第七話
義嗣捕縛後、義持は幕閣を招集した。義嗣の処遇について協議するためであった。
「関東に外患を抱えるいま、かかる内憂を放置するわけには参らず。新御所には腹召していただくよりほかござらぬ」
のっけからこんな物騒なことを言うのは畠山満家であった。
彼は応永の乱(応永六年、一三九九)では、幕府に楯突いた反乱軍の首魁大内義弘を討ち取る手柄を挙げたが、晩年の義満に嫌われて家督を奪われ、弟満慶がこれを相続するという苦汁を味わった人物である。義満死後、義持は満家を赦免したので、満家にとって義持は恩人であった。
(恩義ある室町殿に御舎弟生害を命じさせるわけにはいかぬ)
義嗣殺害を主張する裏に、そんな満家なりの忠義があることに気付かないほど義持も愚かではない。しかしいまはむしろありがた迷惑であった。
もし義持に義嗣殺害の意思があったなら、逮捕のどさくさに紛れてやってしまうこともできたはずだったし、実際それが最も手っ取り早い方法だった。それをしなかったのは、他の誰でもない義持自身がそんなことを望んでいなかったからだ。
「他に意見はないか」
衆議を募る体ながら、義持は細川満元ひとりに向かって言った。
(お前が反論しろ)
視線で暗に命じる。
義持が室町殿としての権勢を前面に押し出して
「義嗣は殺さない。罪は不問に付する。一同そのつもりで」
こんなふうに宣言するのは簡単だった。実際父義満はそうやって強権を振るい、上手くいっていた部分も否定はしない。
むろん義持も事案によってはそういった強権的な手法を厭うものではなかったが、今回はどうしても「義嗣赦免」の衆議一決を図りたかった。幕閣一同の賛意を得て、なに憚ることなく従前どおり義嗣に政界復帰を果たしてもらいたかったのである。累年義嗣に肩入れし、その昇進を後押ししてきた事情もある。義嗣誅殺は、これまで彼に肩入れしてきた父義満や義持自身の権威に自ら唾する行為でもあった。
だからといって義持が自らの口で満家に反論したならば、如何な義持に恩義を感じている満家とはいえ満座に面目を潰された満家が、内心密かに叛意を含まないとも言い切れない難しさがあった。義持は己の意思を老練な満元に代弁させようとしたのである。
「あ、いや待たれよ」
義持の意を過たず汲んで、満元が反論を開始する。
「新御所が叛意を含んでいるなにか証拠でもございますか」
疑わしきは罰せずの理屈だ。
「ない。しかし証拠のあるなしにこだわって処断が遅れれば、何者か謀叛人が新御所を奉戴して蜂起せんとも言い切れぬ。新御所はそこにおわすこと自体が危険なのである。死んでいただくに限る」
強硬である。これには満元も苦笑いだ。
「それなん如何にも軽率。新御所は他ならぬ室町殿が累年頼みにしてきた御舎弟でもあらせられます。その新御所を証拠もなく誅すれば世上はなんと評すやら……」
「謀叛に利用されてからでは遅いのだ!」
「畠山殿は先程来謀叛謀叛と仰せだが、ではその謀叛人とはいったい誰なのですか」
満家の主張するとおり、義嗣には謀叛に利用されかねない潜在的危険性があったが、現時点では具体性に欠けており一般論にとどまる話であった。この理屈がまかりとおるなら他の足利一門も同様の危険性をはらんでいるのだから、義量や義円にも死んでもらわねばならないということになる。満家の主張は如何にも無理筋であった。
満家は口籠もり、満元はかき口説くように続けた。
「そもそも満家殿は満慶殿より家督の還付を受け、万民より美挙を賞賛されたご兄弟ではございませんか。その恩恵を受けた畠山当主が、かかる事案に際会して室町殿御舎弟である新御所誅殺を主張するというのでは一貫性がないと言わざるを得ませんぞ」
先ほど少し触れたが、満家は晩年の義満に嫌われて家督を奪われたことがあった。畠山分国はすべて弟満慶が相続するところとなり、失脚した満家が復権を果たしたのは義満死後のことであった。その際満慶は、家督、分国いずれも兄満家に返納し、満家は謝礼として満慶に能登一国を割譲して、分家の立ち上げを認めた経緯がある。
これは「天下美挙」と世間に讃えられたが、義満という後ろ盾を失った満慶が、唐国の神話に傾斜する義持の強い意向に逆らえず、不承不承還付したというのがどうやら本当のところだったらしい。
これまでたびたび記したが、家督や分国の相続には大きな利権が絡むものであった。これを相続するかしないかで身代に大きな差が出るのだから、当主本人よりもむしろ周囲が必死になった。「天下美挙」の舞台裏で、これら利害関係者を巡るさぞかし困難な調整が行われただろうことは想像に難くない。
家督還付が実現したのは、義持の趣味嗜好を実現させようと奔走した調整役の必死の工作と、そしてなによりも満家満慶兄弟の良好な関係が根本になければ到底かなうものではなかっただろう。
このような経緯もあって、痛いところを衝かれた満家は黙るしかなかった。
満元は上座の義持に向き直って言った。
「謀叛の証拠がない以上、新御所の処断は無用。それにもし糾明に狂奔し、こたび御出奔に関わるものとして宿老の名が四、五人でも挙がるようなことがあればそれこそ天下の大騒動となりましょう。糾明など百害あって一利なし。不要と存じます。いまは関東争乱の鎮圧に総力を傾ける時節かと……」
義持は大きく頷き、満座を見渡した。満家あたりは如何にも不満げだが、もはや反論する言葉を持たないように見える。
(誰も、なにも言うなよ……)
義持は祈るような気持ちで数拍おいた。長く、長く感じられる数拍だった。
反論がないことを見極めた義持は宣言した。
「よかろう。衆議により弟の一命はひとまず余の預かりとする。おのおの来るべき関東出兵に備えて英気を養え。本日は大儀であった」
会議の終わりを告げて奧へと退出した義持だったが、宿老たちの姿が見えなくなった途端、壁により掛かりながら片膝をついた。強い眩暈に襲われたのである。辛うじて義持を支えていた緊張の糸が切れたためであった。
「お気を確かに!」
近習が慌てて扶け起こそうとする。
「大事ない……大事ない」
そういって制した義持の真っ青な顔に脂汗が浮かんでいた。
心労が、三一歳の若き室町殿を容赦なく疲弊させていった。
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