第3話 虫

会計を終えて自転車の鍵を探しているとトノリが指を指し始めた。「あっちだ、あっちに世界の境界線がある」「あっち?別に神社とかみたいなものは無いけど」大通と大通の交わるYの字、ベビーカーが自然な坂で交差点の方へ落ちていくのが見えた。「っ!」勢いよくペダルに体重を載せる。「おいおい、君は代価を支払うことになるんだぞー」トノリも人ならざる速度で自転車のカゴに乗り移った。「前邪魔!うぉぉ!!」しかし発見が遅くベビーカーは交差点の真ん中に飛び出し、その上をトラックが無慈悲に通り過ぎる。「嘘だろ…」俯く水三、救えなかった生命から溢れ出た赤い液体が道路を潤していく。見ればその液体が足元まで来ていた。「交差点は?ここはどこ」紫の空に赤い地面。這うように地面に巡らされた黒い帯。「くそっ、まだ早いんだよ」トノリが水三の頬を軽くぶつ。「落ち着け、何か条件を出せ!ここにいる間は何をしないとかそんなんでいいから」肩を揺さぶられるも水三は状況把握に必死で届かない。「対価だ、対価を支払うんだ」目潰しを食らってようやく冷静になっていく水三。「えっと、とりあえずここにいる間は吐かない!」赤い地面が土色に変わり空は青空へと戻っていく。「虫の世界か、幸いだったのか?」トノリは地面に落ちていた帯を触りそう言った。「これでわかっ?!痛いなぁ」帯に触れようとした瞬間、トノリが手を叩いた。「黒帯に触れるな、また条件付きになる」「その条件ってのはさっき言ってた代価なの?」手を借りて起き上がる水三。「あぁそうさ、私なら君達の世界に来る為だけに半日は人の姿で過ごすという苦痛を対価にね」人は飛べないだろ?とジャンプしてみせるトノリ。「思ってた損失と違いすぎる。もっと視力とか持ってかれるかと」「あぁ、それは向こうの判断さ。向こうが視力しか割に合わないと言えば持ってかれる。そんな事より急ごう」説明半分に進み出すトノリ。「さっきも話したけど虫の世界だ。出口ならすぐ見つかるから」慣れた動きで進んでいくトノリを追い掛ける水三。「紫の帯を探すんだ、見つけたら触れずに教えてくれたまえ」ただただ何も無い、鳥の声すらしない森を突き進んでいく。「なぁここって虫の世界とか言ってたけど住人は居ないのか?」トノリはくるっと首を向けてニヤリと笑う。「捕食者を前に姿を出す獲物が居るかい?」とても説得力の高い説明。「あー、あれ?気配でこいつやばいとかあるんだな」「うん、そうだね。特に私は上位種世界と言うべきかな」朽木を軽く割ると中から大きめのイモムシのような何かが這い出てきた。「これは君らの世界でいう人間だね。ほら、みなよ。コロニーを形成している」ボロボロと崩れた破片の中からコロコロと出てくるイモムシ。「あぁこれはカブトムシの幼虫といったとこだね。まぁ残念ながら君の世界には戻せないけどね」残念だったなと言わんばかりに肩を叩いてくるトノリに水三は呆れる。「はぁ、別に興味無いけど」トノリは残念そうに俯く。「いや悪かった。説明したいんだろ……聞くよ」スグに目を輝かせて語り出すトノリ。「いいかい!ここの葉っぱも実は生物なんだ!(略)で、これは(略)で(略)なんだよ!すごいだろ」怒涛のマシンガントークに内容は入ってこなかったが壮大さは伝わったと頷く水三。「しかしどれくらいの広さなんだ?この目に映る範囲だけだったり?」「いい質問だ、観測域を超えてもまだ続くぞ。下手すれば君の世界より広い、いや狭い場合もあるが……」調べ切ったことはないと胸を張るトノリ。「でも不思議だな、どうやったらこんなふうに大きく育つんだ」近くの葉っぱとイモムシを取りだし並べる。「この幼虫を住人としたら葉っぱや木は彼らの栄養源となる訳だ、そこは君らの世界も同じ。だが違う要素が幾重にも存在するのさ」トノリが近くの木を蹴ると蜂に似た謎の生物が空から落ちてきた。「コイツは蜂だが毒で仕留めなくても餌が取れるから毒針を持たない。それに1匹取れればそれだけで暮らせるほど、周りは大きい」今度は幼虫を手に取りプランプランと振る。「コイツらは1回に産む量が少ない代わり原木1本単位で犠牲にする。大きくふっくらしたのが産まれるから襲われても1匹持ってかれれば済むわけだ」スマホを取り出し写真を撮る水三。「これを学会に報告すれば一生遊んで暮らせるっ」舐めまわすように辺りを撮りまくる。「まぁそれぞれの虫と言われるもの達が共に生きていける形で進化した世界がここって訳さ。中立ってやつだね?」

それから時にして五分ほど進んだ所でトノリが止まった。「この辺か、速度と時間。臭い」地面に手を触れてニタニタするトノリ。「ここだっ!」手がシャベルのように地面を抉り出した。「イモムシ?」紫色の胴体に黒い点々の目立つ虫の幼虫。見た目はとにかく気持ち悪くクシャーと音を立て威嚇をするがトノリに頭を指で挟まれているせいか迫力が無い。「こいつが帯?」怪訝な目で見つめている水三にトノリは「見てな」と促す。「ほら、開け」トノリが口に運ぼうとするとイモムシが消えた。また地面が赤く染まり、天が紫く染め上がる。「これは、入った時と同じの」水三は明るい方へ歩き出す「帰り道は振り向かず、それと早く行かないと車に轢かれるよ」トノリの声が薄れ、被るように車の騒音が鳴り響く。「うわったぁ!」転がるように歩道に戻る水三。「お疲れ様、初の別世界はどう?楽しかったかな」手を借りて立ち上がるともう夕暮れであった。「記念に撮影でもするか……」非現実的な体験をしたせいか水三の脳みそは限界を迎え何となくトノリとツーショットを撮っていた。「おぉ、私を被写体にしても映えないぞ」ノリノリでポーズを取っていたトノリがぼやく。「人生でこんな経験なんてないだろ。記念だ記念」スマホをしまい自転車の鍵を開けた。「帰りダルいなぁー、歩きたくないし鳥になっても良いかい」ドレスなのをお構い無しに地面に転がろうとするトノリ。「汚いぞ、まぁいいけど」それを聞くやいな飛び上がりカゴに近付き始める。「まって、どうやって人から鳥に。っておい?!」カゴの両脇を手で掴み嗚咽し始めるトノリ。「オェッゴプッォ」嫌な音を立てトノリの口から鳥が出てきた。「お、おいおま」残された肉体は泥のように崩れ落ち、地面に消えていった。「ふんす!」首を振るい泥を落とす。「マジか……」「ふっ、この程度造作もない」慣れた様にカゴの中で丸々トノリ。「いや、喋れるのかその状態で」もう何もかもの気力を失い、手押しで進んでいく水三。

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