第22話 消毒液のにおいに、恋をしている
目覚めると、途端に不安の虫に襲われた。
『絶対にね』と残した医者の言葉が、頭の中で響き続けていた。
ベッドから這い出て、洗面所に行き、Tシャツを脱いだ。鏡に映った私の顔は、頬がこけ、下顎が緩んだ酷い顔になっていた。
深く息をつき、軟膏のチューブの蓋を開ける。
瞬間、ひどいげんなりする臭いがした。
三日水につけたタバコのようなすえた臭いだ。色は高熱時の痰のような黄土色。水っぽくて緩い。少し手に取っただけで、指先がひりひりとする。
こんなものを塗って、本当に大丈夫だろうか?
肩が痛んだ。
しばらく悩んだが、軟膏のチューブをゴミ箱に放り投げ、丹念に歯を磨いてから歯医者に行くことにした。昨日のヤブ医者が勧めたところではなく、行きつけのだ。
私は、そこの歯科助手のとても女が気にいっていた。腰にくびれのないまるぽちゃで、笑うと花が咲くみたいなのだ。
笑うと花が咲くみたい?
まったく、この年にもなってまだそんなことを考えているのか。
朝十時、シャッターが開くのと同時に建物に入った。
予約客はおらず、一番乗りだった。
診療用の椅子に、深く腰をかけた。安い革の椅子なので、肌にぴたぴたと張り付くようだ。
私は指示に従い、阿呆のように口を開け続けている。
例のまるぽちゃの女が、私の口の中に唾液を吸い取る機器を入れ、六十五パーセントくらい微笑んでいる。
薄い茶色の瞳。
「あー、ありますね。虫歯、ありますね」
マスクの奥で女の口が動くのがわかる。声は焼きたての食パンのように柔らかく、温かい。
消毒液のにおいは、幸せのにおいだった。
私は、本当に彼女が大好きなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます