「そろそろ瓶を取り出してきておくれ」

 魔女の言葉に、幼い少年は前庭に飛び出し、毎日ならしていた土を丁寧に手で掘り返す。爪がかちりと音を立てれば、土にまみれた瓶が顔を出した。

 少年が取り出したのは「不思議な」硝子の小瓶だ。瓶自体は普通のものなのだが、魔女の「不思議な」力で施された薬液にひたされ「不思議」な硝子瓶となった。

 その「不思議な」力とは「転移」。

 魔女は依頼人へ薬を渡す際、この硝子瓶に入れる。そして、使用後の瓶は土に埋めるように言うのだ。魔女は前庭の一画にも、瓶に施したものと同じ薬を注ぐ。すると「転移」の薬をまとった瓶は、土を介して小屋の前庭へと戻ってくるのだ。

 

「おししょう〜。これなあに?」

 小首をかしげながら、少年が庭から声をかける。開け放たれた窓枠に、土まみれの両手で瓶を置いた。

 瓶はぐんにゃりと曲がり、大きな硝子の塊となっている。いつもはひとつひとつ綺麗にわかれている瓶が、溶け合うように数本くっついているのだ。

 魔女はいびつな硝子瓶を見つめると、片眉を吊り上げ、ため息をつく。そして、そのまま何も言わず不用品を置くかごへと捨て置いた。

 歪な硝子瓶は自立できず、音を立てて転がった。割れることもなく、溶け落ちそうで落ちない、水たまりのような形のまま、ただそこにあり続けた。


 


   ※


 

 

 空は真っ暗に落ち、周囲の家々から温かい明かりがこぼれている。

 年若い男は、その明かりに目を細めた。そして目の前の戸に向き合うと、短い黒髪を片手で掻き乱す。ひとつ長い息を吐き、戸を三度叩いた。

 すると、妙齢の女がちらりと戸の隙間から顔を出す。男の顔を確認すると、満面の笑みを浮かべ、戸を開け放った。

「お仕事お疲れさま! 今日は遅かったのね」

「う、うん。ちょっと寄るところがあって……」

 男が、まず目の前の愛する人に、そして次に大きく膨らんだ女の腹に「ただいま」と声をかけた。

「なあにこれ?」

 女は、男から箱を手渡され、不思議そうに見る。

「開けてみて」と、男は、ぶっきらぼうな顔でそっぽを向きながら箱を指差す。女は、それが男の照れた仕草だと知っていた。

 箱を開ければ、そこには質素な銀色の指輪がはいっていた。

「注文していたこれが、できたって。だから、遅くなった」

 耳を赤らめて、ぎこちなくだが真剣に話す男を、女はじっと見つめる。

「僕のおよめさんになってくれて、ありがとう」

 細めた女の瞳からぽろりと涙がこぼれる。

 女は、顔中真っ赤に染まった男に勢いよく抱きついた。



   ※



「おししょう、こんなとこに置いてていいの?」

 薄紅髪の少年が指差すのは、小屋の窓。窓の外枠に黒い石が乗っていた。窓を開け、魔女は手に取った石を見つめる。

 

 翌日、また同じ位置に石はあった。

「おししょうが置いたんじゃないなら、あのお兄さんかな……。会っていかないなんて、忙しいのかな」

 少年の心配をよそに、石は日に日に数を増していった。




「ごめんください!」

 慌てた様子で、若い女が小屋に駆け込んで来た。女は、厚手の外套を着込み、腹に手を当て、真っ青な顔で息を切らしている。魔女が、こうき嗅がせると、呼吸はいくらか落ち着いた。

「私の、私の旦那がいなくなったんです!」

 女は、落ち着くとすぐにせきを切ったように話し始めた。


 女の旦那は、その日仕事に行ったきり、帰ってこなかった。近所の人にも頼んで、懸命に探した。そして、この山小屋のある森のすぐ近く、川のほとりに綺麗にたたんだ服がおかれているのが見つかった。みんなは川に流されてしまったと言うが、そこは穏やかな川だ。そんなことが起こるはずない。女はそう思い、諦めず探した。そして森をがむしゃらに探していると、この山小屋にたどり着いた、と女は言う。


「何か知りませんか? どんなことでもいいんです!」

 女は必死の形相で魔女を見つめる。しかし、魔女の首が横に振れるのを見て、女はがくりとうなだれた。

 幼い少年はいてもたってもいられず、魔女をすがるような目で見上げた。

「森の中ならぼくも、探せるかも……いい? おししょう」

 魔女が何か言う前に、女が「お願いします!」と続ける。

「結婚資金に、ためていた貯金があります……それを払います、だから、お願い、誰か……彼を探して……」

 嗚咽おえつをこらえ、震える拳を握る。指にまる銀色の輪が、鈍く輝いた。

「生きてさえいてくれたら……」

 祈るように握りしめる女の手のひらから、黒い光がこぼれ落ちた。


 


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