第六話

「はぁ、はぁ、はぁ」

 目立たぬよう黒衣に身を包み、みやこへと抜ける間道に分け入って懸命に逃げる猷秀ゆうしゅう

「いたぞ、あそこや!」

 剥き出しの殺気を帯びた複数の足音が背後から迫る。猷秀の後ろ盾だった義円(いまは還俗して足利あしかが義宣よしのぶ。のち義教よしのり)が青蓮院を離れたことを契機として、恨み重なる猷秀を殺してしまおうというのであろう。追っ手として差し向けられた大衆だいしゅはいよいよ猷秀を追い詰めつつあった。

 月明かりも雲に隠れがちの暗い夜だったが、間道を抜けた猷秀の視界が不意に開けた。迫る生命の危機が五感を鋭敏にしていたためか、普段なら何物も見透せないほどの暗がりのなかに佇む複数人の姿を、猷秀は過たず捉えた。彼らの携える抜き身が、ときおり雲間から覗く月光を青白く反射する様子までがはっきりと見える。

 前門には虎、後門には狼。

「もうあかん!」

 猷秀はその場にへたり込んで瞼を閉じた。刀を携えた人々が自分の首を刎ねんと駆け寄せてくる様が、この世で見た最後の景色になる……はずだった。

 ドカッ! バキッ!

 やいばが肉を切り骨を断つ音が聞こえる。

 ――人間斬られるときは存外痛みを感じんもんなんやなぁ。

 ……いや違う。違うぞ。俺は斬られてなどいない。

 一瞬の喧噪が止んで瞼を開くのと

「猷秀殿であるな」

 声をかけられたのはほとんど同時であった。

其処許そこもとらは……」

 呆気にとられた猷秀が問うと、中でもひときわ身分が高いであろう三〇手前ほどに見える武者が進み出た。危機を脱した安堵感のためか、視力は先ほどまでの鋭敏さを失っていた。猷秀は、吊り上がった切れ長のまなじり、尖った顎、そういった若武者の特徴的な顔貌を視認できなかった。

「それがしは赤松上総介。義円様……否、室町殿直々のご命令でお迎えにあがりました。さ、さ、早う」

 促されて立ち上がる猷秀。

 振り返れば自分を殺すために迫っていた山徒はひとり残らず切り刻まれて打ち倒されているではないか。猷秀は赤松上総一党の護衛を受けながら間道を抜けた。

 日が昇ってから猷秀は、足利義宣と名を変えた義円と対面した。久しぶりに会った義円は、伸びたとはいえもとどりを結うにはまだまだ足りぬ黒髪を立烏帽子たてえぼしで隠しており、その僧形を見慣れた猷秀にとっては、取って付けたような義宣の還俗姿は正直似合わないものに思われた。どうやら義宣自身にもその自覚があるらしく

「いまはこのようななりに身をやつしておる」

 開口一番自嘲する義宣。

 義宣の傍らに控えているのは猷秀を救った赤松上総介満政と、そして幕府山門奉行飯尾いのお為種ためたねだ。

「大儀であったな猷秀」

 気を取り直した義宣がそう語りかけたあと、自分は当たり籤を引いて室町殿になりはしたが、長く僧籍にあった自分には忠節を尽くしてくれる者が武臣では赤松上総、吏僚では飯尾為種くらいしかおらず、なんの権力基盤も持たないこと、そのために政治はしばらくの間、兄義持の代から幕政を担ってきた宿老たちに任せなければならないだろうこと、しかし自分には理想とする政治があり、いつまでも宿老の言うがままでいるつもりがないことなどを語ったあと、

「猷秀、余を天台座主に就けるために取ってくれたそなたの労を、余はいまでも忘れておらぬ。もう一度余のために骨を折ってはくれぬか」

 と猷秀に語りかけた。

「拙僧如きにもったいなきお言葉。粉骨砕身室町殿の御ために働く所存にございます」

 感涙にむせぶ猷秀なのであった。

 襲撃から無事逃げおおせた猷秀だったが、京には山門気風の人々(延暦寺と主従関係を結んだ人々)がうようよしていた。こういった人々は隙あらば猷秀を殺してしまおうとしつこくつけ回していたのである。なので猷秀は常時護衛を受けながら窮屈な京生活を強いられなければならなかった。猷秀の護衛を担ったのは義宣の命を受けた在京大名の手の者だった。

 猷秀ひとりを護衛すればそれで良いのだから楽な任務にも思われるが、これは存外神経を使う仕事だった。もし山徒の挑発に乗って闘諍に及んだとしても、在京大名が保有する武力のほどから考えて山徒を撃退すること自体は容易いだろう。

 しかし仲間を殺された山門側には嗷訴という最終手段があった。山門も敢えてそこに持っていこうという意図をちらつかせている。

 嗷訴とは、比叡山周辺に散在する日吉七社の神輿しんよを担ぎ出し

「神輿に弓引けば神罰を蒙るぞ」

 などと脅しながら政治的要求の実現を求める一種のデモンストレーションである。

 無論中世の人々ととて無知蒙昧ではないから、呪術的なものを盲目的に信じていたわけではなかったが、かといってまったくの迷信と割り切っているわけでもなかった。物質世界と精神世界との狭間で揺れ動く中世人の心を、精神世界の側に引きずり込むために使われた手段が、武装集団で押しかける暴力まがいの物理力だった点は興味深い。

 加えて話をややこしくしたのは、嗷訴に乗じてここぞとばかりに京に押し寄せる馬借車借の存在だった。ただでさえ嗷訴対応に手一杯のところに、これら馬借車借の入京まで防がねばならぬとなれば、大名にとっては呪い云々に関係なくただひたすら煩わしいだけであった。

 このように、対応をひとつ誤ればたちまち社会不安を引き起こしかねないような緊張状態に先に音を上げたのは、猷秀護衛になんの利益もない幕閣の方だった。

「猷秀を殺せば兵を差し向けると脅し、これを殺さぬよう山門側から約束を取り付けて、猷秀にはもとどおり光聚院に帰ってもらってはどうか」

 このような意見が出てくるのは当然だった。

 既に日吉七社からは神輿が引き出されている状態と聞く。このような状態を「後動座」といい、これは謂わば

「いつでも京に乗り込むことができるんだぞ」

 という、嗷訴が準備段階に入ったことを知らしめる恫喝であった。

 このころ(永享元年、一四二九)義宣改め義教は元服を済ませ、既に征夷大将軍宣下を受けてはいたが、無用の社会的混乱を嫌う諸大名の意向に逆らってまで猷秀を守ってやれるほどの政治力はまだなく、猷秀の身の安全を山門に約束させる旨の御教書をしぶしぶ発出したので、山門は神輿を帰した(これを「御動座」に対して「御帰座」という)。

 猷秀は数年ぶりに光聚院に帰還したが、懐かしさなど微塵もなかった。そこにあったのは

(いつ殺されるか分からない)

 という不安だけだった。

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