第3章 試練の日々

3-1 強敵

「ほらほらこっち! パスしろパス!」

「そこ固まるなー! 散れ散れー!」


 体操服を着た男子達が声を張り上げているのが遠くの方で聞こえる。


 1組と2組の合同体育の授業中、僕は体育倉庫の日陰に座ってA班とB班のサッカーの試合をのんびり眺めていた。 


 ちょっと前までは暑さのせいで屋外での体育なんて拷問のようだったのに、今日は涼しい風が吹いている。

 おかげでC班の僕はこうして日陰でのんびりできるというわけだ。


 でも実は本当はのんびりなんてしたくなかった。

 だって何もすることがないと考えが巡ってしまうから。


 シャワーをしている時や歯磨きをしている時と同じだ。

 嫌だったことや恥ずかしかったことなんかを意図せずに思い出して無性に叫びだしたくなってしまう。


 例えば昨夜のこと。

 ゲーム開始から34日目だった。

 塾終わりに公園で待っていると、マメ太のリードを握った澪がフェンスの向こうに見えた。


 大きめなクリーム色のパーカーを着ていて、公園に入ってくると被っていたフードを脱いで「おいっす」とこちらに右手を上げてきた。

僕も手を挙げて「おつかれー」と返した。


 毎日会っているせいか、最近はお互いに緊張感もなくなってきている気がする。


 とはいえやっぱり学校ではお互い話しかけたりすることはおろか、視線を合わせることすらない。


 そこはお互い空気を読んでいるというわけだ。


「今日もさっさとやっちゃお」


 澪はステータスカードを出して、試練ボタンを押した。


 もう1ヶ月以上毎日やってきた動作で、緊張感や不思議さなんてなくなってきた。


 最近、モンスターの攻撃性は確かに上がっていたし、どうしてか僕だけレベルの上がりは2人よりもかなり遅かったけれど、まだ試練に苦戦したことはない。


 現にこの日現れた澪のモンスターはマンモスみたいなやつで図体こそ大きかったもののミニファイヤーで一撃だった。


 油断してはいけないと思いつつも、たぶん今日も大したことがないだろうし、もしかするとラスボスもそんなに強くないんじゃないか、という楽観的な考えが心の内に芽生えていた。


 そしてその日、地面にできた次元の歪みから僕の前に現れたのは、ピンク色で人間の大人の背丈ぐらいある巨大なカマキリだった。


「ひぃぃやぁぁ!!」


 虫に反応した澪がマメ太をひっぱって壁に隠れる。

 ちなみにマメ太はモンスターのことを全然知覚できないらしく、吠えるどころか主人の身に何が起こってるのかまったく予想もできていないようで、試練の時間はいつも不思議そうな顔をしているだけだった。


 僕はいつもの指示棒を伸ばしてカマキリと対峙する。

 三角形の顔の両側についた複眼がしっかりとこちらを見下みおろすように捉えている。


 餌になるバッタってこんな気持ちなのかな、という弱気な考えが浮かぶ。


 いや、きっと今日も大丈夫なはずだと自分に言い聞かせて怖い気持ちを押し殺し、近づいて顔をめがけて指示棒を振り下ろした時だった。


 硬い金属を叩いたような感覚がした。意外にもカマキリの動きが素早くて、右の鎌で受け止められてしまっていた。


「え」


 こうして攻撃を止められたのは初めてのことだった。

 僕は驚いて動きが止まってしまった。


 それがいけなかった。


 左の視界の端で何かが動いたのが見えると同時に、僕は左の鎌で思いっきり胴を挟まれてしまった。

 お腹を前後から巨大な洗濯バサミで挟まれたかのような衝撃があった。


 のこぎりの刃のように尖っているカマがわき腹にめり込んでいるような感覚がして、身体が少し持ち上げられ、足が地面から浮く。

 咄嗟に身をよじって逃げようとしたけれど、上半身ががっちり鎌に挟まれていて足でジタバタ空中を蹴ることしかできなかった。


 徐々に僕はカマキリの顔近くまで持ち上げられる。

 光沢のある眼に驚きと恐怖でひきつった自分の顔が映っている。


 目の前まで近づいたカマキリの口元に長い牙のようなものがわしゃわしゃと動いているのが見えて、あれに食べられたら死ぬな、と直感した。


 え、死ぬ?

 

 パニックになって「うわああぁー!」と叫びながらもがむしゃらに指示棒を振り回した。


 遠くの方で「ミニファイアー!」という声が聞こえた気がして、次の瞬間、鎌から開放されていた。


 お尻から地面に落ちていて、咄嗟についた手のひらに砂がめり込んでじんじんと痛んだ。


 力いっぱい暴れたからか、息が苦しくて目の前がチカチカとしていた。


 あわててTシャツをめくってカマに挟まれたところを確認したけれど、特に血が出ていたりケガをしていることはなかった。


 冷静になってみるとあの挟まれた感覚の割には痛みはほとんどなかったように思え、そこだけはゲームなりに弱体化してくれているようだった。


 地面に座り込んでいると「翔、大丈夫?」と不安げな顔の澪がおそるおそる出てきた。


「ごめんね、すぐに助けられなくて」


「やばかった、本当に。……でも、助かった、ありがとう」


 しばらく座って息を整えた後、ポケットに突っ込んでいたステータスカードを引っぱり出してみる。


 いったいどのくらいHPが削られてしまったんだろう。


[名前:翔 レベル49 HP149/180 SP40/40]


 あの攻撃で31もHPを削られている。もしあのまま捕食されていたら”瀕死”もあり得たかもしれない。


 それが一体どういうものなのかはわからないけれど、これだけリアルなゲームだから、意識不明になったり最悪の場合本当に死んだりするかもしれない。

 そう思うと急に心臓を鷲掴みにされたような不安が僕を襲った。


 僕は[キュアー]を使用した。緑色の光が僕を包み込む。


[名前:翔 レベル49 HP167/180 SP30/40]


 回復量はしょぼいけど、何もしないよりましだ。


 ここにきて明らかにモンスターの強さが上がった気がする。それとも僕のレベルがゲームの進行に追いつかなくなってきているのだろうか。


 僕の肩越しにステータスカードを覗き込んだ澪は「大丈夫だよ、まだHP結構残ってたし、キュアーもあるんだしさ。今日はたまたまだよ」と慰めるように言ってきた。


 今になって思い返せば、それは僕を少しでも安心させようとしてくれたのだろうけれど、その時の僕はさっきまでの恐怖でそれに気付けるような状態じゃなかった。


「大丈夫なわけないだろ」


 それはおよそ自分の口から出たとは思えない冷たい声だった。


 澪だってあのイモムシ事件の時に同じような怖い目に合ったはずなのに、僕は澪が今の状況を全く深刻に捉えていないんじゃないかと思い込んでいた。


「大丈夫なわけない」


 再び僕がそう言うと、澪は申し訳無さそうにうつむいた。


「そう、だよね。……ごめん」


 なんだか立っている足元に奈落へ続く穴がぽっかりと開いたような気持ちになった。

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