2-4 一緒に帰ろう

 息も切れ切れで城南公園につくと乗り捨てるように自転車から降りた。

 見るとすべり台の前にアゲハチョウの幼虫を大型バイクぐらいにまで巨大化させたようなモンスターがゆっくりとした動きでうねうねと動いていた。


 一瞬で状況が理解できた。澪は虫が嫌いだけど、特にイモムシ系はダメなんだ。


 昔に理科の授業で幼虫の観察をすることになり、教室から逃げ出したことがあるぐらいに。


 僕は荒くなっていた息を無理やり止めてモンスターの背後からこっそり近づき、指示棒でイモムシのぷりぷりした尻をぱしっと叩いた。


 すると「ぐにぃー」という断末魔と共にあっさりとそいつは消えていった。


 これでひとまず安心だ。


 でも、どこにも澪の姿が見えない。


 ……まさかやられて瀕死になってないよな。


 周りを見渡したり「おーい、澪、無事かー?」と呼んでみたりしていると、ついに覗き穴が空けられたコンクリート壁の遊具の後ろからすすり泣く声が聞こえた。


 回り込むと、膝を抱えて座り込んでいる澪の姿が、公園の白い電灯の光に照らされているのを見つけた。


 マメ太が心配そうに主人の周りをうろうろとしている。リードは手放されていて地面を引きずっていた。


 なんとか無事そうな姿を見て安心した僕は、思わず安堵のため息をついて地面の上に座り込んだ。

 全速力で自転車をこいだせいで、着ていたTシャツが汗でびちょびちょに濡れて肌にひっついていた。


 しばらくの間、澪のすすり泣く声と、僕の荒くなった息の音が公園に響いていた。


「生きてる、よな?」


 やっと落ち着いて息ができるようになった僕がそう言うと、澪は下を向いたままかろうじて聞こえる小さな声で「生きてるけど」とだけ言った。


 僕が次にどう声を掛けたらいいものかと考えを巡らせていると、澪が「もう無理なんだけど、まじで」と言った。


 よく見ると、街灯の白い明かりの中で地面をじっと見ている澪の顔は何かに怒っていて、頬には涙が伝った跡が光っていた。ふてくされてる顔とも言う。


「いやーまぁ、そりゃあれだよ。人間だもの、無理なことだってあるよ」


 そんな底の浅いフォローに澪の表情は1ミリたりとも動かなかった。むしろさらに怒りが増したような気さえする。


 次はどんな言葉をかけたら澪を怒らせずにすむのか、僕の頭はフル回転する。「無事だったんだし、泣くなよ」これは違う「あんな虫ぐらいどうってことないじゃん」これは論外。考えれば考えるほど空回りしている気がする。


 沈黙が僕らの間を流れる。


「ごめん」


 空回りしきって考えが回らなくなった僕の口からぽろっと出たのはその一言だった。


「何が?」


 しかしちゃんとよく考えると、謝らなきゃいけないことがあった。


「1人で試練させて、怖い思いさせて、悪かった」


 澪のことだ、僕が敢えて1人で試練をしていたことなんて想像がついていただろう。


「……ほんとに思ってる? それ」


 澪に泣き腫らした顔を向けられて僕は蛇ににらまれたような気持ちになる。


「思ってる、本当に。これからはできる限り一緒に戦う。もしまた虫系のモンスターが出たら、そのときは僕がなんとかする」


 思いついたままにそう提案すると、澪はまだ疑いの目で見てくるだけだった。


「本当に、悪かったよ」


 そう言って頭を下げると、澪は何度か鼻をすすった後にやっと「絶対?」と言った。


「ああ、絶対」


 澪はまだ疑いの目を向けていたけれど、諦めたようにため息をついて「仕方ないなぁ、今回だけは許してあげようかな」と涙声で言った。

 ずいぶん上からの物言いだったけど、さっきまでの怒りは若干薄らいだように見えた。


 僕はカバンにポケットティッシュがあったのを思い出して、澪に渡してあげた。

 受け取ったそれで涙やら鼻水やらを拭くと澪は「それ、何?」と、僕が手に持ったままの指示棒を指さした。


「あぁ、これ? 新しい武器なんだ、100均の指示棒。いいだろ、伸縮自在だ。さっきのモンスターも一撃だったし、もしかすると強いのかもしれないよ」


 僕が指示棒を伸ばしたり縮めたりして見せると、澪はすぐに「かっこわる」としらけた顔をした。


「はぁー? それが助けてもらった人間に対して言うセリフかよ」


 澪は短く涙声で「ふふっ」と笑う。

 それを見て、僕は心底安心した。


 どうやら僕はいくら澪と言えど、泣いてる女の子の姿には弱いみたいだ。


 その後ようやく澪が歩けるようになって、一緒にイモムシを退治した場所で経験値のクリスタルを探してみたのだけど、なかなか見つからなかった。

 スマホのライトを手がかりにしばらく探し続けてようやくいつもに比べてかなり小さな緑色のやつを見つけることができた。


 澪はそれを巾着袋に入れると大きなため息をついた。


「ごめん、遅くなっちゃったね」


 そう言ってふらふらした足取りで帰ろうとしているのを見て心配でいられなくなった。


「無理するなって。ほら、一緒に帰ろう」


 澪は少しだけ驚くような表情をして、でも「うん」とうなずいた。


 公園を出て澪の家に向かって歩く。自転車のタイヤが回るカチャカチャという音だけが夜の住宅街に響く。


「ね、翔覚えてる?」

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