第18話 米粒には文字が何文字書けるでしょう?

 六階にたどり着いた。

 窓口では、愛想の悪い女が(黄色がかった白髪が多く混ざった女だ)値踏みするような眼差しを私に向けた。

 不快に思いながら受付を済ませると、奥に通された。

 スチールの扉に、球団のロゴのシールが貼ってあった。私はノックをして、部屋に入った。消毒液と、ココナッツ・ミルクが混ざった香りが鼻腔をくすぐった。

 ずんぐりとした男が前かがみに椅子に腰かけている。ここにいるのだから、きっと医者なのだろう。医者は虫眼鏡を片手に、米粒に文字を書いていた。私に気付いていないようなので、「失礼?」と声をかけた。

 医者は顔を上げようともせず、「米粒にね、最大、何文字くらい書けるか知ってます?」と訊ねてきた。指は芋虫のようにころころと肥えている。

「いや」

 くだらないなぞなぞみたいなものだろうか。

 私はなぞなぞが嫌いだ。

「無限に書けます。ぼくが飽きるまでは」

 医者は半笑いでうん、うんと頷いた。口の端からこぼれるような、いやらしい笑い方だ。

 私は丸椅子に腰掛けた。椅子はぎぃ、と粘つくような色っぽい声を上げた。

 球団の意向に口出しする気もないが、こんな医者を信用して大丈夫だろうか?

 医者はこちらが喋ろうとすると「肩ですよねー」とかぶせるように遮った。間延びしているくせに、妙に語気が強い。

 彼は立ちあがり、米に文字を書いているときと同じ猫背のままこちらに向かってきた。

 息苦しい圧迫感があった。

 彼は、無遠慮に肩に触ろうとした。私は思わず体をのけぞらせ、睨みつけた。

 医者は視線を逸らし、面白くもなさそうに電灯を眺めた。チカチカと明滅して、ひどく落ち着かない。赤茶色の羽虫が何度かぶつかり、そのまま焼け切れ落下して息絶えた。

 医者は「あぁ、死んじゃった」と当たり前のことを言った。(……虫が死ぬのは、当たり前か?)

 私の方を見た。

「ねぇ、死んじゃいましたね。虫がね、よく死にに来るんですよ。ここ、六階なのに、よくもまぁ、わざわざ来ますね」と、細かくブレスを入れながら言い、虫を踏みつけた。

「なにか傷んでいるんじゃないですか。果物とか、お菓子とか」

 私が言うと、また電灯を眺め、「うーん、これも古いから」と呟いた。話がかみ合わないことが面倒になり、早いところ診察をしてくれるよう促した。

 カルテを手に取ると、ぼんやりと眺め始めた。本当に眺めているだけ、といった風だった。

 彼は友だちに喋りかけるような調子で、「あなた、だめだね。7キロ、オーバーウェイト」とバインダーを叩いた。

「肩には関係ないでしょう」

「あるよ。あるあるよ」

 医者は冗談めかし、それから人体模型の左腕を握り締めた。腕を強くねじった。劣化したゴムがちぎれるような音がした。

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