第四話 魔女と黒

 

 幼い少年が山小屋の前庭でしゃがみこみ、木の棒を使って土を掘り起こしている。薄紅色の髪を風に撫でられるままにして、真剣な表情で土と向き合っていた。

 一息ついたときに、誰かの気配がして少年は後ろを振り向く。そして「あっ」と嬉しそうな声をあげた。


 

「こんにちは……」

 少年に連れられ小屋へ入ってきたのは、おどおどした様子の若い男だった。短く切りこまれた髪は漆黒。衣服も上下ともに黒をまとっており、生成きなりの帯紐だけがよく目立っていた。きょろきょろと周囲を見渡すさまは、見る人に少し滑稽こっけいな印象を与えるが、顔だけを見れば無表情で男の感情はうかがい知れない。

 

「おや、今回は遅かったね」

 老女が男に気付き、声をかける。

「いや、あの人がいたみたいだったから、入れなくて……」

 男は無表情のまま、片手で後ろ頭をかいた。


 以前から男は、老女の手伝いをするため、頻繁ひんぱんに山小屋を訪れていた。

 老女の手伝い、といっても、彼女は「普通」の老女ではない。不可思議な力を用い、不可能を可能にできる老女なのだ。ともに暮らす少年からは「魔女」と呼ばれ、尊敬の目を向けられていた。

 

 その魔女の手伝いなのだから、「普通」では済まない。あるときは、依頼人を山小屋まで連れて来たり、あるときは一日で山から街へ何度も配達したり、あるときは勝手に走る馬車のお飾り御者ぎょしゃとなったり――。

 この男が訪れると「普通」ではないことが起こる。

 それを知っている少年はそわそわしながら、男の行動を目で追った。

 

 

「この石って、どういう石なの?」

 男が運んできたのは、黒い石だった。両手で抱えられた木箱には、真っ黒な石が数個入っている。小さい石だが光沢があり、覗き込む少年の顔が映り込んでいた。

「こいつは希少な石さ。触ってみるかい?」

 魔女が片手を出し、その手の上に少年の両手を乗せるように言う。少年は、小さな手を言われるがままに置いた。老女が石をまみ、少年の手に乗せると、ずんっと腕が下がった。

「おもい!」

 石の小ささと見合わない重みに、少年は驚く。魔女はけらけらと笑っているが、彼女の支えがなければ、希少な石を落としてしまっていたかもしれない、と少年は冷や汗をかいた。

 

「この石は、空から降ってくるのさ。空の明るい夜にね」

 石は、地面に落ちれば割れて粉々になるため見つけにくいが、水辺に落ちれば綺麗に残るそうで。

「それを見つけられるのが、こいつの眼だよ」

 男が、頭をかきながら照れたような仕草をした。顔は相変わらずの無表情だ。

「空のあかるいよるは、ぼくの生まれた日でしょ?」

 実際には、魔女が少年を拾った日、であるが。

 指を折り、数を呟きながら少年は、口をへの字に曲げる。

「そうさ。日が経ち過ぎてるってことだろ? それぐらい時間をかけて山の上流から、川下かわしもに降りてくるんだよ」

「いつもならもっと早くに持ってこられたんですが――」

 申し訳なさそうに腰を折りながら謝る男の背中を、魔女はぱしっと叩く。

「相変わらず臆病だねぇ! あんな男、怖がらなくて大丈夫さね」

 蹴り飛ばしてやんな、とからから笑った。


 石は、魔女の行う「不可能を可能にする不思議な契約」の際に活躍する。契約には代価が必要だが、それが釣り合わぬ場合にこの石を幾らか入れたなら、契約の鐘がなるのだ。

 石の重さが代わりとなるのかもしれない、と魔女は言う。

 さらに、その色も貴重だった。すり潰し煮詰めれば、黒い塗料になる。男の黒い衣服も、魔女が石を使い、染め上げたものである。

 

「これを持って来られた日には、そりゃあたまげたもんさ。それまで小屋に置いてこきつかってたんだけどねぇ、その日からすぐに自由にしてやって。今じゃ立派なお得意様さ」

「ありがたい限りです。お世話になっている上に、自由にしてもいいと言われて。おかげで、その――」

 口籠くちごもる男の耳が、赤く染まっていく。

「あんた、そんな顔もできるようになったんだねえ」

 魔女は観察するように、まじまじと男を覗き込む。そして、にやりと笑った。

「あたしじゃなくて、あの子に感謝しな」

 話についていけずふたりの顔を見ていた少年が「えっ!」と声をあげ、頬をじわじわ赤に染めていく。

「だぁから、そういうのに敏感にならなくていいんだよ」

 魔女は空気を散らすように、しわの濃い手をひらひらと振った。


「そうだ。あんたも、もう自分ひとりじゃなくなるんだから」

 男に、小瓶がいくつも詰まった大きい木箱を渡しながら魔女は言う。小瓶には、透明な液体が半分ほど入っていた。男が魔女のそばを離れた今でも彼女のもとに通うのは、手伝うことでこの小瓶を貰う契約をしているためだ。

「いいかい? 一日でも飲むのをやめてはいけないよ」

「大丈夫です。言われた通りにしています」

 男が深々頭を下げて言えば、「念を押してるのさ」と魔女は片方の口角を上げた。

「こいつは言ってなかったろ」

 魔女が人差し指を立てて言う。

「飲みためてもだめだ。元に戻れなくなるからね」

「元に……?」

 男は、ゆっくり顔を上げ、魔女を見つめる。

「そうさ。契約を破ると、二度とお前さんには同じものを与えられなくなるから、注意しとくれよ」

「わかりました……」

 無表情のままだが、どこかぎこちなく、男は山小屋を後にした。



 

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