顔も知らぬ婚約者に破棄を宣言した

休日三度寝

第1話

「隣国公爵令嬢オルガとの婚約を破棄する!」


夜会の場で王子が叫んだ。


各々談笑しながら華やいでいた会場はシンと静まり返る。


「皆の者に聞いてほしい。彼女は己の地位を盾に下位令嬢を虐げていた。…レイナ嬢、こちらへ」


王子に呼ばれ、一人の令嬢が彼の側に立つ。


「彼女は男爵家の令嬢だ。そして、オルガの愚挙の被害者だ。

さぁ、皆の前で何をされたか証言するんだ」


王子は優しく令嬢の背に触れた。


「はい…。オルガ様には影でさんざん酷い嫌味や罵声を浴びせられました…」


貴族から声が上がった。


「…一体それはどのような?」



「…このような場所で言うのは憚られますが…。

【淫売】や【売女】と言った言葉でした。

もっと酷い言葉も使われました。

私と王子の仲を誤解していたように感じました…」


「心が狭い女だとは思わないか?私はただ他の令嬢と話をしただけなのに。

このような振る舞いをするオルガを王太子妃と認めるわけにはいかない。


再度宣言する。

この場を持って婚約を破棄するっ!」


王子は男爵令嬢の肩を抱いて引き寄せる。


「オルガ!居るか?この場にいるなら出てこい」


貴族たちの視線が集まる場所があった。

一人の令嬢を中心に視線が集まっていた。


彼女は不思議そうに顔を傾げた後、周りを見回していた。


「オルガは…君か?」


声をかけられ、その令嬢が王子を見上げた。


輝く長い髪、大きい瞳は愛らしく、白い肌は透き通るように美しかった。


王子は彼女の姿に見惚れた。


「君、いや…貴女がオルガ嬢…ですか?」


先程断罪したことも忘れ、ふらりと彼女に近づいた。


知らぬ間に決められた婚約に反発して、婚約相手の令嬢に会わずにいたことを後悔した。


今まで一度も婚約者と踊ったことはもちろん、話したことすらない。

このような美しい令嬢を何故蔑ろにできたのだ。

彼女の嫉妬が、男爵令嬢への暴言となったのならそれは自分の非だ。


「申し訳ありません。我が婚約者オルガ。

今までの無礼お許しください。

貴方の怒りは私が全て受け止めます。

どうか、私に慈悲をいただけませんか」


180度態度を変えた王子に周りの反応は冷めた。


令嬢オルガは微笑んで王子をみつめた。

つられて王子も微笑む。


「オッメデトーゴザァマス!」


「…は?」


脈絡のない言葉を発し、オルガはにこにこと聖母のように微笑んでいた。


くっ。

ぷぷぷっ。


耐えきれない笑いが周囲から起こる。



「オルガ様はこの国の言語に不慣れなので」


オルガのそばに立つ隣国の護衛の男が説明した。


「オッメデートゴジャァマス?」


首を傾げながら何度も言い直す。

オルガの側に他の令嬢達が集まり彼女を囲う。


「オルガ、それをいうなら、おめでとうござ…ぶっ」


「まってもう、ひぃ、ひぃ、お腹いたい…ちょっと、まって…」


オルガの肩に手を置いて令嬢達は笑いを堪えている。


王子は目を瞬かさせて彼女の護衛に視線を合わせて説明を求めた。


「恐れ入りますが、オルガ様とお話されるならば、他国の言語でお願い致します。この国以外の言語であれば習得済みですので。


この際、訂正させて頂きます。


オルガ様は暴言を吐けるほど、この国の言葉に精通しておりません。

男爵令嬢様はどちらの言語で話しかけられたのでしょうか?」


話を振られてレイナは言葉に詰まった。


レイナは他国の言葉など何一つ出来ない。

適当な言語を上げたとて、話してみろと言われたら足をすくわれる。


答えに窮するレイナに周りの目は厳しい。


「ちなみに、オルガ様がこの国の言語能力が低いことは、ここにいる皆様がご存知ですよ。オルガ様と会話される場合は国際公用語で話すようにされておりますので」


周囲の貴族が同意するように頷いた。

レイナは完全に沈黙した。



「次に、オルガ様は王太子妃などにはなりません。」


「なにっ、私の婚約者ではないか」


「いえ。貴方はにはありましたが、そちらの男爵令嬢様と親しくされていましたので、速やかに候補から外されました。」


「候補…だと?」


「ええ。オルガ様は我が国の女王となる方ですので、王配の候補として上がっておりました。」


「王配…」


「女王の夫となる者です。

王太子妃だのおっしゃっていましたが、そもそも、貴方様は王太子ではありませんよね…?

貴方の兄である第一王子がこの国の王太子と聞いております…婚約者とも仲睦まじいと。


まさか…陛下に【オルガ様と国を担っていけるように励め】と言われたことを勘違いなさっていた、とか?」


護衛の言葉に、父である国王の口癖を思い出した。

【オルガに気に入られるように】とことあるごとに言っていた。


相手に気に入られるようにというのが癪に触わったことも反発の一因だった。


「では…私は…隣国の次期女王にありもしない婚約の破棄を宣言した、と?

偽の証言に惑わされて…?」


「そうなりますね」


「…再び王配候補には戻れないのか?」


「もうすでに王配は決定しておりますので」


「そこをなんとか」


「申し訳ありませんが、この国の言語しか習得できていない王子に王配は無理かと。

まずオルガ様と意思疎通ができませんので」


王子はガクリとうなだれた。


他国に行くつもりもなく、疎かにしていた国際公用語の習得にもっと力を入れるべきだった。

もっと彼女と関わるべきだった。

時間はあった。

彼女はわざわざこの国に来ていたのに。

自分に都合よく勘違いをしていたのは王子自身だった。


令嬢たちに囲まれるオルガは優しく楽しそうに笑っていた。

彼女たちはすでに王子のことを忘れ、外国語で話す会話に夢中だ。

王子には単語の一つも理解できず、それが何処の国の言語で、何の話かもわからなかった。


周囲の目線に耐えきれなくなり、王子は会場から逃げ出した。

ありもしない断罪のきっかけを作った男爵令嬢を残して。











『じゃあ皆様、また』


『ごきげんよう』


オルガはこの国の友人たちに別れを告げて自国の馬車に乗り込んだ。

この国での遊学も今日で終わりだ。


『あー楽しかった』


『…この国の言葉はまったく上達しませんでしたけどね』


オルガは護衛をジト目で睨む。


『難しいのよ。発音がー!

住めばなんとかなると思ったのになぁ』


『この国以外の言語を全て習得しているから良いではないですか。』


『んー。まぁ貴方がこの国の言葉はしゃべれるし問題ないんだけどね』


オルガは思い出したように護衛に対して居住まいを正した。


『王配、受けてくれてありがとう』


『…いえ』


『候補はたくさんいたけど、どれもピンとこなくてね…そういえばさっきの王子も候補だったっけ?』


『早々に脱落しましたが』


『彼、さっきの夜会で何言ってたの?』


『…ただの行き違いですのでお気になさらず。』


『ふぅん?私は婚約披露だと思ってたけど…違ってた?』


護衛は考えるような仕草をした。


王子が男爵令嬢の肩を抱いて寄り添っていた。

あれは何もない男女の距離感ではなかった。

相手の言っている言葉がわからなければそのように勘違いしても不思議ではない、か。


『…ふ、』


だから、


『「おめでとうございます」だったのですか』


『あーもうー言わないでー』


オルガは散々友人たちに揶揄われた。

大抵のことを上手にこなす完璧令嬢のオルガだが、この国の言葉だけは上手く扱えず、それが令嬢達の心をくすぐったようだ。

この国の同世代の友人たちはオルガに対して友好的であり対等に接してくれた。


オルガにとってこの国の印象は良い。他ならぬ友人に恵まれたおかけで。

そのせいか彼女にしては珍しく王子たちの悪意には愚鈍だった。


どちらも自国ではあり得ない貴重な体験だ。



『また、会いたいなぁ』


『…新婚旅行で訪れましょう』



オルガは嬉しそうに笑った。




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