二
「そろそろ瓶を取り出してきておくれ」
魔女の言葉に、幼い少年は前庭に飛び出し、毎日ならしていた土を丁寧に手で掘り返す。爪がかちりと音を立てれば、土にまみれた瓶が顔を出した。
少年が取り出したのは「不思議な」硝子の小瓶だ。瓶自体は普通のものなのだが、魔女の「不思議な」力で施された薬液に
その「不思議な」力とは「転移」。
魔女は依頼人へ薬を渡す際、この硝子瓶に入れる。そして、使用後の瓶は土に埋めるように言うのだ。魔女は前庭の一画にも、瓶に施したものと同じ薬を注ぐ。すると「転移」の薬を
「おししょう〜。これなあに?」
小首をかしげながら、少年が庭から声をかける。開け放たれた窓枠に、土まみれの両手で瓶を置いた。
瓶はぐんにゃりと曲がり、大きな硝子の塊となっている。いつもはひとつひとつ綺麗にわかれている瓶が、溶け合うように数本くっついているのだ。
魔女は
歪な硝子瓶は自立できず、音を立てて転がった。割れることもなく、溶け落ちそうで落ちない、水たまりのような形のまま、ただそこにあり続けた。
※
空は真っ暗に落ち、周囲の家々から温かい明かりがこぼれている。
年若い男は、その明かりに目を細めた。そして目の前の戸に向き合うと、短い黒髪を片手で掻き乱す。ひとつ長い息を吐き、戸を三度叩いた。
すると、妙齢の女がちらりと戸の隙間から顔を出す。男の顔を確認すると、満面の笑みを浮かべ、戸を開け放った。
「お仕事お疲れさま! 今日は遅かったのね」
「う、うん。ちょっと寄るところがあって……」
男が、まず目の前の愛する人に、そして次に大きく膨らんだ女の腹に「ただいま」と声をかけた。
「なあにこれ?」
女は、男から箱を手渡され、不思議そうに見る。
「開けてみて」と、男は、ぶっきらぼうな顔でそっぽを向きながら箱を指差す。女は、それが男の照れた仕草だと知っていた。
箱を開ければ、そこには質素な銀色の指輪がはいっていた。
「注文していたこれが、できたって。だから、遅くなった」
耳を赤らめて、ぎこちなくだが真剣に話す男を、女はじっと見つめる。
「僕のおよめさんになってくれて、ありがとう」
細めた女の瞳からぽろりと涙がこぼれる。
女は、顔中真っ赤に染まった男に勢いよく抱きついた。
※
「おししょう、こんなとこに置いてていいの?」
薄紅髪の少年が指差すのは、小屋の窓。窓の外枠に黒い石が乗っていた。窓を開け、魔女は手に取った石を見つめる。
翌日、また同じ位置に石はあった。
「おししょうが置いたんじゃないなら、あのお兄さんかな……。会っていかないなんて、忙しいのかな」
少年の心配をよそに、石は日に日に数を増していった。
「ごめんください!」
慌てた様子で、若い女が小屋に駆け込んで来た。女は、厚手の外套を着込み、腹に手を当て、真っ青な顔で息を切らしている。魔女が、
「私の、私の旦那がいなくなったんです!」
女は、落ち着くとすぐに
女の旦那は、その日仕事に行ったきり、帰ってこなかった。近所の人にも頼んで、懸命に探した。そして、この山小屋のある森のすぐ近く、川のほとりに綺麗にたたんだ服がおかれているのが見つかった。みんなは川に流されてしまったと言うが、そこは穏やかな川だ。そんなことが起こるはずない。女はそう思い、諦めず探した。そして森をがむしゃらに探していると、この山小屋にたどり着いた、と女は言う。
「何か知りませんか? どんなことでもいいんです!」
女は必死の形相で魔女を見つめる。しかし、魔女の首が横に振れるのを見て、女はがくりとうなだれた。
幼い少年はいてもたってもいられず、魔女を
「森の中ならぼくも、探せるかも……いい? おししょう」
魔女が何か言う前に、女が「お願いします!」と続ける。
「結婚資金に、ためていた貯金があります……それを払います、だから、お願い、誰か……彼を探して……」
「生きてさえいてくれたら……」
祈るように握りしめる女の手のひらから、黒い光がこぼれ落ちた。
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