二
寝室に飛び込んだ少年は、寝台へ跳ね乗った。
ふふっと小さく笑うと、抱えていた書物を取り出し表紙を眺める。
「この本を読んでから気づいたんだ。おししょうは、おじさんがくるとき、いつも若い女の人になってるって!」
少年が言うように、現在の魔女の姿は、体中にしわが深く刻まれた
少年は、魔女が姿形を「不思議な」力で変えられるということは知っていた。しかし、いつ変わっているか、などはあまり気に留めたことがなかった。少年の意識が変わったのは、若い娘と若い男の恋愛小説を読んでからだった。それから赤髪の男の前では、魔女が「常に」若い娘の姿となっていることに気づいたのだ。
少年はさらに観察を続け、男が来る少し前に魔女が若くなることを突き止めた。それゆえ、今回の男の訪問を庭で待ち構えることができたのだ。
「きっと、ふたりきりにしたほうがいいんだ。そのほうが幸せなんだ」
少年は、書物を握りしめくすくす笑う。布団の柔らかさに包まれ、そのままうとうとと眠りについた。
※
「薄紅! 起きたかい?」
寝ぼけ
少年は、両手を広げたままの格好で、じりっと半歩下がった。
「おはよう! おじさん、おししょう! ぼくは、お顔あらってこようかな〜」
頬を赤らめて、緩んだ顔を見せぬよう両手で口を押さえると、外の井戸場に飛び出していった。
少年を迎え入れるはずだった
そのあとも、男はことごとく少年に距離を取られ続けた。今も、少年が籠もる寝室の戸を焼き焦がすほど見つめている。
「五つでしょ? 抱っこ卒業とか、大人を避けるとか……、まだ早い時期でしょ……?」
男は、顔色を白くしながら頭を抱えた。
「もう五年も生きてるって言ってたの、誰だったかな」
力いっぱい薬草をすり鉢で潰しながら、魔女は素知らぬ顔で嫌味を放つ。
しばらく続く無音に、魔女は眉間にしわを作り男のほうを横目で見る。そこには卓に突っ伏し、乱れた赤髪を抱え込む姿があった。よっぽど堪えてるねぇ、と呆れたように呟くも男からの反応はない。
魔女は、鼻で大きく息を吐き出して「しばらくすりゃ飽きるだろ」と、比較的柔らかな声で言った。
男は考える。
少年は、討伐の話をした時から避け始めたのではないか、と。少年の前では今まで、自身の身に降りかかるものの話題だけはしてこなかった。それを今回、つい口を滑らせてしまったのだ。
「怖がらせてしまったのかな……」
ぼそりと呟くと、ふらっと立ち上がり外套を羽織る。
「どこに行くんだい? 屋敷は燃えてしまったのだろう?」
男の外套が
魔女は、男には帰る場所がないことを知っていた。
「どこなりと……。これまでも、そうしてきたんだから」
魔女は手を止め、面倒臭いとでも言うように、大げさに顔を歪めた。
「そうしてきた、はずなのにね。愛しいものはもう作らないと決めていたのに」
男は、顔を伏せたまま魔女に近づき「君にも、無理をさせて悪かったね」と魔女の顔に触れようとする。
その手を、魔女は無遠慮に払った。
「こちとら、あんたのために無理する無駄な時間なんてないんだよ」
魔女は、ふんっと鼻で息を吐くと、また力いっぱい薬草を潰した。
「そうだね、そうだ。時間は有限だ。だから美しい」
男は、感情の見えない顔のまま、ゆらりと戸口に近づく。
「戻らない気でいるんなら、もう一度顔でも見てったらどうだい」
魔女の大きな声に、戸の取っ手を握った男は一瞬動きを止める。しかし振り返らずそのまま戸を開いた。冷たい外気が体に触れたその時、寝室から大きな音が響いた。
「なんで⁉︎ おじさん! なんで帰っちゃうの⁉︎」
寝室から飛び出てきた薄紅髪の少年は、その勢いのまま戸口に立つ男へしがみついた。
男は、足に抱きつく少年へ目を向けず、ただ身を固くした。
「おししょうのこと好きなんでしょ⁉︎ このままいっしょに住むんでしょ⁉︎」
小屋の中に静寂が落ちる。男が開けた戸の隙間から、か細い音を立てて風が通りぬけた。
「へ?」
少し間を置いて、男が口から間抜けな音を出す。
「やっぱりね」と呟いた魔女は、肩をあげて吸い込んだ息を、思いっきり吐きだした。
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