第21話 私は一体何を恐れているのか?

 ピーナツバターのことは、話さないことにした。やめろと言われるのが、あまりに明白だったからだ。

 医者は私の下顎を掴み、右手の指を私の口の中に入れた。

「虫歯もありますね」

「だからどうした」

「どれ、削りましょうか」

「バカを言うな。お前は医者であっても歯医者ではないだろう」

「もちろん、ぼくがやるんじゃないですよ。紹介状を書きましょう」

 医者はボールペンのペン先をなめ、さらさらと私の名前を書いた。さらに、こちらをじろじろと見ながらペンを走らせた。どうやら、似顔絵を描いているらしい。彼には、私は年老いた犬ころに映っているようだ。

「あのね、きっぱりはっきり申し上げますと特にこれと言って治療方法はありません」

「お手上げってことか?」

「きっかけは疲労ですよ。単純なね」

「単純な疲労で、こんな風になるもんか?」

「一般の四十四歳は、ここまで肩を酷使することはないんですよ。本来は、正しい休息さえ取れば癒えるはずですが、年齢の問題で回復が追い付いてないんです。無茶させるには、あなたは年を取りすぎたんですよ、えぇ」

「……」

「このまま続けると、肩だけではなく二次的被害を引き起こしかねない。必ず安静にして。一応、肩の炎症用の薬を出しておきます。塗れば炎症の進行を緩めることができますよ」

「……もっと手っ取り早く治す方法が聞けると思ったんだがね」

「ないですよ。軟膏なんですが、ちょっとくせのあるニオイがします。ぼくなんか、たまんないですけどね。絶対に毎日塗ってください」

「……」

「絶対にね」

「……わかったよ。塗ればすぐ治るんだな」

「まぁ、ある程度すれば。ただそれだけじゃあだめです。まず、スクリューをきっぱりやめて……」

「やめられるか!」

 石にかじりついてでも、200勝を手に入れなくてはならなかった。

 肩の痛みになんて構っていられない。スクリューは必要不可欠なのだ。

「あんただって聴診器を使うなと言われたら困るだろう?」

「困りません。直接耳をつけて聴きますから」

 この男が鼻息荒く、若い女の患者の胸元に耳をそばだてるところを想像した。

 気持ちが悪い。

「その年齢で先発を続けようってだけでも、相当無茶なんですよ。でもまぁ、比較的疲労が溜りにくい球種だってあるでしょ。それなら、まぁ……」

「悪いが、頷けんな」

「……スクリューをやめられないなら、ピーナツバターをやめてください」

「なぜ知ってるんだ?」

「いえ、そんな気がしたので」

 一刻も早く退室したかった。

「はい、それじゃあもういいですよ。お大事……」

 男が言い終わる前に、私はドアを閉めた。

 受付の女が薬を手に説明を始めた。

 飲み薬は朝晩二回。塗り薬は就寝前と、朝にもう一度。

 私は薬をもぐように受け取り、請求額ぴったりの代金をトレイの外に置いた。


 夜、家に帰って錠剤を開けると、そこにはごくごく細かい文字でこう書いてあった。

『――あなたは何をそんなに恐れているんだろうね?』

 結局錠剤だけを飲み、軟膏は塗らずに寝た。

 あの医者の言うことなんか、あてになるもんか。

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