第三話 魔女とおじさん
一
森の中を、足音を立てずに男が歩く。
男は、焦茶色の外套と帽子を深く被り、木々の隙間を縫うように音もなく進んでいた。緑の
「あれ? よくわかったね、薄紅」
薄紅と呼ばれた幼い少年は、声のするほうへと顔を向けた。
男が、薄汚れた帽子を片手でさっと外せば、真っ赤な髪が現れる。
「おじさん!」
少年が嬉しそうに駆け寄れば、その薄紅色の髪がふわふわと舞い踊った。男は片手に持っていた荷物を下ろして、子うさぎのように跳ねてくる子どもを抱き上げる。
「待ってたの?」
男からの問いに、小さな頭が大きく縦に振れる。
「こっそり来たのに。すごいなぁ薄紅は」
「おじさん」と呼ばれたこの燃えるような赤い髪をした男は、肌艶もよく「おじさん」呼びには似つかわしくない若々しい見た目をしている。少年は当初「おにいさん」と呼んでいたのだが、本人が「見た目ほど若くはないよ」と照れくさがったため、この呼び方に落ち着いたのだった。
少年は、たまに訪れるこの「おじさん」が大好きだ。
男は、来るたびにおもちゃや書物を少年に与え、いろんな土産話をする。山小屋からあまり出たことのない少年にとって、男は外の世界そのものだった。
久しぶりに訪れた男の顔を、少年は間近でじっと見つめる。男は少し疲れているように見えた。いつものように明るく笑ってはいるものの、いつもより少年を抱きかかえる力が強い。こういう時、男は小屋に入るとすぐに、どっしりと椅子に腰掛けるのだ。
さらに、少年は男が愛用している外套に、
「あぁ、ちょっとした遊びが流行ってるようでね。――しばらくやっかいになるよ」
困ったように眉尻を下げ、男は乾いた声で笑った。
※
「討伐ごっこ」と、椅子にだらりと座った男は言った。
小屋が薬湯の香りに満たされる中、少年は貰った土産を広げながら、男の様子を見つめた。明らかにいつもより疲れている、そう思うのは少年だけでなく、少年の師である「魔女」もだった。通常ならば、男のことは相手にせず、ちらりと様子を見て面倒臭そうにため息をつくだけだが、今日は一目見た途端、眉をひそめてすぐに薬湯を煎じ始めた。
――とうばつごっこ。
少年は、土産で貰った書物の表紙を撫でながら、男の言った言葉を
書物の中には、子ども向けと思われる、表紙に絵が描かれたものがあった。翼をもつ大きな生物と、それを囲んで人間が剣と盾を構えている絵だ。
これが討伐。悪い生き物や怖い化け物を退治することだ。少年はそれを理解していたが、なぜ男が「討伐ごっこ」に巻き込まれているのかわからなかった。もしかしたら物語のように英雄になったのかもしれない。それとも何か悪いものと間違われたのか――。
少年が書物から目を離し、男を見やれば薬湯を苦々しい顔で飲んでいるところだった。
――つかれてそうだもの。いまは、きけないなぁ……。
少年は気持ちを切り替え、男から貰った書物に集中した。すると、突然「あっ」と大きな声をあげた。
「おじさん! これこのまえの続きだよね!」
少年は興奮気味に話し、書物をかかげる。魔女は眉をひそめて表題を見た。そして、勢いよく目を見開き、「なんてものを読ませてるんだい!」と男に向かい叫んだ。
「薄紅にはまだはやい!」
「いやいやもう五年も生きてるんだよ。あとほら、もうちょっと、数年経てば大人の仲間入りだよ?」
男は腕をだらりと下げたまま指を折って数えた後、開いた両手を魔女に見せた。
「あたしはあたしのやり方でやってるんだ!」
「いかがわしいものじゃあないんだからさぁ……。薄紅にあげたのは純愛小説だよ? じゅんあい!」
「いか……! そんなものまで見せようってのかい!」
魔女は拳を震わせ、今にも食ってかかろうかという気迫で男に近づく。
「違うって! 薄紅~たすけてよ~」
男は泣きつく真似をしながら少年の様子を
だが、男の目に映った少年は、怯えるどころか大きな目をきらきらと輝かせ、頬を赤らめていた。
「薄紅?」
様子がおかしい少年に、男は眉根を寄せ近づく。
少年は、慌てて持っていた書物で顔を隠し、一歩後ずさった。
「ぼく、おへやで本読んでるね! おじさん、ゆっくり休んでね」
そう言うと、そそくさと寝室へ立ち去っていった。
少年に近づこうとした中腰のまま、男は目をぱちぱちと瞬かせ首をかしげる。
その後ろでは、魔女が片手で頭を抱え、盛大にため息をついていた。
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