3-6 こびりついたもの

「うおー翔くん、本当に勉強教えてくれたの? ありがとう! めちゃくちゃ助かったよ」


 机の上に広がる教科書やノートを見たコウゾウさんは大げさすぎるぐらい大げさに僕に手を合わせて喜んでくれた。

 そこまで喜んでくれるのなら、まぁ、僕としてもやったかいがあるというものだ。


「あのー、そろそろ試練していいですか……今日は塾に行く予定なので」

「え、そうなの? ごめんごめん、じゃあすぐにやっちゃわないとね」


 僕とコウゾウさんは靴を履いて庭に立った。

 姫は縁側に座って足をぷらぷら揺らして見物をしている。


 いつものように財布からカードを取り出して試練の赤いボタンを押そうとすると、そこで初めて自分の手が震えていることに気付いた。


 頭の中に勝手にあのカマキリの牙のついた口、てかてか光る目、鋭そうな鎌の映像が浮かんでくる。


 僕は本当にこのボタンを押していいんだろうか、押せるだろうか、押さない方がいいんじゃないか。


 指が勝手に止まってしまった。

 心臓の鼓動が速くなっていき、額から汗が出てくるのがわかる。 


 あれはゲームのできごとだと頭の中で押し留めていても、湧き上がる本能的な恐怖には抗えないのだということを身をもって実感させられる。


「俺からでいい? レベルが上がってたほうが余裕をもって翔くんのサポートができるからね」


 そんな様子に気付いてか、コウゾウさんが僕に声をかけてくれた。


「お願いします」

「縁側の姫のところにいて、もし俺のHPが減ったのが見えたら回復魔法をかけて、もし何かあったら姫を守ってあげて」


 そう声をかけられて、震えが幾分かましになった僕は「わかりました」とカードを受け取った。


 姫は縁側に座ったまま、ただじっと僕らの様子を見ている。


[レベル:88 HP 380/380 SP 0/0 ]


 思えばコウゾウさんが戦うのを見るのはスライムの時以来だ。


 澪とは違って物理的な戦いになるだろうから、僕もなにか戦闘の参考にできることがあるかもしれない。


 コウゾウさんが庭の中央に行きスゥッと息を吸うと不思議と庭一帯の空気が変わるように感じた。


「じゃあ試練のボタンを押して」


 自分に大丈夫だと言い聞かせてコウゾウさんのカードの試練ボタンを押す。

 その日のモンスターは馬面のゴブリンのようなモンスターだった。


 曲がった背中でこん棒を持ち、緑色の肌で僕ぐらいの身長をしていた。


 馬面のゴブリンは出現するや「シャアアア!」と叫び、こん棒を振りかざして走ってきた。開いた口の中には鋭い牙が見えた。


 コウゾウさんは半身で構えると、表情を一切変えること無く1歩踏み出した。

 そして振り上げられたこん棒を左腕でいなし、体勢を崩したゴブリンの右脇に流れるような動きで右肘を叩きこんだ。


 ドゴンッというお腹の底に響く鈍い音がして壁まで吹き飛んだゴブリンは、煙になって消えていった。


 戦闘はほんの一瞬だった。

 コウゾウさんは冗談みたいに強かった。


 フッと息を吐いて構えを解くと、経験値を拾っていつもの雰囲気でこちらに戻ってきた。


「あ……の、中国拳法をやってたって、本当だったんですね」


 呆気にとられていた僕は、ついそんなことを言ってしまう。


「あははは、やだなー俺は嘘なんかつかないよ。さぁ次は翔くんの番だね、大丈夫、俺がいるから」


 今、この人がどうして「一緒に試練をしよう」と言い出さないかがわかった。

 1人でも余裕すぎるんだ。


 自分のカードの赤い試練ボタンを見下ろす。


 大丈夫、コウゾウさんがいれば大丈夫だ。


 僕はバンジージャンプをするみたいな気持ちで試練のボタンを押した。


 すぐに目の前の地面が歪んで僕と同じぐらいの大きさの鳥が姿を現した。

 いや、頭は完全に鳥なんだけど、身体は人間の形をしていた。それはいわば全身羽毛で包まれた鳥人間だった。


 出現が終わるとすぐに鳥人間は「ピョロロロロ!!」と甲高い声で鳴きながら跳躍し、爪のついた猛禽類のような足を勢いよくこちらに蹴り出してきた。


 僕の身体は石になったみたいに動こうとはしてくれなかった。


 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 あっという間に蹴りの衝撃がやってきて、後ろに倒される。


 今のでどれぐらいHPが減ったんだろう。

 倒れた地面から嘘みたいに晴れた空が見える。


「翔くん! 起きて!」


 コウゾウさんの声が聞こえて、僕はなんとかしりもちを付いたまま上体を起こす。


 でももうすでに鳥人間が僕の方に詰め寄ってきていた。


「うわあああ!」


 もうだめだ、降参! コウゾウさん助けて!

 僕は頭を腕で覆って目を閉じた。

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