「はぁ……。中々気に入っておったのに……」

 魔女が、馬車の外を眺めながら流れる景色を見てぼやく。

 馬車の中には、魔女ひとり。

 隣には、山ほどの貨幣袋と、丁寧に丸められた羊皮紙が置かれていた。

「いざ手放すとなると、惜しむ気持ちが湧いてくるものなのだな」

 組んだ足に肘を乗せて頬杖をつくと、眉根を寄せ、ため息をついた。

 ――かと思えば、前方を見やり口を尖らせる。


「……こら、前に座るならきちんと帽子を被れと言っただろう」

 その声に合わせて、しまったと言うような表情で、御者ぎょしゃ席からひょこっと、薄紅髪の少年が顔を出した。


 

   ※


 

「どういうことだ‼︎」

 その頃、館は混乱状態にあった。

「あの、執事殿……!」

「なんだ!」

「それが、どういうことか、金庫がもぬけの殻で……」

 執事と呼ばれた男は、一瞬目を見開くがすぐさまつぶり首を横に振る。

「それどころじゃない……」

 苦虫をみ潰したように顔を歪めながら、手に持った羊皮紙を広げて見せた。

 目を通した従僕じゅうぼくは、目を丸くし、口をぱくぱくと動かした。

「り、領主権を――放棄⁉︎ 隣の領主に譲るって……一体、どういう⁉︎」

 従僕の声を聞き、周りが更にざわめく。

 そして、皆が一縷いちるの望みを求めて見合わせた先には、少年が着ていた薄紅色の女児服と、それに話しかけ続ける小男の姿があった。


  


「あれは、あたしが何日もかけて縫い上げた傑作品さね。せっかく美しく仕上がったものを、価値のわからぬやつにくれてやるには惜しすぎるわい」

 何度目かわからぬため息をつきながら、魔女は愚痴をこぼす。

「ぼくはこっちの服も好きだよ、おししょう!」

 普段身につけている服に着替えた少年は、にこにこしながら馬の手綱たづなを握っている。もちろん、馬は勝手に進むので、振りだけだが。


「でも、とちゅうからぼく、ぜんぜんわかんなかった」

 ぽつりと呟く声も、魔女にはよく聞こえた。

「なんで、ぼくのほう見ながら『娘』の話をしてるんだろうって思ったけど、服のことだったんだねえ」

 魔女は、からから笑いながら、「そうさ、あたしが身を粉にして作り上げた大事な娘さ」と、おどけるように言った。

「もしかして――」うーんとうなっていた少年の目がきらりと輝く。

「だから、今日はあのかっこうだったの? 全部おししょうの言うとおり?」

 憧れに満ちた眼差しを向ける少年に、魔女は軽く笑って手をひらひら振る。


「さぁてね。帰りはあの愛想の良さそうな店で、たらふく食っていこうかね」


 空は紅色に輝き、土壁は茜色に染まる。土の道の脇には点々と明かりが灯り、老夫婦が馬車に向かって手を振る。魔女が片手を上げ返せば、それを見た少年は手綱を置き、両手を大きく振った。やがて、馬車は緩やかに止まる。

 空が暗くなっても、集落は明るい笑い声に満たされていた。



 

 

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