最終話
ころは永享七年(一四三五)二月八日。寒い季節で煎物もよく売れた。煎物売りは自分の前につくられた何人かの人だかりに向かって語っていた。
「三日前の山門炎上の件やが、どうやらあれは公方様が山門使節を呼び出して殺してしもたかららしいで。憤激した山徒が焚死に及んだ炎やとかなんとか……」
「山門使節も、殺されると分かってて出頭したんかいな。んなアホな」
信じようとしない客に対し煎物売りは
「それがな、わざわざ管領殿(細川持之)に誓紙まで準備させて、殺さへんと約束してから呼び出したらしいわ 」
ざわつく客たち。
「ほんまかいな。公方様ともあろう御方が人を殺めるに詐術を用いるとは……」
「細川様と申せば一昨年の嗷訴の折には山門の赦免を願い出たお人やないか。その細川様に嘘の誓紙を書かせるとは、酷い公方様や」
噂話をなによりも好む
「そこやがな。赦免は宿老の御意向に押されて嫌々なさったもので、本音では公方様は、山徒を殺しとうてウズウズなさってたっちゅうもっぱらの噂や。いっぺんは赦免しておきながら呼び出して殺してしまうんやから恐ろしきは当御代……」
その時である。
「こら汝等! そんなところでなにを話し込んでおるか!」
侍数人が駆け寄せてくると、それまで噂話に聞き入っていた京童は蜘蛛の子を散らすように煎物売りの前から逃げ散ってしまった。
侍は抜いた刀の切っ先を、ひとり逃げ遅れた煎物売りの鼻先に突き付けながら言った。
「汝は山門炎上の件について浮説を流してはならぬというお達しをよもや知らなんだか」
「ひえっ……! 申し訳ございませぬ。存じませんでした」
「まことか?」
「はひっ!」
「嘘だな。引っ立てろ!」
侍は泣きながら許しを請う煎物売りを召し捕らえたうえで斬り殺してしまったのだった。
取るに足らぬ
「
義教治世を象徴する、あまりに有名な一文だ。
義教の恐怖政治は永享三年ころ、既にその萌芽が見られるとする研究もあるが、それが本格化するのはやはり、この一連の延暦寺との抗争事件(永享の山門騒動)だったことは間違いないだろう。義教治世の一三年間で殺されたり処罰された公武僧の有名どころは、一説によれば二〇〇名を数えるとされており、名もなき地下人ともなると文字どおり数え切れない人数にのぼった。
これまで縷々繰り返してきたが、将軍就任に至る特殊事情から、義教は幕府内になんの権力基盤も持たなかった。皮肉な話だが、もし義教に側近政治が許され、将軍権力が保証されていたならば、その治世はここまで血生臭い様相を呈することはなかったのではあるまいか。権力基盤が弱く、あまつさえ山徒との抗争過程で側近を失い、手足をもがれた義教には、殺人以外に権力を確立する方法がなかったからである。
殺人により権力を確立した義教がこれを維持する方法もまた殺人であった。殺された人の中には、先ほどの煎物売りのように取るに足らない微罪で見せしめのように殺された人も多かった。
この恐怖の義教治世は嘉吉元年(一四四一)、突如として終焉を迎える。かねてより義教に遺恨を含んでいた赤松満祐、教康父子に義教が殺されるという大事件が起こったのである。世にいう「嘉吉の変」である。
赤松父子が義教を殺害すべく自邸に招いた口実は
「
というものであった。
詐術によって山門使節を呼び出し殺した義教が、詐術によって呼び出され殺されたのだから、因果応報とはこのことだ。
最後に
先述のとおり、永享五年(一四三三)の嗷訴で尾張に流罪となった飯尾為種と、赤松惣領家に身柄を委ねられた赤松満政は、延暦寺根本中堂閉籠衆の焚死後、復権を遂げているが、土佐配流となった猷秀の政治動向は知られていない。
『看聞日記』永享七年九月一四日条には
抑光照院今朝逐電云々、又山徒二人被召捕
(そもそも光照院今朝逐電すると云々。また山徒二人召し捕らる)
という記事があり、伏見宮貞成親王は日記の他の箇所でも光聚院とすべきところを光照院と誤記していることから考えて、この光照院を猷秀に比定する見解が有力視されている。召し捕られたという山徒二人は猷秀の被官で、猷秀を襲った何者かから逃げ遅れ捕らえられたと解釈できるが、更に大胆に推測するならば、「永享の山門騒動」が最終局面を迎えつつあるなか、復讐に燃える山門が猷秀に向けて放った刺客が、この「山徒二人」ではなかったか。
猷秀は刺客に狙われたので逐電し、刺客は逮捕された、と読めなくもない。
『看聞日記』の簡素な記事からは、逐電した猷秀に室町殿の手厚い庇護が与えられた事実を読み取ることは出来ず、ほとんど身ひとつで逐電したというのが本当のところだろう。
逐電した猷秀が平穏に天寿を全うできたとはとても思えない。彼はやはり、復讐に燃える山徒に執拗につけ回され、殺されてしまったものと思われる。
騒動の過程で権力を掌握しつつあった義教には、もう猷秀の力は必要なかったようである。
第二章『万人恐怖』 (終)
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