第三話

 次の日から、猷秀はさっそく金集めをはじめなければならなかった。しかしどう考えても先行きは困難だった。

 これまで何度も記してきたとおり、昨日まで弁澄主導のもと全山挙げて反義円の論陣を張ってきたのに、その舌の根も乾かぬうちから義円のためと称して寄付金を募ったところで上手くいくはずがなかった。

 暴力を以て弁澄に脅され、やむなくはじめた金集めだったが、その金集めを困難たらしめたのもまた弁澄が昨日まで張ってきた反義円のキャンペーンの影響だったのだから、猷秀からしてみれば何をかいわんやといったところだ。

 しかし猷秀には愚痴を言っている閑はなく、またそれを聞いてもらう相手もいなかった。もし愚痴が人伝ひとづてに弁澄の耳にでも入ってしまったならば、次こそぶっ殺されかねないからであった。

(気ぃは進まへんけど……)

 猷秀は延暦寺を構成する院坊のひとつ、宝幢院ほうとういんに目をつけた。宝幢院は先年大雨に打たれ、山徒の中でも損壊が著しいことでよく知られた坊舎であった。

 猷秀はその宝幢院の修築名目で各院坊から資金を募ることにした。

 確かに当時、寺社には寄進というかたちでの収入があったが、これなど臨時収入であってタイミングよく期待できる代物ではなかった。古記録をひもとくと、災害や戦乱で損壊した寺社を修築するため、知行地や銭を寄進した大名等を顕彰する記事が散見されるが、これは当時でも、時宜を得た寄進が珍しかったことの裏返しといえよう。

 少し考えれば分かることだが、災害が相手を選ぶわけがないから、大きな災害があれば当の大名自身も被災者になるのはものの道理であった。まず自分たちが保有する施設を修築しなければならないところに持ってきて、如何に帰依しているとはいえ寺社修築のためにさらに身銭を切るとなると、よほど裕福でなければ出来ないことだっただろう。

 寄進が期待できない以上、自力執行以外に道はない。しかしそれとて先立つものがあっての話であり、猷秀はいわば、困窮する各院坊のためと称して仲間内から共済金を募ることにしたのである。

 なかには

「なんで御坊が宝幢院のためにそこまでしたるんや」

 といぶかる向きもあった。

 共済金目的などと言い条、猷秀のやっていることは、とどのつまり他人からの金集めであった。多人数が出資する金の絡んだ話がこじれやすいのは古今問わぬ世の常だ。

 建物の修築目的で共済金を集積する行為は、確かに各院坊にとって利のある話だったが、では自ら好んで旗振り役となり、金を集め、予算執行するとなるとそれはまた別の話であった。特別の見返りでもなければ、誰もわざわざそんな面倒ごとに首を突っ込みたがらないものである。

われぁ、なに企んどんや)

 要するに疑われたわけだが、それも無理もない話だった。大義名分を掲げても、金集めはなかなかに難航しそうであった。

 なので猷秀は他の方法でも金集めを模索しなければならなかった。

 猷秀は、山門を構成する坊舎のひとつ、釈迦堂が運営する関所の事務職を買って出ることにした。

 この時代の関所は現代でいえば高速道路の料金所のようなものだ。自分たちの領内を通行する道路に料金所を私設して、往来の人々から通行料金を徴するようなことが、室町期日本では当たり前のように行われていたのである。

 幕府はこれら非公認の関所対策として、たびたび新関設置禁止を布令出ふれでるのだが、実は当の幕府自身もせっせと関所をこしらえ或いは運営していた。新関設置禁止の意思決定の主体みずからが、関所を設置し運営していたのだから、スムーズな物流という観点に立てば、行政機関にあるまじきダブルスタンダードに見える。そして、かかる関所政策を数ある室町幕府の失政のひとつと捉える見解も過去にはあったが、実のところ新関設置禁止命令は、幕府が運営する関所に往来者を誘導する経済政策の一環だったことが、今日指摘されている。

 極端な話をしてしまえば、幕府にとってスムーズな物流などどうでも良く、自前の関所に人々を誘導し、関銭収入さえ確保できればどうやらそれでよかったらしいのである。新関はその妨げになるから排されただけで、妙な話だが金儲けのための政策という観点に立てばダブルスタンダードどころかその姿勢は一貫している。近代的な中央政府を眺める視点で中世武家政権を評価すれば、当時施行された政策の本質を見誤る代表例といえよう。

 余談が過ぎたが、新関設置停止の建前がある以上、私設の関所は幕府によって破却される恐れもあり、運営に際してはそれなりのリスクも抱えていた。

 そこで猷秀はさっそく、幕府山門奉行の飯尾いのお為種ためたねの元に参向した。

「こんたびぁ、拙僧が釈迦堂の関務を担当することにあいなりました」

 猷秀がそのように申し出ると、もったいぶったように切り出す為種。

「ふぅむ……関所のぅ……。御坊もよく存じておろうが、いちおう公儀としては新関設置停止を布令出ておる手前、それがしの口からは……」

 新関を停止し即刻これを破却せよ。

 確かに幕臣である為種の立場ではそうとしか言いようがない。

 そこへ、待ってましたと言わんばかりに振り返り、

「例のもんをこれへ……」

 従者どもに、何ものか持参するよう命じる猷秀。

 従者が二人がかりで抱えてきた重そうなものは、一尺(約三〇・三センチメートル)四方の櫃であった。

「心ばかりではございますが、どうぞお納めくださいませ」

 今度は猷秀のほうがもったいぶって櫃の蓋を開けてみせる番であった。覗き込んだ為種が、上辺に並べられた数巻の経典をかき分けると、櫃の体積のほとんどを埋め尽くしていたのは紐で貫かれた大量の宋銭。

 為種はにんまりとしてからあと、新関設置停止の建前についてはもうなにも言わなくなった。 

 こうして猷秀が釈迦堂関所の運営に乗り出してからしばらくして、領内を大雨が襲った。

 前々から傷みが目立ちはじめていた関所は、丹塗りが剥げて見るも無惨な姿になった。修築のための資金集めが難航していた宝幢院は、以前にも増して惨めな姿を曝すようになった。

 こうなってしまっては人々は、いくらいぶかしんでも他に方法がないので、修築資金を猷秀管理の下、集積するようになっていった。

 猷秀の元には、たちまち万貫を越える銭が集まるようになった。

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