■Orbital Operation(2)


 港湾地区は夜でも十分明るい。自動車クルマ、ビルの明かりに、店舗の賑わい。ガス灯を模した形の街灯LEDもたくさん立っている。


 それでも、光が届かない場所がある。

 海だ。


 海は、静かに波を立てて、暗い水面に僅かに光を映している。太平洋から見ればほんの僅かな東京湾すら、夜の闇に包まれていた。

 遠くをゆっくりと航行する遊覧船と、地上に比べてまばらな数台のドローンが、頼りなく明かりを瞬かせている。街を歩けば嫌でも目に入る拡張現実広告エアラッドも、コードのない海には表示されない。

 暗い海の上に掛かる橋。私は、遊歩道が整備された広い橋の上で、欄干にもたれかかって海を見ていた。背中には電波保護用のバックパック。ずっしりと重い。


『来た。各務かがみ弁護士。一人だ』


 藍さんから通信が入る。顔は海へ向けたまま、クールに待つ。ドローンめ、くだらないニュースを追いかけるくらいなら今の私を撮ればいいのに。


「〈コーシカ商会〉か?」


 各務弁護士が私の隣に立ち、問いかけてくる。その横顔へと視線を向け、街灯の明かりで無遠慮に見つめた。背は高くなく、やせ型。神経質そうな顔立ちは、不機嫌な表情を浮かべていなければ中々の男前だ。スーツも決まっている。


「はい。各務弁護士ですね」

「そうだ。……随分若い運び屋だな」

「実力勝負なので」

「ふん。荷物は?」

「その前に身分の確認を」


 藍さんから、相貌確認で98%本人と連絡は来ているが、手続きだ。

 相手がスーツの懐から身分証を取り出す。士業と呼び習わされる国家資格はどの都市でも通用するものだ。物理的、情報的に何重もの偽造防止処理が施されたカードは、他者には持てない物だ――奪われなければ。

 差し出されたカードには確かに、相手の名と、顔。頷き、仕舞うように手で示す。


「北楽さんとは、大学の同期なんですか?」

「……すまないが、雑談をしている余裕はないんだ」


 街灯に照らされた横顔は、やはりまだ不機嫌そうだ。睨むように見つめてくる黒い瞳に、橋の欄干に載せて握り締められた拳。感情解析アプリに掛けるまでもない。緊張と恐怖の反応……その対象は私ではなさそうだ。


『どう思います?社長』

『騙すつもりならば、敵対的な態度は控えるだろう。役者には向かない御仁と見受けられる。こちらを警戒しているというよりは、何かを恐れている……そう見えないかね?』

『そりゃ、知り合いが拉致されたって聞いたら怖いんじゃないですか?』

『ふむ。では、こう聞いてみて欲しい、ティコくん』


 バックパックに手をかけながら、社長に言われるまま、問いかけた。


「各務さん」

「何だね」

「奥さんとお子さんはお元気ですか?」


 ――劇的だった。

 各務さんはびくりと身を竦ませ、私を睨み付ける。

 何かを言おうとした私を遮るように、橋の下から、黒い機動安全服ハーネスが飛び出してきた。こいつ、ずっと隠れてたのか!?


『社長! 解ってて聞かせたでしょ!?』

『まさか。だがこれで確定だね。ご家族を人質に取られているのだろう』


 ハーネスの色は黒。細身だが力感のある形状は、スマートな全身鎧、とでも表現すべきか。視覚素子カメラを囲む光は赤い。間違いない、あの時のハーネスだ。


「各務さん、逃げて!」

「っ、いいから荷物をこちらへ寄越せ!」


 各務さんは逃げず、手を伸ばしてくる。申し訳ないが、今の状況で渡すわけにはいかない。咄嗟に身を引いて、欄干を蹴り、各務さんからもハーネスからも距離を取る。幸い――と言っていいかは微妙だが、ハーネスは各務さんを捨て置き、こちらへ向き直った。腰に提げていた剣を手に取る。長剣には持ち手と鍔があり、刀身に当たる部分が僅かに灰色がかっている。〈スピカ〉を襲撃した時にも持っていた、奴の得物らしい。

 降ろしかけたバックパックを担ぎなおす。


「北楽さんはどこ?」

「…………」


 広い橋の歩道の上で、ハーネスと対峙する。問いかけに、当然、答えはない。

 街灯と、時折通りかかる車のライトに照らされるハーネスは、陰影が強調されて、凄い迫力だ。正直怖い。視覚素子が常に小さく動いていて、私を中心に情報を得ているのが解った。


『もうちょっとよく見せろ、解析する』

『いやいや、一刻も早くASAP逃げたいんですけど』


 逃げないのは、シゲさんの容赦のない指示に忠実だから、ではない。

 隙がないのだ。


 無造作に立っているように見えて、ハーネスの全身に配された駆動装置アクチュエータは、駆動の瞬間を待って引き絞られている。

 ハーネスは重い。多分、まともに速さ比べかけっこをすれば私の方が速い。ただし瞬発力ダッシュ馬力パワーは多分あっちの方が上。間合いから逃れるより先に、あの剣でぶった切られるというわけだ。


 隙を伺いつつ、じりじりと位置をずらし、少しでも走りやすいスタートポジションを取ろうとする。


『シルエットは欧州系か。工事現場で使うような代物じゃねえな。軍事用に見える』

『なんでそんなのが都市シティにいるの……!?』


 無線に叫んだ私の苦情が聞こえたか。ハーネスが姿勢を前に倒し、地面を蹴った。咄嗟に脚を振り上げて、スニーカーの底を相手に向ける。鋭く振られた剣の、刃部分を踏みつけて、身体を宙に飛ばす。耐切創・耐刺突・耐熱・絶縁の四大機能付き靴底ソールがぎちっと音を立てて、ぎりぎり耐えてくれた。まともに喰らったら本気で真っ二つにされそうな斬撃の鋭さ。


 ふわりと夜を舞い、少し離れた歩道に着地。沈み込む動きを次の跳躍の予備動作に。街灯の明かりだけでは、海に浮かぶ橋の全ては照らせない。黒いハーネスは闇に溶け込み、赤い、瞳のようなライトの輝きが不気味に迫る。

 踵を返し、逃げ出す。


 ――と、見せかけて、更に身を回し、自分からハーネスへ突進する。視覚素子がフォーカスを合わせる様子が、相手が意外に思っているのを表しているように見えた。意外、くらいで、動揺、までは誘えていないか。


「ふ……ッ!」


 吐息をひとつ、短く入れる。酸素は、義足には不要だが、義足を動かす脳と神経と魂に必要だ。

 ハーネスは、私の動きに応じて、剣を槍のように突きだしてきた。タイミングを外してやったはずなのに、反応が速い。


「ぐ、ぬ、ぬぅ……!!」


 歯を食いしばり、必死に身を捩る。並みの人間ならばそのまますっ転ぶような角度で、スニーカーのグリップと義足の動力を全開にして、黒いハーネスの横をすり抜けた。頭上を、ハーネスの腕が薙ぎ、髪が数本散った気配がする。ちくしょう、乙女の髪は高くつくぞ。

 背中を見せてそのまま走り、地面にへたり込んだ各務さんの横を通り抜ける。絶望と怒りに満ちた目で見られながら、駆け抜けた。思わず、無線に弱音を吐いた。


『荷物、渡さなくて、大丈夫だったかな……』

『おそらくは。少なくとも、ご家族の命は無事だろう』

『なんで?』

『死人は人質にならないからね』


 ……なるほど。こみ上げてきた、怒りとか哀しみみたいな感情は、口から出る前に噛み潰した。それを口にしていいのは、各務さんだけだろう。

 後ろを見なくても、黒いハーネスが勢いよく追ってきているのが、義足の感覚センサーにはっきりと伝わる。ハーネスの出力を示すように、一歩の音は大きい。


 走りで負けるつもりはない。重圧プレッシャーと、逃さないと主張する探査電磁波を放って追いかけてくるハーネスを引き離そうと、加速した、次の瞬間。

 私の視線がそれを捉えるのと、藍さんの警告は同時だった。


『十二時方向から銃撃!』

「ッ!」


 ぷしゅ、ぷしゅ、と空気が抜けるような音。消音器サイレンサーを通って銃弾が襲い来る。前に飛び込み、でんぐり返りローリングの要領で、銃弾を潜り抜けた。硬い地面プラロードが、容赦なく後頭部と背筋を削る。髪の毛が縮れた気がする。今度、お高いトリートメントをやってもらおうと決めた。


 撃ってきたのは、闇夜でも目立つ黒服の連中だった。襟元には輝く金バッヂ。弓矢のマークは、前に襲ってきたのと同じ、金脇組の代紋だ。真っ直ぐ飛ぶだけの銃弾なんかに当たってはやらないが、速度は殺された。後ろからは黒いハーネスが迫る音。前門の極道ヤクザ、後門の兵器ハーネス。割と絶体絶命ヤバめ――だが。今日の私は、一人ではなかった。

 叫ぶ。


「いたいけな市民が襲われてまーすっ!」

「素直に助けを求めなさいッ!」

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