「えー? 違うの?」

 魔女に勘違いだと告げられた少年は、まだ納得が行かないようで。安楽椅子に座る男の膝に乗せられながら片頬を膨らませた。

「だって〜さっき、いとおしいって……うつくしいって」

「おや? 聞き耳を立てていたのかい」

 ぶつぶつと異議を申し立てる少年の顔を、魔女が片眉を上げて覗き込む。少年は「あっ」と声を上げ、両手で口を押さえると「ごめんなさい」と呟いた。

「ほおら。あんたが恋愛小説なんて読ますから、こんなことになったんだよ!」

 魔女は、「自業自得だ!」と男を睨みつけてから、また薬作りに取りかかった。


「あれ? じゃあ、さっきおじさん、ふつうのお出かけするところだったの?」

「ぼくまちがえちゃった!」と、少年は男の膝から降りようとする。

 それを男は「いや〜……それは」と引きつった笑顔で引き留めた。

ねてただけだよ」

 魔女が、粉々の薬草を水で練り込みながら言う。

「おまえに嫌われたんじゃないかって勝手に思って、拗ねて出ていこうとしたのさ」

 面倒臭いったらありゃしないよ、と鼻で笑った。

 少年が後ろの男を勢いよく見る。男は、照れたような気まずそうな複雑な顔をして、「面目ない……」と呟いた。


「きらわないよ! 逆だよ! ぼく、うれしかったの!」

 男の頬を小さくふくふくとした両手で触ると、ぐっと顔を寄せ目線を合わせた。少年の輝く若葉の瞳と男の灰がった瞳が、かち合う。

「ぼく、おじさんが、『ぱぱ』になるんじゃないかって思って……嬉しかったの」

 合った視線を逸らしながら、少年がもごもごと言った。


「『ぱぱ』?」

 魔女は、作業する手をぴたと止めた。初めて聞く言葉に、眉を思いっきりひそめて怪訝な顔をする。

 一方で、男は目を丸くして嬉しそうに口を大きく開いた。そして、膝の上の少年をぎゅっと抱きしめる。

「『ぱぱ』……! いいね! 最高だよ薄紅……!」

「あっ! あんた意味わかってるね? どういう言葉なんだい?」

 魔女は、男に詰め寄る。男は「ん〜」とうなり、にやっと笑った。

「秘密だよ! 秘密!」

 勝ち誇った顔でほくそ笑む男に、魔女は口の端を引きつらせる。


 少年が、男の両腕からもぞもぞ抜け出す。

「あのね、おししょう。『ぱぱ』ってね――」

「あー! だめだめ! 秘密なんだこれは!」

 男は少年を遮り、また腕に閉じ込めて薄紅色に頬擦りした。

「君にも、いずれわかるといいね。『薄紅語』!」

 男は魔女に向かい片目をつぶってほほ笑みかける。

 魔女は、表情の無い顔で男を見つめると、無言で椅子ごと男の尻を蹴り上げた。



   ※



「でも、一体なんであいつとの仲を疑ったんだい?」

 夜になり、魔女は上半身を脱いで少年に背中を拭いてもらっていた。男は別の部屋に追い出されており、ちょうど魔女と少年のふたりきりだ。

「あいつが居ては、話がややこしくなる」と、このときを狙って、魔女は少年に疑問を投げかけた。

 魔女からしてみれば、少年にはいつもふたりの口論を見せていたという印象しかなかった。どこに恋仲だと疑う余地があったのか、疑問だったのだ。


 少年は、魔女からの問いかけに、彼女の背中を拭いていた手を止める。

「だって、おししょう。いつも若い女の人になるから……」

 温かい湯につけた手ぬぐいを絞りながら、少年は呟いた。

「そんなことで?」

 魔女の言葉に、少年はこくんと頷く。がくりと肩を落とした魔女は、「はーっ」と声に出して、息を吐いた。

「これは、そういうのではなくて……」

「なになに⁉︎」

 少年は、魔女の真っ白な肩に小さな両手を置くと、後ろから顔を覗き込んだ。

 魔女はその勢いに小さく笑い、上を向いてわざとらしく唸り声をあげる。そして、目元を緩めると「秘密だ! 秘密」と、肩から覗く少年の鼻を指でぴんと弾き、からからと笑った。


「いたい!」と、少年は鼻を押さえる。そして、首をかしげた後、はっと目を開く。

「もしかして、おひるの仕返し?」

 少年がまた白い肩に寄りかかれば、にやりと笑う魔女と目が合った。

「だから、んー、なんていうのかなぁ。『ぱぱ』っていうのは……」

「あーだめだめ! 薄紅! だめだって」

 少年が、説明するために頭をひねっていると、隣の部屋から壁をどんどんと叩く音と、赤髪の男のこもった声が届く。

「あー、おじさん! 聞き耳はたてちゃだめなんだよ!」

 少年は、男がいる隣の部屋に向かって大きく声を張り上げる。

「もう〜。『でりかしー』がないんだから‼︎」

「でり……?」

 頬を膨らませ、「ねぇ?」とませた顔を魔女に向ける。魔女は、また現れた知らない言葉に、顔を引きつらせていた。

「はは! 立派なことを言うなぁ! 薄紅は!」

 壁の向こうから、男のくぐもった笑い声が聞こえる。


「だから、何であんたは、『薄紅語』を理解してるんだい‼︎」

 上半身そのままに、隣の部屋へ向かおうとする魔女の背中を、少年は必死で追いかけるのだった。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る