって、体育以外で体を動かすのはかなり久しぶりだった。
「じゃあね、最初は
コウゾウさんは両足を広げ、
「足は肩幅より少し大きく開いて、つま先は前を向けるのがポイントだよ。さぁ翔くんもやってごらん」
僕はコウゾウさんの隣に立ってみよう見まねでそれをやってみる。
「そう、うまいよ。前かがみにならないように、そのままじっとしてるんだよ」
コウゾウさんはストップウォッチを押した。
どうやらどのくらいこの姿勢を保てるか、ということみたいだ。
「これは発勁、つまり効率よく力を使うための基本姿勢なんだ」
やってみて初めてわかるけれど、この体勢はかなりキツい。すぐに太ももの裏側が痛くなってくる。
「あの、どれくらいやるんですか?」
「まだまだ。腕も伸ばしきらない程度にしっかり上げていてね、腰が曲がらないように気をつけて、そうそういい感じ」
隣にいるコウゾウさんも同じ体勢をとっているのに全然涼しい顔をしてこちらに話かけてくる。
「いいかい翔くん、格闘技ってのはショーやオカルト的なものを除けば必ず物理法則に基づいているんだ。それはスポーツのボクシングや相撲なんかも同じだけど、必ず強さの説明が物理的にできるんだ」
コウゾウさんは上半身だけを器用に動かして身振り手振りをしながら話をしていたけど、僕は足がぷるぷる震えてきて立っているのだけでもう精一杯だ。
もう話は半分頭に入ってきていなかった。
「俺らは攻撃や回避のために動くだろ、その動きは筋肉とか腱や関節で作られていて、さらにそれらを動かす神経と脳によって支配されている。自分と相手の身体がどうやってできていてどういう風に動かすことができるか、それからどうやったら効率よく相手に力を伝えられるかってのを知ることが大事でさ、それを知るだけでもうんと強くなれるんだ」
足にもう力が入らなくなってきた。
「拳法ってのはもともと命がけの戦闘のために生み出されたものだけどさ、やってみると身体の使い方が感覚と知識の両方でわかってくるんだ。それは楽しいし、何の鍛錬もしてない人よりかは確実に強くなる。ついでに健康にもなるからお得だよ」
僕は足に力が入らなくなり、お尻が地面に落ちた。
「あれ、翔くん限界かい? 記録は1分15秒。翔くんの場合はまずは体力づくりから始めようね、馬歩は5分を目指して頑張ろう」
その後僕はコウゾウさんと馬歩の姿勢のまま上半身をゆっくりと動かして重心を感じる練習を繰り返した。
コウゾウさんはずっとにこやかな顔で「そうそう、うまいうまい」と励ましてくれるけれど、中国拳法って想像以上にキツイかもしれない。
「じゃあ今日は初日だしここまでにしようか。明日からは翔くんに合わせた練習メニューを考えておくからね。そうそう、今夜はお風呂から上がったらこうやって体の中心に向かって足や腕をよくマッサージしておきなよ。たぶん明日は筋肉痛がくるだろうからね」
組み手のような拳法っぽい練習はしていなくて少し思っていたのと違うけれど、身体のあちこちの痛みが、何かしなくちゃという焦りを打ち消してくれているような気がした。
……でも果たしてこんな練習で強くなれるんだろうか。
そう思ったとき、コウゾウさんの手が肩に置かれた。まるで僕の心の中を読んだみたいだった。
「焦らなくてもいいんだ、練習をすれば少しずつ確実に強くなる、俺が保証する。そういう鍛錬の積み重ねの結果を
コウゾウさんは僕にここに来ることや練習をすることを強制することはなかったし、きっと僕が「やめます」と言ったり来なくなっても、怒ることはないだろうとも思う。
でもどうしてだろう、コウゾウさんのためにも練習に来たいと、僕が強くなることで、この人の気持ちに応えたいと自然と思っている自分がいた。
「ねぇ翔、そろそろこっち来てよー」
部屋の中から声が聞こえた。畳の上で姫が足を投げ出して座っていて、座卓には昨日と同じ勉強セットがすでに広げて置いてあった。
「わかった、すぐ行くよ」
僕がそう返事をすると「そうだ翔くん、よかったらこれ使ってね」とコウゾウさんは冷感のボディシートを手渡してくれた。
お礼を言って受け取ると、僕は部屋を借りて着替えをした。
ボディシートを開けると、ミントのようなどこかサッカー部のやつらを思わせる匂いがしていた。
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