【3】名もなき朝の『いいね』《篠田の日課》
1.神戸の後輩さん
【 大沼で唄うチャンネル ハコ 】
〈動画チャンネル登録者〉 7万人
〈SNS:フォロワー〉 1万人突破
@ハコ*大沼で唄うチャンネル SNS 3月〇日
『雪解け前の白鳥台セバットにいる白鳥たちです。北星はとても穏やかで静かな人でした。ですが、仕事には厳しい方で、対価をくださるお客様、食材や生産者への敬意を忘れない方でした。自然のひとつひとつにも敬意を払っていたのだと思います。この白鳥が飛び立つ前に、別れを惜しんでいたのかもしれません』
生前、秀星も写真掲載用のSNSアカウントを持っていた。
アカウント名、または秀星のネット上での活動ネームは『
彼が逝去したことで、そのアカウントは秀星が最後にアップした日で停止している。
葉子から操作することができないので『追悼アカウント』として、『ハコ・アカウント』のプロフィール欄にリンクして、フォロワーに周知している。
秀星が遺した写真データは、特別縁故者の父の許可の元、『ハコのSNSアカウント』で、毎日アップしている。
葉子は写真のデータを選ぶ基準を決めている。
秀星が撮影した日と、葉子が写真をSNSにアップする当日と、日付をおなじにすること。
そうすることで、過去の写真でも四季感がでるので、リアルタイムの画像のように感じてもらえるだろうと予測していた。
動画チャンネルで毎日リアルタイムの大沼と駒ヶ岳を映し、唄うことで、『SNSに今日も写真をアップします』と告知する。
午後休憩の時に、給仕長室の秀星が遺したパソコンから写真データを選び、SNSアカウントにアップする。
動画配信を始めてから一年、SNSで写真をアップして数ヶ月。
『亡き上司の写真を配信するために、歌を唄う教え子』としてSNSで広まり始める。また『天涯孤独だった男の写真を守ろうと特別縁故者の手続きをわざわざ取ったシェフ』として、父と葉子が亡き男を守ろうとした行動が注目されるようになったのだ。
やがて葉子は取材を受けるようになる。
ネットニュースの記事であったり、雑誌の取材もあった。
その時に秀星が『神戸のレストランで優秀なメートル・ドテル』だったことも伝えた。そのせいなのか、秀星が勤めていた神戸レストランの矢嶋社長にまで取材が及んだということを、葉子は父の政則から聞かされて驚いていた。
「後輩さん、どうしているのかな」
秀星の写真用SNSアカウントの画面をPCモニターに表示させ、葉子はスクロールをしながら、秀星が自分でアップした写真を遡る。
葉子が東京から大沼にきた頃の日付まで。記憶に鮮烈に残っているのは、大沼と駒ヶ岳、北極星を中心に星が輪を描いている夜の写真だ。この写真には思い出がある。
『北海道に来てから、これも始めてみたんだ』
北星秀というアカウント名で、SNSを使っていることを初めて教えてくれた日のことだ。
桐生給仕長という冷徹な上司との仕事に慣れてきたころ。彼がどのような写真を撮影してきたのか知りたくて『お写真、見せてください』と給仕長室で頼んだことがある。
デスクで事務作業をしていたにもかかわらず、秀星は上司の顔から、兄貴の顔に崩れて、引き出しにしまっているフォトブックを葉子に差し出してくれた。
受け取ったフォトブックを開いて、最初に見えたのは夜空に繊細な光が美しく瞬く『ルミナリエ』だった。
神戸の冬の夜空に浮かび上がる光の祭典は、葉子も知っていた。見たことがなかったので『綺麗』と自然に呟いていた。秀星は嬉しそうに微笑んでいたが、その写真についての説明はなにもしてこなかった。
給仕長のデスクに座っている秀星が仕事モードを解除して、優しい笑みでスマートフォンを差し出して見せてくれたSNSの写真が『北極星と星の輪と夜の大沼』。
その時に、北海道に来てから始めたSNS写真投稿をしている『北星秀』のアカウントを見せてもらったのだ。
投稿した写真が並んでいる。しかしフォロワーは一桁、フォローも二桁。投稿している写真には、いいねがひとつ、ふたつついているだけ。
本当に給仕長の写真は綺麗なのに、誰も気がつかないんだと、ちょっと哀しくなったりもした。
なのに、秀星はそこでふっと思い出し笑いをしながら、とある投稿した写真をタップして大きく表示する。
『少ない〈いいね〉のうちの、ひとつは、神戸のレストランで一緒に働いていた後輩なんだ。写真をアップすると必ずつけてくれる』
表示した写真の下には、秀星と後輩の彼がやりとりしたリプライが続いている。
@ダラシーノ:
くっそー。めっちゃ良い景色!!
先輩もさぞや満足でしょうね~。ばっかやろーー
@北星秀:
僕、いま、しあわせですからー。メシもうまい!!
@ダラシーノ:
あーそうですか。お好きなだけお写真をどうぞ!
いいね、しまくってやりますよ♥ 今度、蟹、送ってくださーい
@北星秀:
やだ! 食べたいならこっちにおいで
@ダラシーノ:
なんでですのん!! 俺、忙しいんですってば!
送ってくれないなら、いままでのいいね♥没収しちゃいますよぉー!!
@北星秀:
いいよ~♪ 全然平気~♪
@ダラシーノ:
はあ!? はあ!? 俺の純粋なハート返して! 俺、おかんむりなんですけど!!
大人の男ふたりのやりとりに、葉子は思わず笑ってしまったことを思い出している。
『楽しそうですね』
『楽しいよ。彼はいいヤツなんだ。これも彼の優しさ。なんでも男前、どんなことにも意識が高くて一生懸命。頑張り屋さん』
今日も改めて、葉子はあの日を思い出しながら、秀星のSNSアカウントに残っている後輩さんとのリプライを眺める。
初めて見せてもらった時同様に、いま見ても葉子はクスリと笑みをこぼしていた。
男同士、いつもこんな風にやり取りして、秀星は楽しそうに笑っていたのだ。
いつもお堅い横顔しか見せていなかったあの人を、後輩さんはこんなふうにして、あの人の表情をあっという間に崩してしまう。
「どうしているのかな、後輩さん。秀星さんのアカウント、もう見ていないかも……」
哀しみに襲われ、どんなに足掻いても、その人はもういない。写真も増えない。SNSにも現れない。このアカウントでのDMのやりとりだってもうできない。
秀星とは休日はよく一緒にランチに行ってご馳走してもらっていたが、その時にも、たまに後輩さんのことが話題になった。
『彼がメートル・ドテルを引き継いでくれたんだ。だから安心して大沼に来ちゃったんだけどね。だから彼も忙しくてね。大沼まではなかなか来られないみたいなんだ。会いたいけど会えないままなんだあ』
秀星の後を引き継いだメートル・ドテルになれる後輩なら、彼も一流のサービスマンなのだろう。だから秀星亡きいまは、忙しさで哀しみを紛らわせているのかもしれない……。
最後の写真にひとつだけついている『いいね』。アカウント名は『ダラシーノ』とある。ポルシェのアイコン。
秀星が亡くなってから『いいね』はもう付かないし、リプライももう来ない。後輩さんの中でも、秀星のSNSアカウントはもう見てもどうしようもない『終了したアカウント』になっているのだろう。
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