第九話
長禄元年(一四五七)一二月二日子剋(午後一一時から午前一時)、赤松牢人衆はかねてより定めおいた手はずに
たびたび引用する「南方御退治條々」を読み解くと、赤松牢人衆にしても後南朝勢力にしても、その北限である河野郷に重点的に配置されていた陣容が読み取れる。北朝との間で戦端が開かれれば後南朝の前線基地になるのは河野郷だったはずであり、新参の赤松牢人衆は後南朝勢力の先兵として過酷な戦場に身を投ずべく、河野郷に多数置かれたのであろう。
翻って
後南朝の本丸ともいえる行宮に味方はほとんどおらず、潜伏後一年を経過しても赤松牢人にとって準備万端とは到底いえない状況が続いていた。これだけ待っても状況が好転しなかったのだから、それ以上の待機はたしかに無意味といえた。
その意味でも中村弾正があらかじめ決行日を定めておいたのは慧眼というべきであった。多少準備不足でも、予定日をあらかじめ決定している以上、決行せざるを得ないからであった。
丹生屋兄弟は行宮に侵入すると、
南帝
丹生屋兄弟は神璽を奪取すると、深い雪のなかを泳ぐようにして北に向かった。河野郷の仲間と合流するためであった。
上北山の郷士がどの段階で凶事に気付いたのかははっきりしないが、ある程度経過してからではなかったか。
行宮はまさに後南朝の中枢であり、周りには後南朝の郷士がうようよしていたはずだから、即時に察知されていたらそれこそ蜂の巣をつついたような騒ぎとなって、兄弟が上北山を脱出するなど到底かなわなかったはずだからである。
しかし丹生屋兄弟は南帝御頸と神璽を抱えながら伯母谷を切り抜け、さらに河野郷が所在する川上村まで到達している。史料によって明示されているわけではないが、川上村に伝わる「
御首載石は昭和三四年(一九五九)九月の伊勢湾台風で流出してしまい、その後新たに吉野川沿いに遷移させられたが、ここも大滝ダムの湖底に沈むことになったので、現在の位置に遷移させられたものと伝えられている。御首載石と並んで「後南朝最後の古戦場」の碑文も建立されているが、以上の経緯から古戦場もまたダム湖底に沈んだものと考えられ、碑文並びに遷移を繰り返した御首載石の遺構は必ずしも実態を反映しているとはいえないが、その場所が大きく外れているということはないだろう。やはり現所在地からそれほど離れていない場所にあったものと思われる。
合流した南帝殺害部隊と二宮殺害部隊は手を取り合って喜んだことだろう。この任務における最大の難関は敵地からの退去だったのであり、南帝殺害部隊が川上村まで到達できたということは、間もなく敵勢力圏から脱出できるということを意味していた。
ここに現れたのが後南朝きっての勇士大西助五郎と、弟三郎の仇討ちに燃える井口太郎であった。事変を知って急ぎ追いすがったものか。
前述のとおり南山の人々が凶事発生を察知するまでにそれなりのタイムラグがあったはずだが、彼等はそれでも赤松牢人を捕捉したのだから、やはりこの地域における練度においては南山の人々に一日の長があったというべきであろう。
兎も角も、吉野一八郷の郷士を率いる彼等と赤松牢人との間で激しく干戈が交えられることとなった。
南帝を刃にかけ神璽を奪った丹生屋兄弟と、赤松牢人の頭目中村弾正は執拗に狙われたはずである。
大西助五郎は橘将監から授かった強弓を引き絞り、中村弾正に向かってこれを射た。矢は中村弾正の脇腹を過たず貫いた。
もんどり打って倒れ込む弾正。
「無用だ。丹生屋兄弟の脱出を援護せよ」
と言ったが、忠阿弥によれば無常にも丹生屋兄弟は討たれ、南帝御頸並びに神璽は吉野郷士に奪取された旨であった。
これを聞いた中村弾正は息も絶え絶えに
「もとより実現困難な任ではあったが、両宮を生害したうえは
後事は
と言い残した。
性説とは赤松家重鎮
中村弾正は小寺性説に神璽奪還を託して事切れた。
大将格の中村弾正を失い、南帝御頸も神璽も奪還された赤松牢人衆は或いは討たれ、或いは深雪に迷い込み、吉野を脱出できたのは上月満吉ほか数えるほどしかいなかった。
いっぽう赤松牢人衆を退けた後南朝の人々も悲痛であった。もはや御頸だけとなった南帝を、後年「御首載石」と称されることになる台状の石の上に戴いて、悲嘆に暮れる南山の人々。
伯母谷において病床にあった橘将監は南帝御討死の凶事を聞くや悲嘆とともに吐血した。
「すべてが後手に回った……」
苦しげに呟く将監。
逃げようという赤松牢人衆を捕捉殲滅した強行軍も、中村弾正を
要衝伯母谷を経由した情報伝達網は上北山における凶事発生を吉野一八ヶ郷に周知せしめ、賊徒を追い詰めることに役立った。
橘将監が張り巡らしていたありとあらゆる策は図に当たり、その結果南帝御頸並びに神璽を奪還できたのである。
(だから……だからどうしたというのだ……!)
南帝御頸が賊徒の刃に裂かれたことによって、これまでうってきた対策のすべてが周回遅れの後手に回ることになってしまった。
赤松牢人は南山に深く潜り込み、一年にもわたって敵情を探索した上で事を成し遂げた。敵ながら賞賛に値する強い決意であった。橘将監はまたしても、強い決意を持った敵に敗れたのであった。
いくら悔やんでみたところで、南帝が還御なさることはない。
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