■Launch(7)
応援を待つべきか、僅かに逡巡する。一秒掛けて迷いを振り払い、扉を押し開いた。
中に、待っていたのは――
「……やられた」
ただの暗闇、がらんどうのオフィスだった。
足跡はフェイクだ。
念のため探査を走らせるが、結果は空振り。隠れている者はいない。
追跡を躱すための時間を作る偽の手掛かり。単独で動かざるを得ない機動捜査官を狙った撹乱だった。
感情を噛み締める。だが、自分を責めている時間もない。指令室に状況を報告し、追跡を続ける。
『周辺の監視カメラに、ハーネスと思しき姿はありません。また、拉致された疑いの北楽氏の姿、パーソナルIDも検出されず』
『完全に無力化されている?』
『その可能性が最も高いですね』
無力化という言葉が、意識と接続を奪ったことを指すのか――あるいは、命を奪ったことを指すのか。自分の思考の中でも明確にはしないまま、フロアを探索する。ここまで周到な相手だ、予想通り、
そこに、通信が入る。
『よう、苦戦してるか』
『先輩。……撒かれました』
『〈天網恢々〉のログを見たよ。あれだけ目立つハーネスで堂々逃げおおせるとはな。今上がる』
エレベーターで上がってきた先輩と合流する。
がっちりした体格に、短く刈り込んだ、オレンジがかった茶髪。いかつい印象を、割と端正な顔が中和している。年は、正確には聞いていないが三十絡み。引き締まった狼のような印象の男性だ。青みがかったトレーニングウェアを着ているところをみると、走り込みでもしていたのだろうか。
「よう、お疲れさん。ふてくされるなよ、キヌ」
「お疲れさまです。……ふてくされてなんていません」
無遠慮に撫でる手を振り払って、睨むように見上げる。
「それと、その呼び方はやめてください」
「古来より、刑事はあだ名で呼び合うものなんだよ」
「先輩だけじゃないですかそれ!」
お約束のやり取りをしながら、〈天網恢々〉が集めたデータに、私の意見を付記したデータを送る。私も先輩もリンクスを繋いでいるし、NFL-セキュリティの独占帯域があるから、口頭よりも随分早い。
「ふん……なるほど。こりゃ確かに違法ハーネスが疑わしい」
「ですよね」
「こっちのお嬢さんは無事か……ん? お前がこの前逮捕した運び屋か。荷物と行先は聞いたか?」
「いえ、追跡を優先しました。一応、その上司は上のフロアに待っていて頂いています」
「ハーネスを見失った以上、そっちも追いかけた方がいいな。本命が荷物で、仕方なく拉致した可能性もある」
「了解しました」
移動しながら、ふと、先輩が笑う。
「それにしても、この運び屋。ずいぶんお転婆な娘だ。よくこれを捕まえられたな、キヌ」
「……バイクでは撒かれました。結局、仕事を終えた瞬間を狙って、何とか」
「〈トモエ〉をぶっちぎるとは。この
そう言って脳内に展開した記録を睨む先輩の顔は、どこか挑むように猛々しい笑み。
「義肢技術は、最近じゃ人間の限界なんて軽々と越えてきてる。だが、性能だけあっても意味がねえ。こいつくらい使いこなすには、才能も努力も必要だろうな」
「確かに。……大袈裟な表現かもしれませんが……義足を、自分のものとして適応しているように見えました」
「
「えき……?」
「エキスパンド。……ちゃんとした概念じゃないから、話半分に聞いておけ」
足は止めず、移動しながらの会話。機動捜査官のならいだ。
「リンクスが普及してから、義肢やら、
「データを……感覚、ですか?」
「ああ。センサーが直接脳に繋がってるような感じで、な。そいつらは、義肢を操作するんじゃなく、文字通り自分の手足として扱える。当然だ、繋がっている以上『自分』なわけだから――そういう状況を、『拡張』と呼ぶ」
「あの少女も、そういう存在だと?」
「与太話だと思って聞いとけよ。性能の高い義足を乗りこなしてるだけでも強敵だからな」
「……はい」
すべてを理解できたとは言い難い。それでも、言わんとすることは少し理解できた。
ティコと呼ばれていたあの少女は、欠けた部分を義足で埋めたのではない。義足を自らのモノとすることで、人間とは違う機能を獲得している。彼女を追った経験から、そんな想像も突飛ではないと思われた。
エレベーターを使い、上のフロアへ。待っていた鷹見と合流する。私が仲立ちして軽く紹介した。
「ほう! 機動捜査課の早瀬捜査官、噂はかねがね」
「そいつは光栄だ。何かあったら呼んでくれ、二秒で駆けつける」
……なんだろう。二人とも笑顔が怪しい。
さておき。
「鷹見さん。申し訳ありません。北楽氏も、ハーネスも、発見できませんでした」
「そうですか……」
「北楽氏から受け取った荷の内容や、宛先を教えていただけませんか。ハーネスの狙いがそちらにある可能性もあります」
鷹見氏は、ふむ、と一息。顎に手をやり、一秒ほど思考する。
「申し訳ありませんが、情報の提供はできません」
「何故ですか!?」
思わず、声を上げてしまった。冷静な判断ができる人だと思っていたからだ。
「馬鹿」
先輩が私の頭を叩く。
「うちのがすみません。……ですが、理由は伺いたい。人命がかかったことです」
「あなた方が安全と人命を守るように、私たちは荷物と、顧客からの信頼を守らねばなりません」
「その顧客が今、危険なんですよ!」
「解っています。それでも、です。我々は、彼が死ぬとしても、荷を届ける。それが我々の職業倫理であり――つまるところ、仁義です」
鷹見氏の笑顔は崩れない。先ほどまでと同じ、状況を考えれば胡散臭いと言ってもいい、穏やかな笑顔だ。今の私には、鉄でできた仮面にすら見える。
「無論、我々以外から情報を得ることは止めませんし、協力します。〈スピカ〉のスタッフや、彼のデスクを確認してみるのが良いでしょう」
「……解りました。無理にとは言えません」
先輩と頷き合い、一旦、荷物に関しての情報は諦める。
その後、ハーネスについての情報を聞いていたところで、鷹見が手を挙げた。
「うちの配達員からの連絡です。『届け先は、不在だった』と。さて、送り主も届け先もいなくなるとは。一体、何が起こっているのでしょうね?」
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