3-4 嵌められた

 机や柱にガンガンゴンゴンぶつかりながら叫んで暴れる姫を横目に、後ろからやってきていたコウゾウさんに向かって小声で尋ねる。


「姫、学校は行かないんですか?」

「公的な手続きが難しいからね、姫って日本国籍ないしさ」 


 考えてみれば当たり前か。


 でもこれで、コウゾウさんがどうして僕のことを待っていたのかがなんとなく分かった。


「ねぇ姫、学校があんまり楽しくないって言う人もいるよ、かくいう僕もそうだけど」


 なんとか暴れ続ける姫をなだめようとして言うと、ピタッと姫の動きが止まって今度は壁の方を向いたままで「翔は学校があまり楽しくないの?」と質問してきた。


「まぁ休みの日のほうが嬉しいかな」


「なんで?」

「学校に行くと勉強しなくちゃいけないからじゃないかな」


「勉強、嫌いなの?」

「あんまり好きな人はいないと思うよ」


「どうして?」

「どうしてって……どうしてだろう?」


 答えに詰まった僕を見て姫はようやく立ち上がった。


「よーし分かった、私もその勉強とやらをしてみよう」


 そしてその顔には究極的に傍迷惑はためいわくなやる気が満ち満ちていた。


 これはやっかいなことに首を突っ込んでしまったのでは、という悪い予感がぷんぷんした。


「よし翔、教えてくれ」


 ほらきた。


「いや無理だよ、無理無理。ほらだって教科書もノートもなんにもないじゃん」


 そう言って姫から後ずさって逃げようとしていると、後ろにいたコウゾウさんに肩を掴まれた。


 よく見るとその手には小学1年生用の教科書とノートと筆記用具、ご丁寧にさんすうセットに計算ドリルまで揃えたフルセットを持ち、ニコニコした笑顔を貼り付けて立っていた。


「ちょうど昨日、部屋を片付けてたら出てきたんだよね」


 められた!


 きっと姫に見つからないようにずっと隠してあったに違いない。


「まぁまぁ、俺が教えるよりも現役学生の翔くんが教えてあげたほうが姫もわかりやすいだろ?」


 勉強道具一式を机に置いた後、コウゾウさんは僕に小声で「もちろんタダとは言わないからさ。ね? おまんじゅうもあるよ」と言った。


 中学生がおまんじゅうごときで釣られると思うなよ、という視線を全力で投げかけた。

 しかしコウゾウさんは意に介した様子はなく「よーし、それじゃあ翔くんあとは頼んだよ。俺はちょっとでかけてくるからねー」と強引に言い捨てて部屋を出ていこうとした。


「え、ちょっと待ってくださいよ。試練はいつするんですか?」


 ここに来た本来の意味がなくなってしまう。

 しかしいつの間にかコウゾウさんは金ピカのジャージを着て出かける準備をしていた。

 どこに売ってるんだそんな色。


「ごめんね、帰ってきてからでもいい? これから公民館でおじいちゃんおばあちゃんの太極拳教室があってね、そこで講師役を頼まれてるんだ。おっともう時間だ。そんじゃ後はよろしく、じゃあねー」


 台本でも読んでるんじゃないかと思うぐらいにタイミングよく時間が来たコウゾウさんは、僕と姫だけを残して家を出ていってしまった。


 その太極拳ってのもなんだかかなり嘘くさいけど、本当なのかな。


 ……まぁとにかく、今は姫の気が済むまで勉強をやってみるしかないか。


 ついでに隙を見つけてもう一度フォルティスクエストのことも聞き出してみるか。


 覚悟を決めた僕はコウゾウさんが置いていった小学1年生の算数の教科書を開いて姫に見せた。

 

 でも姫はそれを見るなり「このぐらいは私でもできる、簡単だよ」と、基本的な数の数え方や足し算と引き算はマスターしていることを教えてくれた。

 そういえばあのテレビの上のカレンダーも姫が作ったんだっけ。


 ただ、掛け算はまだあまり知らないらしく、僕は絵を書きながら九九を姫に説明した。


「りんごが4個のったお皿が2つ、全部でりんごは?」

「4たす4で8個でしょ」


 姫は指を折って数えながら答えを出してくれた。


「正解、じゃあこれが3つになると?」

「えーと、じゅう……いくつか!」


「いくつかってなんだよ」


 僕は思わず笑ってしまう。


「だって指の数が足りないよ。足の指も使わなきゃ」

「そうなんだよな。だからこういう1から9までの数字の掛け算って答えを全部暗記しちゃうんだよ」


「ふぅん?」


 意味がよくわからないといった顔で姫が相槌をうつ。


「例えば2の段だったら、ににんがし、にさんがろく、にしがはち、にごじゅう、にろくじゅうに、って感じ」


「へぇ、なるほどなんだか呪文みたい。もっかい言ってみて?」


 もう一度2の段をすべて言い終えると、目を閉じて聞いていた姫は「覚えた」と言ってそれを完全に復唱してみせた。


「……え、すごい」

「ふふん、こう見えて姫だからね」


 腰に手を当てて得意げだった。

 姫であることと九九を覚えることの関係性はさておき、続いて3の段も4の段もあっという間に姫はクリアしていった。


 僕がその場でノートに書いた計算問題も、指を折ったり覚え立ての九九を唱えながら正解していった。


 集中も途切れないし飲み込みが恐ろしく早かった。

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