第25話 中年の痴話喧嘩
夕方から監督の家を訪れることになっていた。たまらなく磯臭くて、宇宙で一番弱いチームの指揮官。
監督には大学生の息子がいて、私の熱狂的ファンらしいのだ。監督に、息子の写真を見せてもらった。細い顎をして、鋭い目つきをしている。弱者の輝きだった。弱き者が涙をため、媚びる眼差しだ。癖のある長い黒髪は、女物のシャンプーの香りがしそうだった。
それも恋人ではなく、母親の。
監督は「一度息子に会ってくれよ」と、私の顔を見るたびに懇願した。散々断っていたが、四回断った次の日、やむなくその話を受けることにした。
そうせざるをなかったのだ。
四回目に断った翌日、私のロッカーにメモが張ってあった。
『どうして息子に会ってくれないんだ?』
いやに丁寧な字で、恨み節が連ねられていた。監督は、ひどく女々しいのだ。私は、チームメイトに冷やかされた。
まるで、痴話喧嘩のようだと。
それだけならよかった。
だが、そのメモは一日に一枚ずつ増え、チームメイトたちにもその異様さが伝わったらしい。いつの間にか、妙な噂が流れ始めた。
なんでも、私は監督の肉体をほしいままにしていて、『おあずけ』を食らっている監督は発狂寸前。(私の方がおかしくなりそうだ)
私の結婚は、ホモ隠しのカムフラージュとさえ囁かれた。
私はついにこの状況に耐えかねた。
もうお手上げだ。
いや、監督の家に行ったら、それはそれでおかしな噂がたってしまう可能性はある。(昔組んでいた捕手に「よぉ、一体どっちがネコなんだよ?」「嫉妬しちまうな」「まったくよ、俺という女房がありながら」などと、矢継早に厭味を垂れられるかもしれない)
それでも、このままではどうせ私(たち)はロクな扱いを受けない。チーム内で冷やかされるならともかく、世の中におかしなデマが流れるのはごめんだ。
それに、ウチの監督は横暴なのだ。これ以上息子との面会を断り続けたら、私はファーム行きかもしれない。この年で、それは御免だ。もしかしたらもっとひどい目に遭わされる可能性もある。春のキャンプで、全身ガムテープでできた洋服を着せられ、グラウンドを走り回らされたり。
監督は酷い花粉症なのだ。
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