第九話

 諸大名の諫言により義教が拳を下ろした同年(永享六年、一四三四)一二月、細川持之は難題に直面していた。山門との和睦を可視化するため、嗷訴の首謀者である山門使節四名を義教に拝謁させ、手打ちを演出しなければならないからであった。

「嗷訴の首謀者と見做されているのは円明坊えんみょうぼう兼宗けんしゅう座禅院ざぜんいん珍全ちんぜん月輪院がちりんいん賢慶けんぎょうそして……」

 持之が口籠もった。金輪院こんりんいん弁澄べんちょうの名を読み上げねばならなかったからであった。

 持之も、青蓮院時代の義教が弁澄を筆頭とする青蓮院門徒にさんざんいじめ倒され苦労した話を、猷秀や満済から聞いて知っていた。いま、その弁澄の名を口にすれば義教は旧怨を思い出して和睦が破れかねない危険性があったから、持之にとってこの面謁は賭けであった。

 口籠もったまま脂汗を流す持之に対し、

「ふむ、金輪院弁澄であるな。青蓮院時代にはいろいろあったがそれも今となっては昔の話。直接会うとなると還俗し山を下りて以来七年ぶりのことになる。懐かしいのう」

 義教が示した意外な上機嫌ぶりに、持之はひとまず安堵した。

 迎えた面謁の時。

 山門使節筆頭格の弁澄が進み出て上座の義教に深々と謝罪すると、義教は此度は山徒に無用の心配をさせたこと、かつて同じ釜の飯を食った山徒を苦しめるのは自分としても本意ではなかったこと、これを機にともに手を携え、打ち揃って国家鎮護に邁進すべきことを、ときおり笑みさえ浮かべながら言った。

 義教は諸大名、宿老が満座に居並ぶ中で、山門赦免の意思を明示したのであった。

 この寛容な措置に、弁澄は青蓮院時代の義教に抱いていたやっかみも忘れ、感涙にむせびながら山門へと帰還したのであった。

「さてこれでそなたの顔も立ったわけだが……」

 面謁を終えた義教が持之に告げると、

「はぁ……ありがたき幸せにございます。これで在京諸将もさぞかし安堵したことと存じます」

 謝辞を口にする持之。

 その持之に義教が何事が耳打ちした。持之の顔色はたちまち蒼白となった。

 翌永享七年(一四三五)二月。先の山門使節四名に上洛命令が伝えられた。

 山門使節は山徒に対し幕命を遵行する山門代表者であるから上洛命令自体は珍しいものではなかったが、今回山門使節をしてことさらに警戒させたのが

「将軍に再度面謁すること」

 との一文が添えられていた点であった。

 山門使節が義教に面謁を果たして謝罪したのはほんの二箇月前のことだった。

「先の上洛で室町殿に拝謁し、直接赦免のお言葉を賜ったはずですが……」

 またぞろ面謁とはいったいなに用で……。

 上洛命令を携えてきた山門奉行に対して問い合わせても、奉行は

「それがしはただこの手紙を渡すよう言われて来ただけですのでなにも知らされてはいません」

 つっけんどんにそう答えるばかりで一向に埒があかぬ。

 山門使節は山門奉行を待たせながら別室で談合に及んだ。

「今度こそ殺される」

 一致する山門使節の意見。 

 しかし和睦が成立したばかりのこの時期に、将軍からの呼び出しを断るというのは相当に難しい判断だった。なんといっても義教は、幕閣が居並ぶ中で山門を赦免してみせたのだから、その呼び出しを断るということは、義教だけでなく和睦を勧めた宿老連中の顔をも潰すことに他ならず、そうなれば今度こそ幕府の大軍を受けかねない危険性があった。

 誰も行きたがらず互いに相手の表情を覗う山門使節たち。

 緊張に耐えかねたのか、最初に口を開いたのは弁澄だった。

「円明坊でええんちゃうやろか」

「ええっ!? なんでそないなるんや!」

 なんの脈絡もなく突然名指しされた兼宗が抗議する。当然である。真っ先に仲間を売り飛ばそうとした弁澄のひと言で座の空気は一変した。

「そもそも嗷訴焚き付けたんは御坊やろが」

「左様。確かに猷秀は横暴やったが、元はといえば御坊が無理やり猷秀に金集めさせたんが原因といえば原因やないか」

「此度お呼び立ての眼目は思うに御坊や。青蓮院時代の室町殿をさんざんいじめてきた御坊に復讐なさろうというお呼び立てに相違ない。拙僧等は関係あれへん」

 円明坊を陥れようとした弁澄は、逆にこの場で出頭を約束させられた。弁澄には円明坊兼宗の弟兼覚が付されることとなったが、いざとなったときに兼覚の存在が何かの役に立つとはとても思えなかった。

 弁澄、兼覚両名が出頭したとき、座に控えていたのは管領細川持之ただひとりであった。昨年、持之を筆頭に畠山持国や赤松満祐、山名持豊(後の宗全)、一色義貫、三宝院さんぽういん満済まんさいといった幕閣歴々が顔を揃えていた赦免の席とは明らかに雰囲気を異にしていた。義教は四半刻(約三〇分)ほども両名を待たせた挙げ句、着座するや開口一番冷え切った声で

「斬れ」

 と命じた。

「ちょ……待て義円! 赦免の舌の根も乾かんうちに……」

 惑乱する弁澄を、屈強の侍連中が引っ立て庭に引き据える。

「詐術を用いて呼び出し生害に及ぶなぞ室町殿にあるまじき……」

 叫び終わらぬうちに振り下ろされた刃が、弁澄の首と胴を容赦なく切り離したのであった。

 こうして永享七年二月四日、義教は金輪院弁澄と円明坊兼覚両名を殺害した。

 この報せがもたらされるや、たちまち悲憤に駆られ怒号する山徒たち。

「許すまじ義教!」

「山門使節を殺すに詐術を用いるとは武家にあるまじき非道!」

 各院坊から根本中堂に集った山徒の数は数百人にのぼった。

 翌二月五日の晩、これら山徒は根本中堂に火を放ち、座禅院以下根本中堂閉籠衆二四名は口々に読経し或いは義教呪詛の言葉を吐きながら抗議の焚死を遂げた。火災の様子はみやこからもよく見渡すことが出来たという。

 義教が箝口令を敷いたにも関わらず、弁澄、兼覚両名殺害の事実は既に広く知れ渡っていた。世の人々は、山門使節殺害と根本中堂閉籠衆の焚死とを結びつけて

「山徒が再び嗷訴に押し寄せてくるのではないか」

 と恐れたが、既に昨年、幕府軍に追い詰められ、軍事的には敗北を喫していた山門にそこまでの力はもうなかった。

 箝口令が敷かれはしたが、

「室町殿は詐術を用いて山門使節を殺した。山徒多数が抗議の焼身自殺を遂げた」

 この噂は静かに、さざ波のようにして京中に広がっていった。噂話は誰にも止めることが出来なかった。

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