第30話 熟れ熟れ(ミニマリズム的手法による)
劇場は休日だというのにガラガラ。歯の抜け変わりが同時に押し寄せてしまった子どもの口の中だ。
場内は煮詰めた汗と精液とタバコの臭いが混ざり、鼻がひん曲がりそうだった。湿った空気が肺を汚していく。
「いつもこんなところに通っているのか?」
どうにもこの場所が気にいらなかった。青少年の遊び場にはふさわしくない。
心配する義理などまったくないが、老婆心のようなものがはたらいてしまったのだろう。
「いえ。初めてです」
息子は、口の中に綿が詰まったような声で答え「あくまで、『ゴドー』のためですから」と付け足した。言い訳のように聞こえたが、それ以上追及しなかった。
私たちは、前から三列目の中央の席に座った。息子は右隣にそろそろと腰かけた。
後ろの席にはカップルがいた。人目をはばからず水っぽいキスをしている。溺れてしまったアヒルの口づけ。
濁ったブザーが鳴り、幕が開いた。
内容はあまりにお粗末で不出来だった。
いや、この映画の内容に興味を持っている人間など、誰もいはしない。
暗く汚濁した空気にまみれ、そこに自分を任せていたいという欲望だけだ。(木を隠すなら森の中、とでも言えばいいのだろうか?)
映画は、こんな筋書きだ。
若い郵便夫に恋した、三十代半ばの豊満な体つきの『人妻』がいる。ショートヘアで、いつも悩ましげに眉が下がっている。
夫が出張に出ており(予定調和な不在。要するに『ある』が『ない』のだ)彼女いわく、「熟れ熟れの体を持て余しちゃって」(とんだ
彼女は朝の洗濯を終えると、退屈なワイド・ショーを見て、午前を過ごす。(交わりまでの導入部分が冗長であり、不必要な日常が語られているのも、この映画の出来の悪いところの一つだろう)
ピーナツバターを一嘗めしながら、私は息子に話しかける。
「退屈だな」
「これはミニマリズム的手法なんですよ。意識的に日常を繰りかえし綴ることで、問いかけをしているんです」
「誰に?」
「ぼくたちに」
「私たちに?」
「……」
彼は答えなかった。邪魔をしないでくれ、と言わんばかりだ。
もっともらしいカタカナ語で煙に巻こうとする姿勢は、妻を思い出して不快だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます