寝室に飛び込んだ少年は、寝台へ跳ね乗った。

 ふふっと小さく笑うと、抱えていた書物を取り出し表紙を眺める。

「この本を読んでから気づいたんだ。おししょうは、おじさんがくるとき、いつも若い女の人になってるって!」

 

 少年が言うように、現在の魔女の姿は、体中にしわが深く刻まれた白髪しらが頭の老女の姿ではなく、陶器のようにつややかな肌をもつ黒茶くろちゃ髪の若い娘に変わっていた。

 少年は、魔女が姿形を「不思議な」力で変えられるということは知っていた。しかし、いつ変わっているか、などはあまり気に留めたことがなかった。少年の意識が変わったのは、若い娘と若い男の恋愛小説を読んでからだった。それから赤髪の男の前では、魔女が「常に」若い娘の姿となっていることに気づいたのだ。

 少年はさらに観察を続け、男が来る少し前に魔女が若くなることを突き止めた。それゆえ、今回の男の訪問を庭で待ち構えることができたのだ。

 

「きっと、ふたりきりにしたほうがいいんだ。そのほうが幸せなんだ」

 少年は、書物を握りしめくすくす笑う。布団の柔らかさに包まれ、そのままうとうとと眠りについた。



   ※

 


「薄紅! 起きたかい?」

 寝ぼけまなこで寝室の戸を開ければ、弾けるような笑顔と赤い髪が少年を出迎えた。少年は、いつものように男に飛びつこうとして、ぴたりと止まった。その目線の先には、若い姿の魔女。

 少年は、両手を広げたままの格好で、じりっと半歩下がった。

「おはよう! おじさん、おししょう! ぼくは、お顔あらってこようかな〜」

 頬を赤らめて、緩んだ顔を見せぬよう両手で口を押さえると、外の井戸場に飛び出していった。

 少年を迎え入れるはずだったからの両手をそのままに、男は呆然とする。そんな男を魔女は、口を曲げ半目で睨んだ。


 そのあとも、男はことごとく少年に距離を取られ続けた。今も、少年が籠もる寝室の戸を焼き焦がすほど見つめている。

「五つでしょ? 抱っこ卒業とか、大人を避けるとか……、まだ早い時期でしょ……?」

 男は、顔色を白くしながら頭を抱えた。

「もう五年も生きてるって言ってたの、誰だったかな」

 力いっぱい薬草をすり鉢で潰しながら、魔女は素知らぬ顔で嫌味を放つ。

 しばらく続く無音に、魔女は眉間にしわを作り男のほうを横目で見る。そこには卓に突っ伏し、乱れた赤髪を抱え込む姿があった。よっぽど堪えてるねぇ、と呆れたように呟くも男からの反応はない。

 魔女は、鼻で大きく息を吐き出して「しばらくすりゃ飽きるだろ」と、比較的柔らかな声で言った。


 男は考える。

 少年は、討伐の話をした時から避け始めたのではないか、と。少年の前では今まで、自身の身に降りかかるものの話題だけはしてこなかった。それを今回、つい口を滑らせてしまったのだ。

「怖がらせてしまったのかな……」

 ぼそりと呟くと、ふらっと立ち上がり外套を羽織る。


「どこに行くんだい? 屋敷は燃えてしまったのだろう?」

 男の外套がすすけているのは、焼け跡を歩いたからだ。

 魔女は、男には帰る場所がないことを知っていた。

「どこなりと……。これまでも、そうしてきたんだから」

 魔女は手を止め、面倒臭いとでも言うように、大げさに顔を歪めた。

「そうしてきた、はずなのにね。愛しいものはもう作らないと決めていたのに」

 男は、顔を伏せたまま魔女に近づき「君にも、無理をさせて悪かったね」と魔女の顔に触れようとする。

 その手を、魔女は無遠慮に払った。

「こちとら、あんたのために無理する無駄な時間なんてないんだよ」

 魔女は、ふんっと鼻で息を吐くと、また力いっぱい薬草を潰した。


「そうだね、そうだ。時間は有限だ。だから美しい」

 男は、感情の見えない顔のまま、ゆらりと戸口に近づく。

「戻らない気でいるんなら、もう一度顔でも見てったらどうだい」

 魔女の大きな声に、戸の取っ手を握った男は一瞬動きを止める。しかし振り返らずそのまま戸を開いた。冷たい外気が体に触れたその時、寝室から大きな音が響いた。


「なんで⁉︎ おじさん! なんで帰っちゃうの⁉︎」

 寝室から飛び出てきた薄紅髪の少年は、その勢いのまま戸口に立つ男へしがみついた。

 男は、足に抱きつく少年へ目を向けず、ただ身を固くした。


「おししょうのこと好きなんでしょ⁉︎ このままいっしょに住むんでしょ⁉︎」

 小屋の中に静寂が落ちる。男が開けた戸の隙間から、か細い音を立てて風が通りぬけた。

 

「へ?」

 少し間を置いて、男が口から間抜けな音を出す。

「やっぱりね」と呟いた魔女は、肩をあげて吸い込んだ息を、思いっきり吐きだした。




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