第九話

 前述のとおり西軍は小倉宮末子を西陣南帝として迎え自前の朝廷を擁し、さらにそれより以前には義政の弟で次期将軍と目されていた足利義視をも迎え入れていたから、「西幕府」と呼ばれるほどの体裁を整えていた。先の問答もあったとすればこのころのことだろうと考えられており、文明三年(一四七一)の下半期ごろが宗全にとっては得意の絶頂ではなかったか。

 宗全はしかし、焦っていた。西幕府として新たな秩序を構築し、西国最強の呼び声も高かった大内政弘の助力も得て、実力的には東軍を圧倒しても良さそうだったのに、一向に戦いの終わりが見えなかったからである。市中では今日も、両陣営の足軽が西へ東へ奔走しているところであった。

何某なにがし、どこかしこを奪取」

誰某たれがし、敵首を討ち取りましてございます」

 開戦以来そのような注進を何度耳にしたか分からない。勝った話しか聞かないのに、戦いがいつまで経っても終わらないのは、宗全にとって不思議の仔細と言うべきであった。

 あるとき宗全は、手柄を挙げたという足軽に自ら恩賞を沙汰した。浅黒い肌に汚らしい無精髭を生やし、眼をぎょろつかせた足軽であった。八郎右衛門とかなんとかいう名前だったが、宗全には下賤の者の名を覚える気などさらさらなかった。

其処許そこもとの武勇は古今比類ない。よって堀川より東での焼き討ちを許す」

 これを聞いた八郎右衛門は宗全の前を退出するや、嬉々として街区に繰り出していった。

 八郎右衛門が立ち去った後、陪席の山名重臣太田垣土佐守が言った。

「大殿、もう乱妨狼藉を以て恩賞に代えるようなやり方は……」

 諫言であった。

「何を申すか。ではなにか我等から褒美を与えよと申すか」

 宗全が色をなして反論する。

 この時代、敵陣営に先立って足軽を動員することが勝利への近道だった。開戦と同時に両陣営は諸方から足軽を集めるべく努力し、戦力が拮抗するなか、その努力はいまも続けられていた。

 しかし足軽といえば本貫地とは無縁の、その日暮らしの日雇い兵である。

 既に開戦四年をけみし、各家各陣営とも莫大な出費を強いられている折とあっては、そういった足軽に、やれ銭をくれてやるだとか太刀をくれてやるといった形で恩賞を沙汰してやれるほどの財力はもう残っておらず、いまや略奪許可が恩賞代わりに成り果てていたのであった。

 もとより太田垣土佐守も、重臣なればこそ山名の苦しい台所事情を承知の上で諫言に及んだのである。宗全の反論を受けて、太田垣は言葉を継ぐことが出来なかった。

 翌日のことだ。

百々橋どどばし付近にて敵の足軽多数を討ち取りましてございます」

 太田垣土佐守から注進があった。百々橋はみやこを東西に分ける小川に当時架かっていた橋だ。開戦から四年も経って、双方未だに互いの境界を突破できていなかったのである。

 手持ち無沙汰だった宗全は自ら首実検を執行すると言い出した。

「取るに足らぬ足軽の首ゆえに……」

 太田垣はいかにも気が進まないといった風情を醸しながら言ったが、宗全はそれでも構わないと言った。

「これは……」

 宗全は眼前に並べられた首のひとつを見て愕然とした。

 浅黒く汚らしい無精髭を生やした顔。八郎右衛門であった。

「これは味方の首ではないか」

 宗全が太田垣に言った。

「いえ、堀川より西で狼藉を働いていた足軽です。百々橋より東に逃れようとしていたところで討ち取ったそうです。れっきとした敵首です」

「馬鹿を申すな。昨日褒美を与えたであろう。たしかそう……八郎なんとか……」

 そこまで言って宗全ははっとした。

 この八郎右衛門は昨日、宗全から乱妨狼藉の許可を得て、確かに東軍の管轄下で暴れ回ったのだろう。そして食糧か材木かは知らぬ、何ものか物資を略奪して身を肥やしたあと、今度は東軍に転じて褒美代わりの略奪許可を得、今日は西陣の管内を荒らし回っていたのである。

 あらかた暴れ回ったあと、八郎右衛門は手柄をひっさげ百々橋を東に渡ろうとしたところ、西軍に討ち取られたということであった。

(これでは……終わるはずがないではないか……!)

 何のことはない。戦っていた大名にとって戦力の中核をなしていた足軽は、今日は西、明日は東といった具合に、東西両陣営を好き勝手に往来していたという、ただそれだけの話であった。

 考えてみれば、確かにこういった足軽連中が、顔も見たことがないような宗全なり勝元に忠節を誓わなければならない謂われなどあるはずがなかった。

 誰も彼も、ろくな社会保障もなく明日の命をも知れなかったなかで、生きるために物資や食糧の略奪に狂奔していただけだった。彼等にとって大名など、略奪を公認してくれる好都合な存在でしかなかったのである。

 実際足軽にとっては西が勝とうが東が勝とうが、そんなことはどちらでも良いことだったに違いない。いずれが勝ったところで、勝った者がこれまでどおり自分たちから収奪する未来が待ち受けているだけなのだ。だったら混乱に乗じ、奪える間に奪ってしまう姿勢こそが最適解ということになる。どんな馬鹿でもこの結論に行き着こう。

『応仁記』は謂う。


天下ハ破レバ破レヨ、世間ハ滅ビバ滅ビヨ、人ハトモアレ我ガ身サヘ富貴ナラバ他ヨリ一段瑩羮様かがやかんようニ振舞ン


 当時の世相を語るうえで、これほど的を射た一文はないとされる。

 応仁の乱の長期化にはさまざまな要因が挙げられるが、諸大名諸勢力の動向に加えて

「中核戦力だった足軽が東西両陣営を自在に往来していたこと。そのモチベーションは主に略奪であり、敵の打倒ではなかったこと」

 も挙げられるのではなかろうか。確かにこれでは戦いの終わる道理がない。

 山名から受ける恩恵が足りないと見れば躊躇せず敵陣営にも味方する。これぞ宗全の思惑さえも超え、勝手に増殖した山名軍団のなれの果てであった。

 太田垣土佐守の冷え切った視線にありありと浮かぶ軽侮。そして憎悪。

 その視線の先には、今さら真実を知ってうろたえる、無知で哀れな主人が、ひとり呆然とたたずんでいた。

 みやこはいまや地獄の釜であった。

 町衆、足軽、諸勢力諸大名入り乱れ、殺し合い奪い合い、攻守ところを変えながら混ざり合う様はまさに混沌カオス

 期せずして共に放り込まれることとなったあんなものやこんなものと一緒になって、ぐつぐつと煮えたぎる釜の中を宗全も懸命に泳ぐ。行き着く先など知る由もなかったが、泳ぐのを止めれば沈むことだけは分かる。途中で投げ出した者が戦いに負けるのである。

 行き先も知らず、さっき泳いだのと同じところかどうかさえも分からぬ釜の中を、ぐるぐると、ただぐるぐると泳ぎ続けるしかない宗全。

 泳ぎ疲れくたびれ果てた宗全には、この戦いを終わらせる意思も能力も、もう残されてはいなかった。

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