3.正反対の男
ホールの片隅、雪がちらつく窓辺にあるテーブルを用意していたのでそこへと案内した。
上質そうな黒のコートを着て、モノクログレンチェックのお洒落なマフラーをしている彼が、そこで防寒着を脱いで椅子へとまとめる。
「ほんとうだ。先輩が言っていたとおりだ! レストランから湖と火山が見えるんだ。素晴らしい!!」
急にホール中に響き渡る声に、葉子は目を瞠ってギョッとする。
声、大きいな……。葉子は密かに眉をひそめる。
ほんとうに秀星の後輩? ホールでは寡黙な上司だった秀星と真逆、そう思えるほどに、篠田という男が来てから妙に賑やかしい空気に乱されている。
「お飲み物を用意しております。いかがいたしましょう」
椅子に座って落ち着いた彼に問うと、白いシャツと黒ジャケットというパリッとしたスーツ姿になった彼が、葉子に対してニマッと意味ありげな笑みを見せた。
「なにがあるのでしょうかね」
「……。コーヒーと紅茶、ホット、アイスともにあります。紅茶はストレート、ミルク、レモンとございます。ホットミルクに、ジンジャーエール、ウーロン茶もあります」
「ホットコーヒーでお願いします」
「かしこまりました」
接客をしている時と同様に接した。秀星の後輩だからと、秀星から教わったことがきちんできるようにと、葉子は緊張していた。しかも葉子を見て、篠田はいちいちニマニマしているので気味悪いものを感じてしまった。
葉子が厨房へ下がるのと入れ替わるようにして、父の政則がコックコートのままホールへとやってきた。
「おまたせいたしました。オーナーでシェフをしております、十和田政則です。遠い神戸からご足労様でした」
面接のテーブルに到着した父が、まず彼に一礼をして名刺を差し出した。
篠田の表情が一変する。急に、品のよいほのかな笑みを携えただけの神妙な顔になり、席を立ち上がる。彼も名刺を取り出し、父へと差し出す。
「矢嶋シャンテから来ました『篠田
先ほどまで葉子に対しては『ヘラヘラ、チャラチャラ』していた男が、急に涼しげな佇まいになり品格を醸し出した。
それを見た葉子は一瞬で『あ、秀星さんとおなじ男?』と感じてしまったのだ。
彼はあの矢嶋社長が持つ有名レストランで『給仕長』まで登り詰めた男。それが一目でわかるものだったのだ。
でも父はまだ『秀星の後輩』とはわかっていない。葉子とも言葉を交わす間もなかったので、そのまま彼と対面するよう窓際にあるテーブル席へと着席した。
「こちら、履歴書です」
「拝見いたしますね」
篠田が差し出した履歴書を父が手に取る。
それを目の端に止め、葉子は急いで厨房へとドリンクの準備へ向かう。
厨房でも、父の同僚であるシェフのおじさんたちに『どんな男』と聞かれ、葉子は正直に『秀星さんの後輩、矢嶋シャンテでメートル・ドテルをしている人だった』と伝えると、皆、驚きの顔を揃えた。
コーヒーを持って面接のテーブルへと再度向かう。父の分も含め、それぞれの傍らに邪魔にならないように葉子はサーブする。
その手つきを、面接をしている最中なのに篠田が鋭い目線で見つめていたことに葉子は気がつく。正面にいる父も気がついたのだろう。神戸レストランの話題で談話していた途中なのに、父が言葉を止めた。へらへらしている男が見せた真剣な目つきだった。
「いただきます。葉子さん」
「寒い中、ここまでお疲れ様でした」
「ほんとうだね。もうこんなに積もっているだなんて思わなかったな。さすが北海道。それにしても、レストランからこの景観は素晴らしいですね。これは料理とともに最高のご馳走です」
仕事の目つきだったのに、途端にほっこりした愛嬌ある笑みでコーヒーを一口、ブラックのまますすった。ひとまず履歴書を眺めてた父も、篠田の言葉に答える。
「それを狙って、ここに店を持ちました。観光客もいますし、函館と北斗市周辺からの地元客にも少しずつ浸透してリピーターがついています。それでもギリギリです。ですが、桐生が来てくれてからかなり定着したなと……。ただ、その分、任せっきりだったと……思っているこのごろです……」
父の声が重く沈む声色に。秀星に急に去られた傷口が痛みだしているのだ。葉子がコーヒーを持ってきて笑顔になっていた男の顔がまた硬くなっていく。
コーヒーカップを手にしてた篠田は、もう一口味わうと、また笑顔に戻っていた。
「自分は桐生さんの後輩になります。彼の下で副給仕長を務め、先輩が北海道移住を決意した時にメートル・ドテルを引き継ぎました。今度はここ大沼で、桐生先輩が遺したものを引き継ぎたくてやってきました。矢嶋は、大沼のレストランを支えたいと言っておりまして、その手伝いになるようにと、きつく言い渡されています。お任せください――って、いけね、まだ採用してくださるのか、お返事をいただいていないのに、俺ってばっ」
急に『てへっ』と自分の頭をぺしっと叩いておどけた顔をしたので、父が面食らっていた。
葉子はもう目が点。ほんとうに、あの人の後輩?
さらに父は履歴書へと視線を落とし、内容確認へと目線を走らせている。
「そ、そうなんですね……。えっと、秀星、じゃなく、桐生のもとで副給仕長をされた後、桐生の退職にともなってメートル・ドテルを引き継いだということなのですね。ですが、矢嶋シャンテでの勤続年数は、桐生より長いのですね」
「さようでございます。桐生さんは自分より後から入ってきたギャルソンでしたが厳しい先輩でした。統率力も抜群で、桐生さんが来て矢嶋シャンテの質が上がったとお客様からもよく言われるほどに功績をあげてくれた方です。でも、プライベートでは気さくで優しい人でした」
おなじだ。後輩さんも、葉子が見てきた秀星とおなじ秀星を知っている。それもそうだ。常日頃、メッセージのやりとりをして、秀星があんなに慕っていたのだ。あの後輩さんがいままさに、葉子の目の前にいる。
そうわかった時、葉子の胸に熱いものが広がっていく。あの人、秀星さんをいっぱい知っている。秀星にまた会えるかのような錯覚に陥ったのだ。
それは父も一緒なのか。プライベートでも秀星と親しかったと聞いて、満面の笑みを見せていたのだ。
「秀星は吞べえだったでしょ」
「そう! 大人しい顔をして呑べえでした! 僕も勝負して勝ったことないんですよ。あの人、絶対酔わない!」
「酔わない! あいつをベロベロにしてやろうとしたけど、一度もない。いっつも涼しい顔で『シェフ、飲み過ぎですよ。大丈夫ですか』って、助けられちゃうのこっち」
「わかります~。秀星先輩の自宅で何度目を覚ましたことか」
「自分も、三度ほどあるな!」
なんの意気投合なのかと、葉子は離れたところで控えていたが呆れかえっていた。『そんな面接でいいの!?』と、父に叫びたくなっても我慢している。
でも。やっぱり……。あの人秀星さんをたくさん知ってる……。葉子の胸のざわめきがやまない。
「秀星の推薦で後を引き継いだのなら、間違いないな。矢嶋さんの推薦でもありますし、採用です」
「ほんとうですか! わーー! ありがとうございまっす!!」
また父の目が点になってしまうほどに、年甲斐もなく彼が『ョッシャアッ!』と椅子から立ち上がってガッツポーズ。葉子も絶句――。
なに、あの人。ほんとうにメートル・ドテル? 何歳なの?
履歴書を見ていない葉子には、篠田は年齢不詳、意味不明な男でしかなかった。
その後、父と篠田は面接なんてお堅い空気は一蹴して、秀星を交えた話を小一時間もしていた。
北国の冬の日暮れは早く、十六時には空が暗くなり、篠田がレストランを出て行く。
父とともに葉子も、従業員専用玄関から彼を見送る。
「もう暗くなってしまった。従業員に駅まで案内させます。それともタクシーがいいかな」
「いいえ、シェフお気遣いなく。駅までそう遠くもありませんし一度来た道です。鉄道での雪国旅情を楽しんで帰ります」
函館に宿を取っているらしく、明日は不動産を当たって、もう転居する準備に取りかかるとのことだった。
そこまでして大沼で働きたいという彼の意志が、どうしてもわからない。
ここ地方だよ、田舎だよ。父のレストランは小さいよ。回転もゆるいよ。売り上げだってギリギリだよ。神戸の有名レストランで給仕長として勤めていたのに、そちらのほうが賃金もいいだろうし、やり甲斐もあるのではないのか? 葉子は彼が来てからいちいち疑問ばかりが浮かんで釈然としない。しかも、すんごいチャラチャラしていて、秀星とは正反対! 気易い口調にすぐに崩れるし、ほんとうに、あの矢嶋社長のレストランでメートル・ドテルをしている人??
「んでは、葉子さん。すぐに帰ってくるから、待っていてね。一緒に頑張ろうね~」
また、ほんわりほわほわした笑みで声をかけられた。葉子は頬が引きつりそうだったが必死に抑え、『は、はい。お待ちしております』となんとか微笑み返す。父もどことなく苦笑いを浮かべているような。
「篠田君、夜間の雪道は凍り始めるから足下気をつけて。物件探しで困ったことあがれば、連絡をくれてもいいから」
「重ね重ね、ありがとうございます。十和田シェフ。それでは、失礼いたします」
暗くなった空から、白い雪がふわりと落ちてくる中、黒いコート姿の彼が楚々とお辞儀をした。
姿勢も動きも美しく、そんな時に彼からメートル・ドテルだという気品が放たれる。
彼がまたもや『葉子ちゃん、またね~』と手を振りながら去って行く。気が抜けていたのか『葉子ちゃん』と呼んでいるし! 葉子はなんとも返せなくて憮然としていた。
「お、お父さん。本当に大丈夫なのかな」
「ううむ……。たぶん、たぶん、大丈夫だ。だって、仕事の男だと一瞬でも感じたぞ、少なくとも父さんは」
「秀星さんの後輩さんだから間違いはないと思うけど。秀星さんと正反対じゃん」
「確かになあ。でも、人とはあまり繋がろうとしていなかった秀星が連絡を続けていた男だからなあ」
それも確かにある。葉子は楽しそうにやりとりをする彼らを、ずっと見てきたのだから。
「それに秀星との面接も大概だったぞ。神戸のレストランでメートル・ドテルまでしていたのに、どうして辞めたのかと聞いたら『写真が趣味で大沼を撮りたかったから』だぞ。あれだって目が点になったぞ」
「まあ、うん……、そうかもしれないけど……」
それにしても、あれが秀星さんと親しくしていた後輩さん?? 葉子はもっと大人の男を想像していた。それに秀星同様に、落ち着きがあって中年の威厳があって、ちょっと枯れた雰囲気もある男だろうと勝手に思っていた。なのに妙に若々しくて、ヘラヘラチャラしている男がやってきた。
そうだ、篠田は若く見えるんだ。葉子はそう気がつく。表情が生き生きして、ぽんぽんと喋って、大きな声でハキハキ。砕けた口調で親しみやすさを醸しだし、会話のテンポを自分から軽やかに生み出す。服装もお洒落を存分に意識しているし、洗練された大人のイケメンといったところだった。
『意識高い男でね』。秀星がそう言っていたことを葉子はやっと思い出す。ああ、なるほど。すべてにおいて『意識高い』のかなと、少しだけ腑に落ちもした。
あとで葉子も履歴書を見させてもらって、四十前のおじさんだと知って驚愕。
めちゃくちゃ若く見えるじゃないの。秀星の後輩だからこれぐらいの年齢だろうとわかっていたつもりでも、篠田はぜんぜんアラフォー男には見えなかった。だってチャラくて、
秀星のような指導をしてくれるのかと、葉子は一抹の不安に襲われる。っていうか『葉子ちゃん』って呼ぶのはやめて欲しい!
その篠田は、今回の函館滞在中に住居もぱぱっと決めてしまい、半月後にはあっという間に『フレンチ十和田』の給仕長としてホールに戻ってきてしまった。
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