第七話

 文正二年(一四六七)正月、宗全は自邸に畠山はたけやま義就よしひろを迎えていた。義就は先年の嶽山合戦に敗れ、吉野に逃れていたが捲土重来、昨年上洛を果たしたのであった。敗残の身だったはずの義就が復活を遂げたのは、宗全の後ろ盾があったからに他ならぬ。

 みやこは緊張に包まれていた。ほんらい管領畠山政長邸に御成おなりするはずだった将軍義政が、その予定を急遽取りやめて義就の饗応を受けることにしたからだ。一時は朝廷に頼んで治罰綸旨を賜るほど敵視した義就の饗応を義政が喜んで受けるはずがない。宗全が軍事力にモノを言わせて、政長邸への御成を潰したのである。

 洛中に屋敷を持たない義就に自らの邸宅を貸し、義就による将軍饗応を援助する宗全。忙しそうに立ち働く家中衆のなかに見慣れない小者が多数ある。着している小袖はどう見ても不似合いで、せいぜい乞食が巻き付けている垢まみれのぼろ布がお似合いといった連中ばかりだ。

 宗全が供廻りの者に

「あれは見慣れぬ顔だが何者だ」

 と訊ねると

「家中の某が、昨今被官人として召し抱えた小者と聞いております」

 どうやら新参者であり、顔も名も知られていないようである。それが一人や二人といった話ではなく、そこかしこで膳を運んだり屋敷を掃き清めたりしているのである。

 供廻りの武士は言祝ぐように微笑みながら続けた。

「誰も彼も、山名の武名を慕い集ってきた者ばかりでございますぞ」

 いまや宗全の武名は、将軍義政ですら恐れおののくほど高まっていた。市中で消費生活を営むにしても、山名を名を口に出しさえすれば多少の無理が通るという世情だった。

 しかしそう聞いて宗全が覚えたのは喜びではなく不安だった。

 いま自分の目の前で立ち働いている「自称山名の被官人」どもを、果たして自分は本当の意味で使いこなしているといえるだろうか。自分はいま、彼等を使役して将軍饗応の席を準備させており、これから先、なにかしらの争乱があったときには、こういった連中に命を差し出してもらうつもりで主従関係を締結しているというのが建前のはずだった。

 あの小者連中はきっと、街区を我が物顔で闊歩していた山名被官人になんらかの方法で取り入り、その場で主従関係を取り結んだのだろう。山名被官人が道行くたびに、このような光景が繰り広げられていると考えなければならなかった。先の大飢饉の影響は未だにくすぶりつづけており、飢えた人々が後ろ盾を得ようと、なりふり構わず武家被官人に取り入るのが常の光景になっていた。

 これはつまり、山名軍団が宗全自身の制御を超えてひとりでに増殖しはじめていることを意味していた。

 自分が制御できない状況下で勝手に殖えた軍団が、自分の命令に従うはずがないではないか。

 宴の前にふと覚えた不安は、或いはなにかの予兆だったのだろうか。

 さて、宴は進むが義政に愉しんでいる様子はない。宗全にしても義就にしても、義政が一度は追放したような連中だったのだから、その主催する宴に呼ばれてなんで愉しいことがあろう。箸に手をつけず青い顔をしながらちびりちびりと盃を重ねるばかりの義政。毒を盛られたり、浴びるほど呑まされて酔い潰されるのを恐れているのだ。

「義就殿、御所様の盃がお進みでないぞ」

 義政の様子を見咎めたのが宗全だった。赤ら顔にさらに赤身が重なって、ただでさえ大きな顔が赤黒く染まりさらに大きく見える。

「まことでございますな。それがしは御所様より盃を賜りとうございます。さ、さ。まずはぐい、ぐいと」

 自ら銚子を手に義政ににじり寄る義就。義政は迷惑そうに盃を出し、義就の充血した眼に睨まれながら注がれた酒を飲み干そうとした。

「うぶっ! ほげぇ~ッ!」

 むせる義政。

「これは! 室町殿ともあろう御方にあるまじき粗相!」

 義就は手を打って大喜びだ。

「ゲホッ! ゲホッ!」

 苦しそうに咳き込む義政に対し、介抱するどころか息もかからんばかりに顔を近づけ、舐め回すように睨み付ける義就。

「昔から神輿は軽いに越したことはないと申しましてなぁ。あまり御自身の色を出そうとなさらないことです。もしお引き立てあらばこの義就、身命を賭して御所様を扶け奉る所存にございます。逆もしかり。そのことゆめゆめお忘れあるな」

 舌を巻きながら恫喝し、しまいには

「というわけで、それがしの言いたいことは分かっていただけましたかな」

 と付け加える義就。

「ゲホッ! わかっ……分かったからもう許して……ゲホゲホッ!」

「がはははは、義就殿、余興が過ぎようぞ!」

 大笑する宗全。

 山名や畠山の被官人が屋敷の中をうようよしているとあっては、かかる無礼の振る舞いにさすが将軍親衛隊ともいえる奉公衆ですら手も足も出ず、義政主従は逃げるようにして宗全邸をあとにするしかなかった。

 翌日、驚くべき人事が発表された。畠山政長の管領罷免と、新たに義就を管領に据える辞令が交付されたのである。

 失脚した政長は、慣例にのっとり自領に落ち延びる素振りを見せたが一転して相国寺北の上御霊社に陣取った。この場で義就と一戦交えようとしたのである。戦乱が市中に飛び火することを恐れた義政は、勝元や宗全に対し手出し無用を通達した。

 しかしこれまで合戦に勝利することで武名を高めてきた宗全が、この期に及んで手控えするなどあり得ない話であった。将軍の命令を遵守した結果敗北を喫するなど、勝利を至上とする宗全にとって本末転倒の沙汰というべきであった。

 勝元が通達に従ってバカ正直に政長への肩入れを控えるなか、宗全は公然と義就に助力して勝利を手助けした。

 事前に手出し無用を通達していたはずの義政も、武家の棟梁である以上勝った方を顕彰しないわけにはいかなかった。

 もし将軍義政が無節操、無定見と嘲われるなら、その評は山名宗全にこそ当てはまろう。なにしろ宗全は、はじめは細川勝元と協力して畠山持国、義就父子を追い落としたのだから、その義就をいまは扶けるというのでは道理に外れているといわざるを得ず、無節操となじられても仕方がない。

 この宗全の無節操を問題視する者は山名家中にもあった。嶽山城攻めで義就と激しく干戈を交えた次男、弾正是豊である。麾下将兵のなかには義就との戦いで命を落とした者も少なくなかったはずだ。義就との提携路線は、弾正是豊にとって到底容認できないものだったに違いない。

 乞食に毛の生えたような連中が利を求めて宗全の身辺に蝟集するなか、身内からは宗全と距離をおく者が出始めていた。

 来るべき大乱の足音は、もうすぐそこまで迫っていた。

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