1-2 宝仙堂
さっきまでとは違う、いやに冷たい汗が背中を伝って落ちていく。
いつもの制服姿とは違って白くて控えめなフリルのついたブラウスにデニムのスカート、お
背も結構高い方だし、本当に僕と同い年の人間なのか疑わしいぐらい大人びて見えた。
「や、やぁ咲花さん。えーっと、なんでこんなところに?」
彼女は一瞬きょとんとした顔をした後、その眉間にしわを寄せた。
「さ・く・は・な・さん〜? 今更名字で呼ばないでよ。気持ちわるぅ」
澪とは家がそこそこ近かったし、母親同士が似たような仕事をしていて仲が良かったので事あるごとに顔を合わせていた。
だからそりゃあ確かに低学年の頃は互いの親が普段呼んでいるように下の名前で呼び合っていたこともあった。
でもそんなの遠い過去の話だ。
まさか中学生になってからも下の名前で呼ぶことを強いられるとは思わなかった。
だって普通に考えて恥ずかしくないか?
それに、僕らは少なくとも1学期の間は全く会話をしていないはずだ。
あ、そうか。
澪が僕を下の名前で呼ぶということは、それぐらい異性として意識していないってことで……逆に名字で呼ぶと変に異性として意識しているみたいで気持ち悪いことなのかもしれない。
そういうことか。
「ってか翔、まーだそんな小学生みたいな格好で外をうろついてるわけ? ダサすぎでしょ」
前々からちょっと口が悪いのは知ってはいたけれど、久々に話した相手にそこまで言う?
すこしムカッときた僕は、こちらを品定めするような目で見ている澪の顔を見返した。
本当に、久しぶりに澪の顔を間近で見た。
そこでやっと澪の少し栗色がかった柔らかそうな髪の毛があか抜けた感じのショートボブになっていて、眉毛も綺麗に切りそろえられていて、それらがバランスよく配置されていて以前よりずっと大人っぽくなっていることに気づいた。
こういうの、端正な顔立ちって言うんだろうな。
僕が何も言い返せずにいると「いい加減まじで服ぐらい自分で選んだ方がいいと思うよ」と追い打ちをかけられた。
そりゃ澪はもとがいいからな。
とはいえ、自分の格好を見下ろすと、母さんが買ってきたカーキ色の短パンにギザギザしたプリントのシャツだ。よく見たら汗が滲んでシミになっているし、靴なんて土で汚れた学校指定のスニーカーだった。
確かにダサい。
かといってそれを肯定するのも癪だったので「それでさ、さっきも聞いたけど、なんでこんな所にいるの?」と強引に話題を変えた。
澪はまた少し顔をしかめて鼻をふんと鳴らした。
「それはこっちのセリフだけどね。私はお母さんに頼まれてコウゾウさんのところに町内会の書類を届けに行くの。ここに来たのはそのコウゾウさんからも買い物を頼まれてるから、ついでに寄ったの」
「コウゾウさんって、あの、コウゾウさん?」
「そうだけど?」
あのコウゾウさんってのはこの近所じゃ”ちょっと変わってる”ことで少し有名な男の人だった。
仕事はしていないはずなのにいろんな国を飛び回ってるとか、家に浮浪者が出入りしてるとか、年中げたを履いているとか、中国拳法の使い手だとか、根も葉もあるのかないのか見当がつかない謎の噂を何度か耳にしたことがある。
僕も実際にその姿を何年か前の夏祭りで一度だけ見たことがある。今となってはその記憶にある姿は、なんだか背が高くて、派手な格好をしたすごい天然パーマの人、というあやふやな外見しか残っていない。
そういえばあのお祭りの日、浴衣姿の澪はコウゾウさんの手を引いて一緒に楽しそうに並んで歩いてたっけ。
「で、翔は? なんでこんなとこにいるの?」
「あー……。えーと、まぁ散歩、みたいな感じかな」
そう言ってはぐらかすと、澪は信じられないという顔で僕の方を見た。
「は? この猛暑の中を? 頭パープリンなんじゃないの?」
「パープリン? ……なにそれ」
良い意味じゃないだろうとは思ったけど、一応意味を聞いてみた。
「頭がパッパラパーで脳みそがプリンでできてんじゃないの、って意味」
あー、なるほどね。そういうことね。
一応頷いたけど、錆び付いたロボットみたな動きになってしまった。
「で、本当の理由は? どうせ散歩なんて嘘なんでしょ」
ほっといてくれたらいいのに、さらに突っ込んで訊いてくる。
僕はしばらく言葉を選んでから「家で母さんが煙の殺虫剤を焚いてるから。しばらく帰れないんだよ」と言った。
別に嘘をついたわけじゃないけど、澪は「ふぅん」と信じたのか信じてないのかよく分からない返事をした。
「いらっしゃいませ」
いきなり耳元にしゃがれた小さな声でささやかれて僕はとびっくりして「うわぁ!」と飛び上がった。
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