第三章 南山の苔にうづもるとも――長禄の変
第一話
元中九年(北朝元号明徳三年、一三九二)閏一〇月、南朝後亀山天皇は足利義満からの和約の呼びかけに応じ吉野を出御、入京のうえ退位あそばされた。世にこれを「明徳の和約」と呼び、よって約六〇年に及んだ皇統分裂の異常事態がついに終わりを告げたのであった。
南北両統が交代で
幕府は南朝との和約条件を公然と踏みにじったのであり、かかる不当裁定に不満を抱いた旧南朝勢力は、これ以降あるときは関東兵乱と結びつき、またあるときは南朝忠臣伊勢国司と結びつくなど、ことあるごとに京都政界に楯突いて、幕府にとっては頭痛の種となっていた。
思いあまった六代将軍足利義教は、
凡南方御一流、於于今可被断絶云々
(およそ南方御一流、今においては断絶さるべしと云々)
との基本方針を据えて、南方御一流すなわち後醍醐流対策に乗り出すことになる(『看聞日記』永享六年(一四三四)八月二〇日条)。
後醍醐流には、玉川宮、小倉宮、
これら後醍醐流宮家のなかには、それでもなんとか北朝秩序になじもうと努力した宮家もあったが、こちらが努力を重ねてもあちらの断絶方針に変更がないとなれば、進むべき道は畢竟挙兵と決まっていた。
案の定というべきか、嘉吉三年(一四四三)九月、大事件が
七代将軍足利義勝の夭折に乗じて旧南朝を中心とする武装集団が禁裏に乱入、神璽並びに神剣を強奪したうえで山門(延暦寺)に立て籠もったのである(禁闕の変)。
延暦寺に逃げ込んだ旧南朝勢力は「永享の山門騒動」の過程で義教にさんざんいたぶられた山門が、自分たちに合力して挙兵する展開を期待したようだが、山門側は衆議に一晩を費やしたうえで協力拒否と決し、懐に飛び込んできた窮鳥をかえって追い回したという。
鳥羽尊秀や
神剣が、これより二五〇年以上も前に安徳天皇の玉体とともに壇ノ浦に沈んだ事実を知らない者はなかっただろうし、禁裏襲撃の際、後花園天皇が抱いて逃げたという神鏡もオリジナルは既に失われており、神剣、神鏡とも複製品だったという噂は当時からあったらしく、ひとり神璽だけがその形状を往古より伝える天皇家累代の最高文物と信じられていた。
それだけに幕府は血眼になって神璽を探索したが、その行方は杳として知れなかった。
そんななか、翌文安元年(一四四四)七月に更なる兵火が起こる。紀州東牟婁郡北山において「南帝」が挙兵したのである。この「南帝」が、後醍醐流のいずれに連なる者かを系図その他からたどることは難しい。
しかしこれを、神璽奪還に力を得たうえでの挙兵とする見方はあながち的外れとはいえまい。神璽を掲げ、皇統の正統ここにありと大々的に喧伝し、南朝に転じる勢力の出現を期待したのであろう。
ただこの挙兵を以て兵火と表現するにはいささかの戸惑いを禁じ得ない。挙兵がどのような帰趨をたどったものか明らかではないが、主立った戦いも記録されていないところからして、兵火と称すも憚られる規模だったのではないかと疑われるからである。案に相違して味方が集まらなかったのではないか。この挙兵は尻すぼみのように終わったらしい。
しかしこれより三年後の挙兵は少し事情が違っていて、その顛末について多少の記録が残されている。
挙兵したのはやはり「南帝」であり、その地はやはり紀伊国北山であった。したがって文安元年の南帝と文安四年の南帝は同一人物と考えられるが、史料的裏付けを欠いておりそこは予断に過ぎない。
そして少なくとも文安四年に挙兵した南帝については、護聖院宮家出身で園城寺円満院主だった
前置きにずいぶんと紙幅を割いてしまったが物語はここから始まる。文安四年(一四四七)の暮れ一二月、
後南朝の人々が、粗末な腹巻をようやく着して戦うなか、
彼こそ兵力寡少の
しかし斬って掃いても次から次に湧いて出てくる賊にさすが手練れの武勇を誇る橘将監の太刀筋も疲れを隠すことが出来ず、敵が怯んだ隙を見て将監は、行宮の奥の、そのまた奥へと退いていった。
「はぁっ、はぁっ。
申し訳ございません。賊の勢いは止まらず、小癪ながらここまで踏み込んで来るのは時間の問題と見えます。寸刻の猶予もございません。御準備のほどを……」
鎧の隙間から白い湯気を立ち上らせつつ、息を弾ませながら撤退を言上する将監。
もとより鈍にあらせられぬ南帝が、しずかに玉声を発しあそばされた。
「神璽と天嶮、それに汝等忠義の臣を恃んでここ北山の地まで参ったが、見よ」
御簾を上げられた南帝が、行宮の
雪は既に膝下が埋もれるほど降り積もっている。
「ほんらい賊の侵入を阻むべき雪が、今は我等の逃げ道を塞ぐ障害となり果てておる。思うに天運であろう」
「お気の弱いことを仰せになるな。この橘将監、必ずや玉体をお守り申し上げる所存。一刻も早く……」
「無用である。汝には朕の一身を超えて守らねばならぬものがある」
そう宣うと南帝は、桐箱をひとつ将監に下された。
「それ神璽を下す。賊の狙いはこれである。よく神璽を護持し、更に英主の出現を待て」
「し……しかし」
その時である。扉一枚を隔てて荒々しい足音と怒声が聞こえてきた。賊徒がすぐそこまで迫っている。
「疾く逃げよ将監!」
弾かれたように駆け出す将監。
将監は逃げた。神璽を抱いて逃げた。
ほどなくして背後に轟音が響いた。振り返ると、火の粉が降りしきる牡丹雪を押しのけて、ひときわ高く暗い空に舞った。
行宮の焼け落ちる炎であった。
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