「うちには娘がいない。ちょうど他の領地との繋がりも欲しいところでな」

 男の指に光る薄紅色に、女児服を身につけた子どもの姿がぎらりと映る。

 強欲の指輪は、止むことがない。目に映るすべてを欲する。それが何であろうとも。

 魔女は口元だけで笑った。


「御冗談を。私の大事な娘です。どこにも養子には出しません」

 凛とした声で魔女が制するのも聞かず、男は薄紅色の髪を見つめ続ける。

「薄紅色の石は珍しくとも多々ある。だが人の薄紅色は生まれてこの方見たことがない。さぞや立派な領主に引き取られていくだろう」

 男は濁った音を立てて笑い、またじっと薄紅髪を見た。

「手元に置けんのは惜しいが、幾らか髪を切り分けておけば――」

 薄紅色の指輪をぎらつかせて、男の手が子どもに伸びる。それは届くことなく、魔女によってはたき落とされた。


「な、なにをする! 商人風情が!」

 叩かれた手をもう片方の手で撫でながら、男がいきどおる。

「……そうだ。娘を寄越さなけば、この商談はすべて破談だ!」

 男は、「どうだ!」と言い放つと、口を歪ませ声を立てて笑った。


 しかし、魔女の目は揺らぐことなく男を見据えたまま。口角を均等に吊り上げ、魔女は言う。

「その指輪も、でしょうか?」


 男は、その言葉に短くうなる。頭皮から一筋、汗が流れた。指輪を撫でつけながらぐっと息を詰まらせ、「そうだ」と吐く息に乗せる。

「それならば致し方ありません。この話は無かったことに――」

 指輪用の鞄を差し出し、納めるよう魔女が促す。

 だが、男は指輪のはまった手を握ったまま動かない。


「どちらも譲れぬ、というのは、あまりにも強欲すぎやしませんか?」

 魔女は、どっしりと長椅子の背にもたれる。男が脂汗を垂らしながら歯をぎりぎりみしめる様を見て、冷たくほほ笑んだ。

「ならば、取引を致しますか?」

 足を組み、とても商人とは思えない態度で魔女は男を見下ろす。

「あなたは、どれほどのものを手放せますか?」

 

 指輪を大事そうに握りしめた男が、気圧され下からうかがうように上目で魔女を見る。まるで、飼い主にお気に入りを取られたくない愛玩動物のように。

「私が身をにして、完璧に育て上げた大事な美しい娘。あなたはその子に幾ら払えるのでしょう」

「こ、ここにある倍、いや三倍!」

 魔女に支払うため置いていた貨幣の袋を指し、男が叫ぶ。

「それは、あなたが一日ほどで得られる量ではありませんか。娘は、一日では出来上がりませんので」

 魔女は、大げさに肩をすくめる。そして、指輪を返すよう、鞄を男に突きつけた。


「ま、待て! だめだ、これは私のだ! みんな私のものだ!」

 指輪だけでなく、卓上の宝石すべてを引ったくるようにして、男は自身の出っ張った腹の下に隠す。そして、そのまま唸りながらうずくまった。


 魔女はすくりと立ち上がり、わざと靴音を鳴らしながら男に歩み寄る。

 震える男の肩に、撫でるようにそっと手を当てると男の体が大きく跳ねた。

「あなたの財産、館、すべて譲るとおっしゃってくだされば、指輪も、石も……」

 ぐるる、と男の喉から低い音が鳴る。小刻みに震える男の小さな耳に、艶やかな唇が近づく。

「娘も、手に入れられますよ」

 甘美な魔女のささやきに、男の手の指輪がぎらりと光を返した。

「譲る……! この館も! 領地も! すべてゆずる‼︎」


 汗かよだれか、はたまた涙か。

 飛沫を飛ばしながら叫ぶ男に、魔女はにたりと笑う。

「では、契約を」

 するりと、魔女は羊皮紙を取り出した。


 男がよたよたと羊皮紙に判を押すのを、長椅子に腰掛け足を組みながら魔女は眺める。

「この契約の音が鳴りましたら、もう約束をたがえることはできません。よろしいか?」

 手に持った小さな鐘を、軽く振りながら魔女が言う。振られても、鐘の振り子は何の音も奏でない。

 男は魔女のほうを見向きもせず、壊れた玩具のように、よい、よい、と首を縦に動かした。


「領主殿の資産すべてと引き換えに、指輪と石二十五点、そして私の娘をお渡しいたしますことをここに誓います」

 高い鐘の音が、館中に響き渡った。


 

   ※



「領主様。今お客様が帰られました、が――」

 開け放たれたままの応接室を覗き込んだ使用人が、悲鳴を上げた。その声は館中の人を呼び寄せ、部屋の有り様を皆が目の当たりにする。館の主人が、絨毯に寝転び、そこら中のものをかき抱きながら笑い転げるさまを――。


「全部、手に入った! 全部だ! 全部!」

 呆然とする使用人たちに気付き、寝転んだままの館の主が声をかける。

「見ろ! 美しいだろう!」

 男は立ち上がり、よろよろと長椅子に向かって歩いていく。

「この娘をどこへ嫁に出せば一番利益を得られるか、考えるだけで楽しみだ!」

 長椅子にどかりと座ると、隣で美しい薄紅色がふわりと揺れた。



 

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